記事一覧
ワクチンを打つか打たないか決める、ということについて
コロナ禍に見舞われてから長い月日が経った。コロナ渦と呼んでいたあの頃がすでに懐かしい。医学も抵抗の兆しを見せ始め、ワクチンが出回るようになった。今、日本はワクチン争奪合戦の最中にある。ご存知の通り、ワクチンは重症化しやすい高齢者に優先的に支給されているため、まだ20代の私のもとには届いてない。しかし、数ヶ月以内には接種できる見込みもあるため、そろそろ調べてみるかと重い腰を上げたことがこのテキストに
もっとみる理数モデルという文学
また、コロナウイルス関連です。
私はゲンロンの東浩紀さんの著作の愛読者です。発売される新書はすかさチェックするし、東さんの周りでどのような議論が起きてるのかにもとても興味があります。
今回はBLOGOSの「ネットの存在が思考停止を引き起こした」東浩紀が新型コロナ時代に考える人文知の価値 という記事の感想を書きます。
https://lite.blogos.com/article/459219
#検察庁法案改正に抗議します
最近政治に興味を持ち始めた若者です。きっかけは #検察庁法案改正に抗議します がバズっていたから。どうやら社会の授業で習った三権分立の原則が崩れようとしているらしい。やばいよね。
なんで安倍政権はそんな危険なことをこのコロナ禍で強行採決しようとしてるのか?
どうやら桜を見る会を巡ってのことらしい。
つまり保身ってこと?
結局なにが正しくてなにが正しくないのかはよく分からない。けれど、分かったこ
ポストコロナとかウィズコロナとか、本当に何か変わるのだろうか?
コロナウイルスのパンデミックによって世界の状況は大きく変わりました。私たち日本人は政府から自粛を要請され、これまでの日常に自ら制約を与えなければならなくなりました。仕事や育児は家庭に集約され、住宅から都市へと移行した様々な機能は再び住宅へと戻ることになりました。しかし、家族構成も住宅のあり方も前の状態のままで、そこに齟齬が起きるという問題も起こっています。
そこで私は時間について考えたい。住宅を
コロナウイルスが可視化したものを考えてみませんか?
2020年、コロナウイルス により世界は混乱している。2019年に中国で発生した同ウイルスは瞬く間に世界に広がった。
私の地元はとある日本の田舎である。はじめは遠い国の小さな出来事だったウイルスのパンデミックも今や自己の問題として疑わない者はいない。
まだ終息しないうちにこのパンデミックが何を見せたか、などということをまとめ始めるのはいささか不用意であるが、緊急事態宣言の第1期が過ぎた今日、振
コロナウイルスからなにを学ぶか
3/11、東日本大震災から9年が経ったこの日。コロナウイルスに混乱する日本では、SoftBank CEOの孫正義がTwitterで大胆な提案をした。
「100万人分の検査費用を保証したい。」と。
現在、コロナウイルスの検査であるPRC検査は数が限定されており、検査を受けたくても受けられない人が多くいる。そんな人々に向けた粋な提案のように思えた。しかし、Twitterでの反応は意外なものだった。
代
愛知トリエンナーレ③
先日あいちトリエンナーレが幕を閉じました。まず、多くの関係者の皆様、会期終日まで運営いただきありがとうございました。お陰で素晴らしいアートの数々を鑑賞することができました。一来場者として感謝申し上げます。
-補助金不交付はなにを意味するか?さて、会期終了後もまだまだ議論が絶えないあいちトリエンナーレですが、私はこの文章をもってあいちトリエンナーレに関する言及を一度終わりにします。
最後に補助金
「仮面の告白」三島由紀夫
先日、三島由紀夫の仮面の告白を読んだ。先月太宰治の「人間失格」が再び映画化され、これをきっかけにもう一度日本文学を読み直そうとしたためである。
その内容は私が解説するよりもオリエンタルラジオの中田さんがYouTubeチャンネルでアツく解説しているのでそちらを参照していただきたい。
-男・死・美中田さんの言うようにこの本は 男、美、死の3軸に尽きる。三島は今で言うところのゲイだった。しかし、当時
あいちトリエンナーレ②
-「表現の不自由展」についておよそ80のうちのたった1つを取り上げてテキストすることは適切ではない。しかし、それは避けては通れないものになってしまった。
-芸術とはなにかそんなことは分かるわけない。辞書で調べたり、専門的に研究したりしたとしてもそれを定義することはできない。今回の「昭和天皇の写真を燃やす映像」も「慰安婦像のフェイク」も芸術であり芸術ではない。芸術は常に何かに回収され、時代ごとに姿
あいちトリエンナーレ①
先日、愛知を訪れた。目的は開催中のトリエンナーレを鑑賞することだった。
-ネットと現場の違い私が訪れた10/8は8/3以降、閉鎖されていた「表現の不自由展」の再開初日だったため、会場は朝から記者で賑わった。私もその記者の1人取材を申し込まれ、淡々と当たり障りないことを言った。(おそらく記事にはならないだろう)
現在、あいちトリエンナーレといえば「表現の不自由展」といった印象の人も多いだろう。