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次のドリルがあった日々

小学校1年から3年まで、ブラジルのサントスで日本語学校に行っていた。1年生から6年生まで生徒8人に先生1人。教えてくれていた遠藤先生は、日本から移住してきたもと小学校教師。学校と言っても、場所は先生のご自宅。授業は生徒ひとりひとりの理解力に合わせて、わからないところはトコトン時間をかけて教えてくれるという贅沢さ。3時になると先生が出してくれた手作りおやつも待ち遠しくって、私はその小さな学校へ行くのが毎日楽しくてたまらなかった。

私にとって、学校というものは大好きな(勉強の時にはちゃんと厳しい)先生のおうちに遊びに行くことだった。

あの日本語学校で使っていたドリルが忘れられない。国語、算数、各教科ごとに1冊ずつあって、大きさ、厚さ、重さ、全てにおいて絶妙だった。学年の初めに新しく渡される時は、まるで誕生日ケーキに点灯するような嬉しさだった。

おまけに!
自分のスピードで早く終わらせることができた子は、飛び級で次の新しい1冊がもらえるのだった。誕生日が1年に何回も来るのだ。ワクワクするではないか!

4年生になる前に国語は6年生、算数は5年生の分まで終えて、得意満面だった私。お誕生日が何より楽しみで、新しいドリルは胸にキラキラ光る勲章で、、飛ぶように過ぎたあの3年間。新しいドリルの新しいページを開いて、正しい答のある、正しい問題を解いていく。やり終えたドリルは正しい大きさと正しい厚みを持って貯まっていく。In front of my eyes.
あんなにわかりやすい日々はなかった。

白うさぎを追いかけるアリスのように、駆け足でドリルを追いかけ、追いつき、「次のドリルをちょうだい、早く早く」くるくる回りながらねだる私を、あの時母はどんな顔をして見ていたのだろう。

「次のドリルはもう無いよ」と言われる日が来るなんて、「次のドリルをくれる人」がいなくなる、いつかそんな日が来るなんて、疑いもしないこの子にどうやって伝えようと、母はあの日思っていたのかしら。

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