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ささくれ

知らないうちに、増えている。

水に濡れたり、何かに擦れて痛かった時や
衣服に血がついていて驚いた時など

「あれ?」
「痛い!」
と思ってから、気づく。

ささくれのように

心も同じで

自分でも気付かないうちに、小さな傷が増えていて
治るのに時間を要する時がある。


“傷つく”ということ


その瞬間は、そこまで気にならないのに

あとから
ジワジワ、じわじわと

繰り返しフラッシュバックしたり
なんとなく晴れないモヤが、ずっと頭と身体を覆っていて、付き纏っているような感覚。

そして
「嫌だったな」という思いがどんどん肥大していくことがある。


例えば、休日に、
仕事であった嫌なことを思い出すとか。

嫌だったことと対峙していない時でも
嫌だった時のことをずっと考えているのは
なんだかとても“損している”気分だ。

時間がもったいない。

いくら考えたって、思い出したって
嫌な思いを繰り返し思い出しては、「嫌だった」と言う思いが大きくなっていくだけで、
気持ちは反対に沈んでいく。
なんの得にもならないのに。

そんなことを考えてる時間があるのなら
楽しいことを考えたり
前向きな行動をした方が
心もきっと明るくなって、ひとときでも嫌なことを忘れられるのに。

…と、思う。

分かっているのに

頭から、離れない。

他のことをしていても、集中できない。

無作為に
繰り返し再生される、嫌な記憶。

きっと、これが“傷ついている”ということなのだろう。

…そんな時は、どうしたらいいのだろうか。


絆創膏を、早く貼りたい


第三者に話してしまったら
もう引き返せないような。

言葉にしてしまったら
本当のことになってしまうような。

そんな感じの、よくわからない恐怖がある。

けれど
状況は、自動的に変わってはくれない。

状況を変えたいのなら

いつかは自分が、行動する必要がある。


時間を置いた方がいい時と
一刻も早く解決した方がいい時があると思うけれど

その判断を、一人でするのは難しい。

ただ
誰かに何かを話す時には
相手に何を求めるかを考えて話したい。

「アドバイスや解決策はいらないから、とにかく話を聞いてくれ、吐き出させてくれ」
という即席ブラックホールを望むのか。

「こういうことがあって困っているので、助けてほしい」
というヘルプサインなのか。

「こんなことがあったので、今後はこうしたいと思います」
という意思表示なのか。

「どう思いますか?どう捉えるべきですか?」
という第三者の目線なのか。


…でないと相手もどうしたらいいのか、困ってしまうかもしれない。

そんなことを考えていると、時間だけが過ぎていき…

新しい心のささくれが
増えていっているような気がする。


本当は

何も考えず
自分が傷ついていると気づいた時、
すぐに誰かに打ち明けられたら。

「嫌だった」という思いは肥大しすぎずに済むのかもしれない。


ささくれの部分を丁寧にカットして
爪を整えるように

早く薬やクリームを塗って
絆創膏を貼るように

心もしっかりケアしてあげれば、
新しい傷も増えず、むしろ早めに治るのかもしれない。


傷ついたら、痛い


しかし、“人”が相手だと

この単純作業が、とても難しい時がある。

ただのささくれだと思って
「大したことじゃないな」といくら言い聞かせても
できてしまった箇所によってはとても痛んだり、
たくさんあれば、その指が血だらけになってしまうこともある。

当然のことながら

どんなに小さなものでも

傷ついたら、血だって出るし、痛いのだ。


「痛いの、痛いの、飛んでゆけ。」

なんて言っても解決しない現実で
絆創膏を常備して
明日もなんとか頑張って生きていこう。


2024.1.10

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