他社のベストプラクティスを安易に真似するだけでは、組織はバランスを失い、取り返しのつかない結果を招く

行きつ戻りつの議論の末、海外事業の事業モデルは以下の2つに絞り込まれた。

① 東南アジア向けの汎用工作機事業モデル
② 欧米の大型工作機メーカー向けの加工制御装置事業モデル

その内容はこうであった。

① 東南アジア向けの汎用工作機事業モデル
機械化が十分ではないアジア諸国をターゲットに汎用工作機を販売する。
アジアの汎用工作機メーカーに加工制御装置を販売する、いわゆる「装置メーカー」モデルも考えたが、工作機メーカーにノウハウを盗まれて最終的に切り捨てられたり、加工制御装置分野で小野寺工業のライバルになられたりしたのでは都合が悪い。敵に塩を送ることになってしまう。
そこで、東南アジア向けに関しては、加工制御装置ではなく汎用工作機そのものを提供することにした。
小野寺工業が加工制御装置を開発する過程で獲得してきたノウハウは、普及型の汎用工作機を開発、製造するには十分だった。しかし、製造原価を今よりもさらに低減しなければならないのは明らかだ。そうなると、設計とソフトウェア開発は日本国内で行なうが、製造は海外に子会社を新設することになるだろう。現地の汎用工作機メーカーを企業ごと買収するという選択肢もある。

② 欧米の大型工作機メーカー向けの加工制御装置事業モデル
加工制御装置をシリーズ展開して海外の大型工作機メーカーに販売する。
ベースシステムを開発しておき、これにカスタマイズを加えて各メーカーに提供する。近畿工作機と取引してきたノウハウが活きるはずだが、これまでは近畿工作機の要望を伺い、それを実現してきただけだった。企画力が問われるベースシステム開発が必要となれば話は別だ。ここでもまた、小野寺工業のチャレンジが始まることになる。
しかし、この事業には大きな旨味がある。この事業を通じて、海外メーカーから加工ライン全体の制御ノウハウを吸収することができるからだ。

当面の間は、これら2つの事業モデルに相乗効果はない。国内で培ってきた技術は可能な限り活用するものの、ビジネス面では国内事業との相乗効果もない。海外事業を運営する事業部は、まるで独立した企業が社内にひとつできたかのように立ち振る舞うことになるだろう。
とはいえ、それは「当面」の話であって、将来的にはひとつの企業体として全体で競争力を高めていかなければならない。
その先にあるものは何か …
笠間は、期待と不安が入り混じる中で、小野寺工業の行く末に思いを馳せていた。

「国内では、近畿工作機が系列企業の切り捨てを一層加速させるだろう。そうなると、うちも国内事業の規模を縮小せざるをえない。海外で獲得したノウハウや技術が、近い将来、小野寺工業の屋台骨を支えることになるだろう」

短い休憩を挟み、笠間たちは次の検討に入った。
事業を立ち上げるには、事業立ち上げに必要なスキルを洗い出し、今あるスキルとのギャップを明らかにする必要があった。手始めに、現状認識をコアチーム全員で共有することにした。

 東南アジア向けの汎用工作機や、欧米大型工作機メーカー向けの加工制御装置のベースシステムの企画に着手しなければならないが、商品企画の経験やノウハウは小野寺工業にはまったくない。
 近畿工作機以外の顧客と向き合ったことはほとんどない。
 これまではいつも受け身だったので、顧客へのソリューション提案なんてしたことがない。経験があるのは、引き合いの際に、顧客要件への回答をまとめた程度の提案だけだ。
 海外の工作機市場のことはまったく知らない。海外市場に関する情報の蓄積などはほとんどない。
 これまで、先行投資なんてしたことがない。投資判断のようなリスクの高い意思決定は誰もしたことがない。
 海外での事業運営経験はほとんどない。あるとすれば、引き合いに応じるかたちで始めた加工制御ソフトウェア事業と制御機器事業だけだが、どちらもいまだに小規模なままである。
 最先端を追及してきたので、開発者にコスト意識は皆無だ。企業全体としても、価格競争力などまったくない。

全員に重たい空気が立ち込めたところで、この日の議論は終わった。

数日が経過したが、コアチームの議論に大きな進展はなかった。
そんなある日、笠間は役員会の席で海外事業立ち上げに向けた方針を説明することとなった。当然、気乗りはしなかった。

案の定、悪い予感は当たった。

「海外にはマサチューセッツマシナリーのように成功している企業もある。彼らのベストプラクティスを真似すればいいじゃないか」

発言したのは、近畿工作機を主管する営業部門の幹部だった。
ベストプラクティスとは、結果を得るのに最も効率がよいと考えられる、実績に裏打ちされた技法、手法、プロセス、活動などのことである。幹部連中の間では、この言葉がブームのようになっていた。

ベストプラクティスという言葉が日本で広く使われ始めたのは、海外の業務パッケージソフトが脚光を浴び、急激に普及し始めたころのことだった。当時、これらのパッケージソフトは「ベストプラクティスを詰め込んだソフト」として紹介され、この言葉が普及するきっかけとなった。
2000年代に入り日本企業が凋落する中で、海外のベストプラクティスに突破口を求める経営者が急増した。そこかしこ、さまざまな業界や事業領域で欧米に倣ったベストプラクティスの導入が始まったが、結果的には、手放しに「成功した」とは言い難いケースも散見された。いや、むしろそのほうが多いくらいだった。

何を隠そう、そのころは、浦田もベストプラクティスの導入支援に明け暮れていた。この時代の苦い経験から、浦田は「ベストプラクティス」という言葉にいい印象を持っていなかった。

「ベストプラクティスは海面上に現れた氷山の一角であり、海面下の違いがベストプラクティスの定着を阻害する。知識としてはもっておくべきだが、鵜呑みにはできない」

これが浦田の行き付いた答だった。

海面下とは、組織の文化や価値観、ワークスタイルやコミュニケーションスタイル、コアコンピタンスなどを指す。
手足の短い日本人に、イタリア製のスタイリッシュなスーツは似合わない。ベストプラクティスブームは、解決策を持たない日本の経営陣の短絡的思考がもたらしたものだった。そんな経営者がいなくならない限り、得体の知れないベストプラクティスに会社の将来を委ねる風潮は、今後も消えることはないだろう。
これからも、多くの日本企業がベストプラクティスの実現に莫大な時間とお金を費やし、疲弊していくことになるだろう。
ベストプラクティスは、変革に向けた重要なインプットには違いないが、これをそのまま鵜呑みにしてはならない。

浦田は、自身が関わる事業変革では、安易なベストプラクティスの導入に警鐘を鳴らし続けていた。

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[ポイント]
ベストプラクティスを効果的に活用するには、海面下を含む組織の全体像をしっかり押さえておく必要がある。海面上には保有する技法やスキル、プロセスや活動、制度やルール、組織構造や役割分担、評価指標、ITの仕組みなどがあるが、私たち外部の人間が認識できるのは、このうちの外部向けに公開された情報だけだ。
これに対し、水面下には、外部に公開されていない情報のほかに、組織の文化や価値観、ワークスタイルやコミュニケーションスタイル、コアコンピタンスなどがあり、場合によっては顧客の特性などもこの中に含まれる。これらには相互に依存関係が存在し、海面上と海面下も密接につながっている。組織を要素ごとに整理するのではなく、これらの依存関係を明らかにすることは、ベストプラクティスを安全かつ効果的に取り入れるためには欠かせない。

一方で、ベストプラクティスの本質を理解することも大事だ。ただし、そのために必要となる海面下の情報が不足しているケースは多い。予測と想像を交えながら、あまり具体的になり過ぎないように概念的にアプローチしたほうが、得られる効果は大きいだろう。
最終的には、組織の全体像とベストプラクティスの本質をわかり易く整理し、共通認識した上で、関係者で議論を重ねるといい。

[場当たり的な後藤部長の思考]
結果が出ている組織と出ていない私たちとは、やり方がどこか違うはず。私たちの事業のやり方が悪いから、悪い結果しか出ていないということだ。結果を出している組織を分析し、それと同じことをやれば、私たちもよくなれるだろう。真似する相手が自分たちと同じ業界ならなおいい。
成功している組織の話を聴くと受け入れ難い点も多々あるが、先ずはできそうなところから順に真似していけばいい。こうすることで、遅ればせながらも成功企業に近づきたい。

[本質に向き合う吉田部長の思考]
海外で成功を収めている企業のやり方をベストプラクティスと称して導入しようというやり方が、いつからか日本企業の変革スタイルになってしまった。しかし、ベストプラクティスの対象はあくまで慣行であって、組織のひとつの側面しか見ていない。ベストプラクティスを導入する組織は、現状のやり方とベストプラクティスとのギャップを埋めようとするが、真似できるのは目に見える部分だけ。組織は人で動いており、その人たちなりのスキルや価値観、働き方や工夫、知恵などがあるわけだが、それは見えないので真似できない。
海面下にある組織の背景を意識しない限り、氷山はバランスを失い転覆しかねない。海面下にも目を向け、全体像をしっかりと把握する。ベストプラクティスの本質を理解した上で、事業運営のバランスを見極めつつ、取り込むべきところは取り込み、捨てるべきところは捨てる。これができるのであれば、ベストプラクティスは極めて有効な情報となるに違いない。

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