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朽ちていった命

朽ちていった命 被曝治療83日間の記録


読んだ


東海村JCO臨界事故(とうかいむらジェー・シー・オーりんかいじこ)は、1999年9月30日茨城県那珂郡東海村にある株式会社ジェー・シー・オー住友金属鉱山子会社。以下「JCO」)の核燃料加工施設で発生した原子力事故臨界事故)である。日本国内で初めて、事故被曝による死亡者を出した。

Wikipedia


事故自体は知ってたし、いろいろ調べてネットで読んでたけど
本を買う勇気がなくて、あと勇気が出ても本屋さんで在庫がなくて


ネットで調べると結構(言葉が失礼だったら申し訳ないけど、)衝撃的な画像とかも残ってたりする



被曝って遠いようで近い存在だしちゃんと理解して考えて向き合うことが大切だなって、平凡な言葉に聞こえてしまうけど、本当にそう思った



被曝時に青い光(チェレンコフ光)を見て、逃げようとして嘔吐して気を失って、でも被曝直後は意識もしっかりしていて受け答えもできて
特に外傷もない、ってなると、素人の私でも「もしかしたら治るのかもしれない」って思っちゃうかもしれない

放射線医学の知識から考えると、大内が浴びたと推定される放射線の量が致死的でらうことは誰の目にも明らかだった。しかし、この時点での大内は非常に元気で、どこから見ても高線量の被曝をした患者には見えなかった。

「ひょっとしたらよくなるんじゃないか。治療したら退院できる状態になるんじゃないかな」そういう印象を持った。




この本でもネットでも、一番衝撃的だったのが、体内の染色体がバラバラになってしまってたことだった

染色体がばらばらに破壊されたということは、今後新しい細胞が作られないことを意味していた。被曝した瞬間、大内の体は設計図を失ってしまったのだった。

新しく細胞を作ること、再生すること、それができなくなってしまって今あるものがどんどん崩れていくことしかできなくなるっていうことで



あと悪化のスピードから、放射線の恐ろしさがとても伝わって
被曝8日目は普通(ちょっと腫れていても)な右手が、26日目には皮膚が失われて赤黒く変化してしまってて
人間の体を内側から外側までこうやって壊していく放射線が怖いし、何より最初は普通だったのが恐ろしい



安楽死制度とか、意思疎通できない相手の意思確認とか、治療した方がその人のための幸せなのか、意味のある延命治療なのかとか難しい問題やケースも沢山あるんだと思う
だけどこの場合ってどうなんだろうな。この記事全部、医療や被曝に関して全く知識がない、この本を読んだただのいち素人の意見になるっていうのは大前提として、大内さんは最期の最期まで治療したいっていう意思があったのか

ご家族はもちろん希望を捨てないし、私がご家族の立場だとしても絶対に諦めたくない。だけど、誰が見ても助かる見込みのない状態で、本文にもあったけど鎮痛剤とかはあれど24時間常に激痛を感じているような描写もあったし、


また、運動機能は六段階のレベルのなかで上から三番目の4。「さわると逃げるように手足をひっこめる反応がある」ことを示している。つまり、このころも、大内は完全に意識があったとみられる。実際、看護婦がケアのときに手を持ち上げたり、足を動かしたりすると、大内は苦痛の表情を示した。


被曝という珍しいケース(しかも20シーベルト、一般の人が一年間に浴びる限度とされる量のおよそ2万倍に相当する、らしい)だからこそ医療の発展や資料としてもとても貴重なのは事実で、手探り状態だから先が読めないっていうのも事実で

明るく気丈に振る舞っていたご本人が「おれはモルモットじゃない」っていう言葉を発したところに、本音があったと思う。その後に人工呼吸器をつけることになって言葉を発せなくなってしまったし。この言葉が出た時点で、打ち切りにした方が良かったのではって思っちゃった


前川教授は「私が診ましょう。連れて帰る」とおっしゃいました。私は「負け戦ですよ」と考え直すよう説得しました。負け戦というと誤解されるかもしれませんが、どう考えても現在の医学で大内さんを救うことはできなかった。専門医であればあるほど、はっきりとわかります。大内さんが浴びた放射線の量はそれほど多かったのです。


看護師さんたちも「これで良いのか」「何がご本人のためになるのか」って悶々と考えるようになったのも、私が同じ立場だったらどう思うんだろうって考えた
人を救う立場として、治療をして治す、生きてもらうために尽くす、だけど相手は絶対に助からないであろう状態で、
治療をすることで希望よりも苦痛や絶望を与えてしまうんだったら…って









で、
正直な話私はこの本を読んでとても不快だったというか医師側のエゴがちょっと強いと感じてしまったんだけど(エゴというか美化というか)

あれだけ体の外側も、内側もボロボロになってしまったにもかかわらず、心臓だけは綺麗なままでしっかりと強く動いていた、みたいな
それを、彼の生きたいという気持ちなんだ、とか

心臓が止まってしまって強心剤とか与えて、戻った時に、やっぱり生きたいんだ、だから戻ってきてくれたんだ、とか


「見た目は変わり果てているけれど、がんばってきた大内さんのすべてが、そこにあると思ったんです。体はそこにある。いっぱい処置を受けてきて、痛い思いもして、亡くなったけど、いままでやってきたことが全部そこにある。ご遺体は、大内さんががんばってきた、その結晶だと思ったんです。本当はがんばらせられたのかもしれないけど。それを思うと悲しかった。それほどつらいご遺体だったんです」

何度も書くけど私はただの読者で素人ということを大前提にして、あと言葉のニュアンス違いもあるかもしれないとして、それでもなんか…「ここまでがんばってきた大内さんの努力の結晶」というより「もやもやしつつもここまでがんばってきた医療の結果、結晶」っていう意味に感じちゃった。性格悪くてごめんなさいだけど

個人的にAmazonレビューの批判的な意見の一位にある方の言葉に完全同意だった

事故発生時、なんなら事故発生前の裏マニュアルで働いていた時(危険性も知らされていない)からずっと被害者じゃんって






生々しかったし恐ろしかったけど、知ることにとても意味があったし、読んで後悔はしてないけどエゴが強い、それだけ

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