[1分小説] 適材適所
ベッドの上で目を覚ます。
カーテンの隙間から、うっすらと弱い光が射し込んでいた。
『もう、明け方だろうか?』
ぼんやりした頭で、律子は思う。
体が底なしにだるい。
横を向くと、愛欲を満たしたと見える男が寝息を立てて転がっていた。
痛む頭を押さえながら、彼女は昨夜のことを思い出す。
・
大理石の床、高い天井、壮麗なシャンデリア。
どこを見渡しても眩い光を放つ、豪華なホテルのロビー。
そこから伸びる長い廊下を進み、全面鏡張りのエレベーターに乗り込むと、
あっという間に、最上階の到着を知らせるベルが鳴って、
目の前に指定されたバーが現れた。
落とされた照明の中に浮かぶのは、艶々に磨かれた一枚板のカウンター。
そのひと席に、彼女は身を寄せた。
室内にゆったりと流れる時間の隣には、数日前に知り合ったばかりの男――。
そこで、自分はいったい、
何杯のグラスの底を眺めただろう。
酔いつぶれかけた彼女はそのまま、
階下の一室に向かったのだ、男と一緒に。
そして、今、この状況へと至る――。
・
「お姉ちゃん、まだそういうことしてるの?」
先週末、妹が前触れもなくマンションに訪ねて来た。
部屋の隅には、いかにも高級そうな厚手の紙袋に入ったままの、メゾンブランドの箱。
それが群れをなして、律子の部屋の一角を占めていた。
その光景を一瞥すると、妹は咎めるように言ったのだった。
「そういう男は、何人いてもいいのよ」
しかし、律子は平然と返す。
別に、ブランド物に興味はない。
男たちが一方的に押し付けてくるだけのことだ。
「でもね、仕方ないのよ、」律子は続けた。
「それが私の役回りなんだから」
それを聞くと妹は、眉を曇らせて、
姉のことを睨みつけた。
・
20代半ばの律子にとって、男というのは空気みたいなものだった。
どこへ行っても目の前にいる。
ただ――
彼女の瞳に映るのは、金や権力の言い換えとしての「男」ではない。
律子の興味を引くのは、男の中に潜む、
優しさ、
傲慢さ、
時には残忍さ。
そして、人前で凛と振る舞う姿の陰で、
ふいに見え隠れする、
虚しさや、淋しさ――
そんなものを、彼女は愛していた。
「会ったばかりの男と、寝る」
あるいは、
「数日置いて、都合を付けて逢う」
巷では即座に断罪されそうなそんな行いを、
だけれども、彼女は愛して止まなかった。
「普段決して見せない心の奥底を、男たちは自分に見せてくる、だから自分はそれを受け容れる」
それは、自分だからできること。
そんな機会を律子は求めているだけなのだ。
求めているのは、お金ではない。
『それのどこが悪いというのだろう?』
適材適所。
それが、世の中が一番効率よく回る方法。
彼女は常々、思っている。
『私にとっての適所を否定する権利は、誰にもないわ』
・
しかし、昨晩は飲みすぎた。
律子は少し反省する。
抜けるまで、しばらくかかるだろうか?
いつまで続くだろうか。
『――いつまで続けられるか分からないけれど、
男たちが自分を求める限り、私はこれを続けるの』
ひっそりと、そんな決意を新たにしながら、
『寒いっ』
肩まで素肌を出していた律子は、細く伸びる陽射しに背を向けると、
再びベッドに潜り込んで 目を閉じた。
夜が明けたばかりの静寂が、部屋に漂う。
見えないゆえに存在感を醸す静けさは、素知らぬ顔で、彼女を柔らかく包み込むように浮いていた。
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