見出し画像

一生ボロアパートでよかった⑤

 物置部屋掃除の後、私はお茶漬けを食べて、シャワーを浴びて、母の部屋で寝ました。
 私がベットに入った時、母はもう寝ていました。母はいつもクイーンサイズのベットの片側に寄って寝てくれるのですが、その日はベットの真ん中で寝ていました。きっと、私が物置部屋で寝ると思っていたのでしょう。床掃除をして、来客用の布団を出せばあの部屋で寝られないこともありませんでしたが、あの日は無性に母のベットで寝たかったのです。母と一緒に寝られるのも、これで最後だろうと思ったからです。

 ベットの真ん中で母が寝ているせいで、私が横になれる範囲はいつもより狭かったです。夕飯でお茶漬けしか食べない痩せ気味の子供の体型には充分な広さでしたが、それでも少し窮屈に感じました。一緒に寝るのもこれが最後という寂しさもあって、自然と母の背中にくっ付いて寝ました。

 母の背中は以前より骨ばっていて、自分を守るのに必死なハリネズミの背中のような、そんなトゲトゲしさを感じました。それでも、これが最後だからと思って背中にそっと手を触れて、母が生きている体温を感じて、少しだけ安心しました。
 でも、私が大好きだった優しい母の香りはしませんでした。香水の香りがして、トゲが手に刺さるような感覚がしました。握り返されない手も、トゲが刺さった手も、行き場がないので合わせて自分の太ももの間に入れました。母はずっと私に背中を向けたまま寝ていました。いつもの事なのに、その日はとても寂しく感じました。あと、香水の香りに慣れなくて、あまり眠れませんでした。

 物置部屋掃除の翌日、私のベビーチェアやら、てんとう虫の衣装やらの幼少期の思い出たちは、玄関前の廊下に並ぶ"ゴミコレクション"に加えられていました。私はそれを横目に見て、学校に行く前から嫌な気持ちになって、いつもより乱暴に家の扉を閉めました。

 「いってらっしゃい」が聞こえなくなったあの家の鍵を閉める事が私の役割でした。ゴミしかないあの家に、鍵を閉める意味があるとは思っていませんでした。しかし以前一度、鍵を閉め忘れてしまった時、先に帰ってきた父にこっ酷く怒られた事がありました。
 あんな家に泥棒が入ったところで、盗るものはありません。泥棒も入る家を間違えたと思って引き返すでしょう。そもそも、散らかり尽くしたあの家に泥棒が入ったかどうかなんて、私達自身も気付かないんじゃないか、とさえ思いました。だから、鍵を閉め忘れたことに対して父が激怒していても、私は反省する気になれませんでした。ただ、父が怒鳴るような叱り方をしたのが初めてだったので、理不尽に思いつつも、どこか気味が悪いような恐怖心を感じました。あと、怒鳴る父の息がアルコール臭くて不快でした。


つづく

この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?