見出し画像

二年になります、お元気ですか?

先週のnoteで、亡くなったわたしの友人について触れたが、今日はその友人の二周忌である。26日の日付をまたぎ、「27日」を迎えたころ、胸が締め付けられるように切なくなって泣いた。でも、それでいいのだ。
そして先週のnoteに書いた通り、今日はその友人と最後に会ったときの話を書く。何の変哲もない数時間だったが、とにかく今はそれがとても大事な思い出だ。


友人と最後に会ったのは2016年の5月くらいのことだったろうか。いつも通り、「飲みに行こうよ!」とわたしから声をかけた。短大卒業後は、同じ実験・実習グループだった女友達2人も含めた、4人で会うことがお決まりのようだったのだが、年を追うごとにだんだんその関係に疲れるようになり、ついにはわたしと彼とでサシで飲むことがスタンダードになっていた。

その日、わたしと友人は中野のカレー居酒屋に行った。Twitterでその居酒屋を知って以来、ずっと行ってみたかったのだ。店内は小ぢんまりとしており、我々はカウンター席に案内された。インドビールやチキンなどを美味い美味いと味わっていると、途中、タレントの松村邦洋さんがふらりとお店に入ってきた。しかし、その日は予約で席がいっぱいだったらしい。スタッフが申し訳なさそう顔で松村さんにそう告げると、彼は「そうか!じゃあまた来るよ!」と笑顔で帰っていった。松村さんは美味しいものに目がないといった、目のキラキラした人の好さそうな顔で、その表情はわたしの父を彷彿とさせた。

そういえば、2013年1月に父が亡くなったあと、はじめて会った友人も彼だった気がする。同年2月にサシで飲んで、実は父が死んだのだと話した。あのとき、いつも飄々としている彼が、落ち着いたトーンで親身に真剣にわたしの話を聞いてくれた。この人はちゃんとわたしの『友達』なんだなと思って、それが本当にうれしかった。そして翌月3月には、わたしのバンドのライブに来てくれてた。気を遣ってくれていたのだろう。そのとき、誕生日プレゼントだと言って、ドラえもんに出てくるジャイ子(ジャイアンの妹)がかぶる”ベレー帽”みたいな帽子をくれたっけ。
※なぜ帽子をくれたかというと、当時、”姉の結婚式に使うウェルカムボードを描く”という話を彼にしていたからだ。「将来ヒガシノさんの絵が売れることを期待して今サインをもらう」とふざけていたけれど、実際に完成したウェルカムボードの絵を送ったら、「普通に良くて驚いた」と褒めてくれた。どこまでも優しかったな。


話は戻って、カレー居酒屋で飲んだわたしたちは、店を出るとダーツ屋でもないかと近くをブラブラ。結局ビリヤードをやることにした。わたしはビリヤードが初めてだったので、友人に遊び方を教えてもらったが、難しくてすぐに飽きた。そのため、彼が打つボールを手で止めるなど、妨害しながら時間を過ごした。とはいえゲームにはわたしが負けたので、遊んだあとはコンビニでアイスを奢り、食べながら駅に向かった。それじゃあまた飲もうね。そんな感じで別れた。

ビリヤードやダーツなどの遊びを教えてくれたのは、この友人だった。でも二人ともこういう遊びはものすごく下手くそだし、ちっとも格好よくプレイができない。でもそんなド下手だからこそ、遊ぶのが楽しい。だから二人で飲んだあとは、ダーツをして遊ぶか何かをするのが、当時の流れだった。不格好なプレイをしながら、お互いにずーっと笑い転げていた。ちなみにダーツの腕は二人ともどっこいどっこいだったが、特にわたしが下手だったので、満足にボードに刺さるまで投げさせてもらうなど、よくズルをさせてもらっていた。(文句を言いながらも許してくれる)


以上が、生前わたしと友人が最後に会った、大切な思い出である。この楽しかった時間を、上書きすることはできないし、もちろん上書きする必要はない。あの時こうすればよかったかな、あの選択をすれば何か違ったのかな、はもうしたくない。友人が暗がりのなかで、薄れゆく意識のなかで、”一日がはじまる音”を聞きながら何を思ったのか、その気持ちを分かりたいという気持ちは変わらない。それでも分からないから、分からないなりに、友人に寄り添って生きればいいと思う。

しかし、一周忌を迎えたあとにはしっかりと夢枕に立ってくれたのに、最近ではさっぱりだ。寂しいぜ。たまには遊びに来てくれよな!

あいつを天国にぶちこむ話。(2016/11/22)
死んで一年、生きてもう一年。(2017/11/04)
久しぶりに夢枕に立った友人のはなし。(2017/11/20)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?