新しい人生を始めた話②
変身した自分
それは、情熱といえばよいのか、心地よく心を燃やしてくれる何かを手に入れた。
毎日パワーがあふれてくる。しかも、無理したり空回りしたりしない、余裕のあるパワーが。
そして、すっかり自分を信じている。きっと理想を叶えると。
あれだけ不信感や嫌悪感を抱いて、けなしまくっていた自分を。
あこがれていた、純粋なWantにもとづく行動もできている。自然に。
前職の頃は、後ろ向きな動機でしか行動できていない自分に嫌気がさしていた。
純粋なWantとは、
「~なりたいから」「~したいから」
後ろ向きな動機とは、
「~なるのは嫌だから」「~はしたくないから」のことだ。
どれだけ考えても、いや、考えれば考えるほど、純粋なWantを見つけられなかった。
純粋なWantで生きられたらどんなに幸せだろうと、憧れていた。そして半ば、あきらめていた。このまま生きていくんだ、と。
新しい人生を決心する前の自分
すでに、心が腐りかけていると感じていた。
生きながら、心の腐食はすすむ。
心が腐っていくのを分かっていて、それを放置する。
「自分を大切にする」とは正反対のことだ。
その時の自分のイメージは
真っ暗闇の空間で、生温かい泥沼の中をつま先立ちで歩いている感じ。
沼だから、とても歩きにくい。疲れるので、つま先立ちをやめたいが、やめれば、口と鼻が沼に浸かって、息ができなくなる。
だからつま先立ちで、真っ暗闇の中を進む。もちろん、どこに向かって歩いているのかわからない。光がないから。
「生温かい」というのは、福利厚生に恵まれていて、悪いことでもしなけりゃ生活は安泰って意味だ。
こんなことを、やり続けるのか?
自分の人生、これでいいのか?
生活安泰なら、真っ暗でいいの?
いや、何とかしたい。
唯一の救いは、
「自分がそんな状態にある」と気づけていて、上記のように「何とかしたい」と思えていたことだ。
心の病みがひどくなったときに受診した、心療内科の先生のおかげ。
その先生の所へ行った頃は、ただただ、自分を苛んでいた。
泣きながら、アザになるまで自分で自分の腕を殴った夜もあったなぁ。
新しい自分
そんな自分が、今は、明るい希望の光の中を、軽やかに、たくましく歩いている。
この土地、この仕事、ありがとう。
関わってくれた人、みんな、ありがとう。
もう一か月ほど経つが、自分が、故郷を出て、この土地で希望に向かって毎日生きているなんて、未だに、少し信じられない。
前の仕事をきれいさっぱり辞めて、信じる道を歩いている。
先は見えないはずなのに、明るい。
それは、自分の力で切り拓くと思っているからだ。必ずこの手で拓いてみせると。
あんなにふがいなくて大嫌いだった自分に、頼っている。
死ねばいいのに、クソな奴だ、と散々罵倒していた自分に、かけている。
自分は、来るべきところに来た、これがお前の来るべき場所だった。
遠回りしたけど、やっとたどり着いた。
そう思っている。
根拠があるようでないような自信と、明るく熱い何かが、心にしっかりと宿っている。
最初にも書いたが、
それは決して重苦しいものではなく、心を軽くするものだ。
先が見えないのに、
やっていけるかも、実際は分からないのに、なぜ明るいのだろう。
健康でいたい。自分を大切にしたい。心からそう思えている。
そして何より、生まれ変わったかのように、明るい性格になった。
母親が言うんだから間違いない。
「お前がこんなに笑う奴だとは知らなかった」
「こんなによくしゃべる奴だったとは」
この道を決心してから、180度変わったらしい。
仲良くしてくれていた人からも、顔つきが明るくなったと言われた。
今、生まれて初めて、
自分のことを大切に思えている自覚がある。
自分のことを好きになれてきている気がする。
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