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死んで一年、生きてもう一年。

先週の金曜日から風邪が続いている。喉・鼻・咳ときて、また鼻だ。週3日しか会社に行かないくせに、うち2日間を休んでしまうほどだった。サンサンと晴れた外、寝ているわたし、加湿器のボコボコという音。どうしても、気持ちが塞ぎこんでしまった。

先週の金曜日、10月27日は友人が亡くなってちょうど一年になる日だった。とはいえ、わたしが友人が亡くなった事実を知ったのは2016年11月8日のこと。だから、本当の意味で1年を迎えるのは、あともう少し…という気もする。

意外とちゃんと一年が過ぎてしまったこと、過ごせてしまったこと。ある種の諦めと、さみしさと、納得。彼の母親からその事実を聞いたあの日は、昨日のことのように覚えているし、その衝撃は決して薄れていない。仕事中、彼を思い出しては涙が出そうになること、365日変わらなかった。(変わらなかったなあ、と何だかホッとしたよ。)一年前、このnoteに書いた記事を読んで、ああそうだったそうだった、ってこっそり泣いた。(あいつを天国にぶちこむ話。

自分のnoteのタグ(カテゴリ)の数を見ると、「仕事」に次いで「死」が多い。最初は、亡くなった父について触れる記事が多いというのもあったけれど、友人が亡くなって尚増えたのだろう。この一年、わたしは友人のことばかり考え、その思いを書き起こし、ことあるごとに傷心したり自分を納得させてきた。何かを書こうと思うと、やはり、自然そればかりだった。友人について思い出すこと、考えること、もちろん大事な時間だ。むしろこれからも積極的にそうしていきたい。その反面、どこかの記事で書いた気がするけれど、やっぱり生きているみんなとの時間を大切にしたいし、そういう前向きな気持ちも持っていきたい。正式なものではないにしろ『一周忌』を迎えた今のわたしが心に掲げているのは、この”意識”です。

10月27日以前の自分の記事をざっと見た時に、やっぱり友人の死が”嘘なのでは?””どこかで生きていそう…”という、分かっているけれど信じたくない現象に陥っていたみたい。(おそらく、「あと少しで一年…一年経ってしまう…」という気持ちが強かったよう。)今は不思議と、そういう気持ちはあまり起こらない。その代り、この一週間、一人家に居ることが多かったわたしが考えていたのは、彼の最期についてだった。加湿器のモクモクと上がる水蒸気が、彼が最期に焚いた練炭を連想させてしまったせいもあるだろう。また、部屋の仕切りのカーテンがあるのだけど、それを閉めてしまうと、なぜか気持ちも落ち込み気味になった。”一人”という空間が、グッと強くなるからかもしれない。

「どんな気持ちで部屋に一人いたのかな」「どうやって死を決心をしたのかな」。わたしは家で寝ながら、”こうやって一人でいろんな音を聞きながら、自分の最期について考えていたのかしら…”と胸が締め付けられた。つらかった。彼の死を知ったあとの一週間も、こんな風に彼の気持ちばかり考えて苦しんだ。その時は現場の写真を見たり、鮮明な話を聞いたあとだったから、大きなショックと何もできなかった侘しさで、本当に苦しい一週間だった。(しかし一年経って、その一番苦しく悲しかった時間はもう二度と来ないんだ、と安心はしている。)

今日、後輩と御茶ノ水へご飯を食べに行った。彼女は大学時代からずっとわたしを慕ってくれている。ご飯のあと、マルゼンでカレンダーを買った。アートのカレンダーも充実しており、ダリやパウル・クレー、ピカソなど迷った。わたしがピカソを飾るには、まだ気障なような気がしたり、

ダリの絵は好きだがカレンダーとして飾るには、あまり前向きな絵じゃないような…

クレーも素敵だが、何だかそこまで自分の精神状態が超越できていない気も。云々……。

最終的にわたしが購入したのは、絵本作家エドワード・ゴーリーのカレンダーだった。

不穏な絵なのに、どこかチャーミングな絵を描くゴーリー。このカレンダーは、上記の写真のように可愛らしいものがチョイスされていて、ちょっと珍しい。今まであまり注目していなかったけれど、大学時代の親しい友人が、展示に連れて行ってくれて大好きになった。「明るい一年にするわ」と後輩に言ってこのカレンダーを選んだわたし。そうだな、前向きに行こうな、と思った。

帰りがけ、昨日ライブでお話をした可愛らしい年下バンドマンから連絡が入っていた。お互いに共通項が多く話ふけってしまい、老婆心出しすぎで鬱陶しかったかな…と気にかけていたが、彼女は、楽しい時間だった、もっとたくさん話したいと言ってくれた。

普段あまり寄らないスーパーに行ったら、昨日買ったリンゴと同じ値段なのに、一回り大きいリンゴが置いてあった。悔しかったけど、また2個買った。早く風邪を治したいし、良いか、と思った。

今日、自分の行動がすべて”前向き”であるように思えた。一日を過ごして、色々な人との関わりや好意がたくさん寄り集まり、今こうやって過ごせているのだと実感した。そのたくさんを、わたしからもお返ししたり、伝えていったり、できればと思う。友人のことを悲しいと思うことは変わらない。それでも、前向きに、ちょっとずつ形を変えて、そして時間をかけて、わたしなりの解釈を深めていきたい。

(明日は久しぶりにオトンの墓参り。もう、友人も父も全然夢に出てこないので叱ってきます。)

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