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「日本人」であるということ

昨日は天皇陛下が即位を国内外に宣言される「即位の礼」が国の儀式として執り行われた。残念ながら生中継では見ることが出来なかったが、今やっとそれを見ながら、この文章を書いている。

今はインターネットがあるから外国に住んでいてもほとんど時間差なく見られるのは本当にありがたい。

海外に住んでいてもやはり、日本の伝統的な儀式は気になる。

前回、平成の「即位の礼」をテレビで観たのは1990年、29年前だからどんな儀式をどんな順番で行われるのかももう覚えていない。だからもう一度見てみたいし、これを逃したら次は何年後に行われるのかわからない。

天皇、皇后両陛下、そして皇族方の伝統的な装束や十二単姿、その前後のドレス姿、各国要人の正装姿も見てみたいし、どんな方々が来賓としていらっしゃっているのかも、もう、いろいろと気になる。

で、実際「即位礼正殿の儀」で、天皇陛下の真剣な、でも落ち着いた表情で即位宣言されたお姿、そして、皇后陛下の雅やかな、素晴らしい十二単姿を拝見して、その厳かで美しい様子に、日本には古くからの素晴らしい歴史と文化があることを再認識することができ、日本人として生まれてきて本当によかったな、と思った。


日本人であるということは、日本に住んでる時よりもむしろ海外に住んでいる今の方が強く感じる、というかいやでも感じさせられる。

ニューヨークではあまり聞かれなかったが、パリでは必ずといっていいほど「あなたは日本人?」と聞かれるし、道端で見ず知らずの、日本人も中国人も区別できないおじさん達から「ニーハオ」と挨拶されると、「私は中国人じゃない!日本人だ!」と反発したい感情が生まれてくる。

また、友人や同僚たちに、胸の高さに手を合わせてお辞儀する、タイの伝統的な挨拶を丁寧にされてしまうと、「ちょっと日本のそれと違うんだけどなあ…」と日本のお辞儀の仕方を思わず伝授したりする。

やはり、私が日本人であるということと、正しい日本の文化を知ってもらいたいという欲求は、たとえ私にそこまで愛国心がなかったとしても、自然と湧き上がってくる。

どんなに遠くはなれていても、海外の生活がどんなに気に入っていても、私自身に何かあった時に帰るところ、私の故郷はやっぱり「日本」なのだ。



私が海外に暮らしてみたかった理由の一つに、海外から一度「日本を」客観視してみたい、そして国際的な視点から日本を見てみたかったというのがある。

実際に20年近く暮らしてみて、日本に暮らしている時には見えなかったモノがだんだん見えてきたような気がする。そして、欧米の人々と日本人との考え方の違いもよく感じるし、日本人であるゆえに感じる、海外生活の難しさもあると思う。

それがどんなことなのか、私自身が今どう考えながら海外で生活をしているのかは、これから時間をかけてだんだん皆さんにお伝えできればなあと思う。


もうひとつ、海外で長年暮らしてきて、自分自身、意外に思ったのは「桜」の季節にノスタルジックな気分にかられてしまうことだ。

実は海外に住み着いて以来、桜の開花時に帰国できていないことから、もう19年ほど、日本の桜を見ていない。日本にいた時には「当たり前の風景」だった桜の花やお花見の様子が、今となっては恋しくて、日本に帰りたくなる。

日本にいた時には全くそんな感情が湧き出るとは思ってもみなかったし、桜が日本を代表する花だとも思っていなかった。でもあの「当たり前の風景」は日本独特のものであって、海外で見る桜とはやはり違う風情があり、それに郷愁を感じるのは、やっぱり私は「日本人」なんだなあとつくづく思う。



先日の台風19号の甚大な被害で、東日本の多くの地域の人々が今でも辛い生活を強いられている。そして、また次の台風がいつ来るかもわからない状況だ。

もう、「即位の礼」どころではなかったのかもしれないが、それでも祝賀パレード「祝賀御列の儀」を除き、メインの儀式がつつがなく行われたのは、でもとりあえず良かったと思う。






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