おじいさん

この世界は1つに繋がっている

じいちゃんが私に話してくれた事がある。それは、この世界はみな1つに繋がっているという話。

私は性格上、色々な事をなんでもやりすぎる。自分が納得するところまでとことんやってしまい、それで体調を崩してしまう。普通ならば体調を崩してしまったら、休むというのが当然なのだろうけれど、私は体調を崩してもまだやり込んでしまう。一生懸命何かをやる事で私は自分の中にある不安や恐怖、そういったものを自分の中に押し込んでいる。

そんな私を見て、じいちゃんが私に言った事。それは、私がしたいことを何の自制もかけずに、ただ自分のしたい!という欲のままに、自分の体の声も聴かずに、ただ自分の意のままに振舞えば、この世界のどこかで何かが死ぬという事だった。

この世界には1つの大きなエネルギーの塊があり、それがそれぞれのものに必要な分だけ与えられているらしい。つまり、私には私に必要な分だけのエネルギーがもたらされているという事になる。でも、そのエネルギーを私は自分の中にある欲で過剰に消費してしまう。そうすると、私は自分が死ぬまでに与えられたエネルギーを死ぬ前に使い果たしてしまうという事になる。

自分に必要な分だけ与えられたエネルギー、それを使い切ってしまえば、私は自分の生を全うする事が出来ずに死んでしまう。つまり、エネルギー切れという事。でも、私たちはそんな事では死にたくない。では一体どうするのか?というと、私たちは自分以外の他の所から、エネルギーを日々うばいとって、それを自分のものにしているらしい。

それぞれに与えられた必要分のエネルギーがあり、そのエネルギーによって、それぞれのものがそれぞれのものとして成り立っている。それがこの地球という大きなシステムを作り上げている。でも、そのそれぞれに必要分だけ与えられたそのエネルギーを私たちは自分本位に奪い取っているという事になるようだ。

何故、花が枯れるのか?何故、昨日まで元気だった人が突然病気になってしまうのか?いきなり、その命を落としてしまうのか?その全ての原因は、そのもの自身に必要分与えられたそのエネルギーを他者によって必要以上に奪い取られているからだ!とそうじいちゃんは私に教えてくれた。

道端に咲く綺麗な花や、木、そういったもの。そこに生息する多くの生物、動物。更にその周りに生きる私たち人間。その全ては皆それぞれに必要な分だけのエネルギーがあらかじめ与えられている。でも、そのエネルギーを欲深いものが奪い取ってしまう。花に与えられた必要分のエネルギー、それを私たちが自分のその心を満たす為に奪い取る。だから、その花は美しく咲き、その自分の生を全うする前に枯れてしまう。

私たち人間は、自分の分というものをわきまえないといけない。自分に与えられたそのエネルギーの範囲で事を成さなければ、それ以上のエネルギーを使って何か事を成そうとすれば、その時、私たちは自分以外の何かから、確実にエネルギーを奪っている事になる。

誰かの寿命が、与えられた寿命よりも極端に短くなるのは、そのものが他の誰かや、何かに必要以上にエネルギーを奪われた証拠だ!とそうじいちゃんは私に教えてくれた。

自分の心の中にある不安や恐怖、それを払拭するために、自分がもっている以上のエネルギーを使って何かを成そうとすれば、その過剰なエネルギーは何処か他の所から奪ってこなくてはならなくなる。つまり、こんなちっぽけな私のいち行動が、世界の秩序というか、バランスを崩してしまっている事になるのだとそうじいちゃんは私に言った。

お前が心の中に持っている不安や恐怖、そういったものを抑え込むために、過剰に何かをしすぎれば、世界のどこかで、そのお前によってエネルギーを奪われたものが死ぬとそうじいちゃんは私に言った。

皆それぞれ、自分に必要なだけのエネルギーを与えらえられている。そのエネルギーを奪ってまで、自分のその身を満たそうとするな。そういった欲は今すぐに捨て去れ!でなければ、お前のその自分本位な行動が、この世界を地球を滅ぼす事になるとそう言われた。

自分の欲を先行させ、そのエネルギーを自分に引っ張れば、私の知らない何処かの誰かが、そして何かが、その自分に必要分与えられたそのエネルギーを奪われる事になる。

自分の欲を先行させて、それを過剰に満たす事で私たちはそれで満足している。でも、それで、自分に必要な分与えられていたそのエネルギーを奪われ、自分の生を全うする事が出来ずに命を落としていくものがいるという事も私たちは忘れてはならない。

人間も、動物も、自然もその全てが、その生を十分に全うするだけのエネルギーを与えられている。それを他者が奪い取るなんて事は本来あってはいけない事。それぞれが生きるのに必要な分だけ、与えられたそのエネルギーはそのものが自分の為に使うものでなければならない。他者によって自身に与えられたそのエネルギーを奪われれば、そのものは自分に与えられたその生を全うする事など出来ない。私たちは自分に与えられたものの中で生きなければならない。

自分の中にある不安や、恐怖、そういったものを払拭するために私たちは時に過剰にエネルギーを必要とする。自分を正当化する為に過剰にエネルギーを必要とする。自分を美しく見せるために過剰にエネルギーを必要とする。全ては皆自分の欲を満たす為。

私たちは考えなければいけない。自分のその心を満たす為に、他のものに与えられている必要分のエネルギーを奪う事が本当に真っ当な事なのかを。

この世界は全てが互いにバランスを取り合いながら、成り立っている。自分が自分の欲を先行させ、この世界に必要分あらかじめそれぞれのものに与えられているそのエネルギ―を自分のものにするならば、その他のものはこの世界のバランスを取るために、自ら、その命を捨てなければならなくなる。一方が過剰に栄えるなら、そのもう一方は衰退する。これは当然の事。

この世界の持つエネルギーが100MAXだったとするなら、その地球に必要とされ、与えられた100のエネルギーを私たちはこの地球で生きるありとあらゆるものと配分しなければならない。でも、そのエネルギーを今私たちは自分たちの為だけに使っている。この地球に生きるものは私たち人間だけじゃない。この地球には様々な生物や動物がいる。どこまでも続く広大な自然がある。その全てにエネルギーは与えられるべきであり、私たちが、この地球に与えられたエネルギーを全て自分のものにする事はあってはならない事。

自分に与えられた分の中で自分を回す。必要以上にエネルギーを使わない。エコな生き方をしなければ、この世界はだんだんと死んでいく。

この世界をこんな世界にしてしまったのは全て、私たち人間のせい。私たちの何処までも膨れがったこの欲が、この地球に必要とされて与えられているエネルギーのその全てをどうやら所有してしまったらしい。

じいちゃんは私に言う。疲れたなら休め。その自然の在り方に逆らうな。欲を先行させるなと。自分に与えられたエネルギーの範囲内で動け!と。他のものに与えられているエネルギーを奪ってまで、その自分の生を先行させるなと、欲を先行させるなと・・・。我の先行、それは他者の死を意味する。いつもながら、じいちゃんの話に私は何も反論する事が出来なかった。

私がいつも以上の行いをすれば、何かを過剰に行おうとすれば、そのお前が必要以上に自身に引き込んだそのエネルギーを世界のどこかで奪われたものがその命を落とす。その事だけはしっかりとその心にとどめておけとそうじいちゃんにいわれた。 責任を持って自分を生きるのだ!と。自分のその行い1つで私たちはいくらでも、世界中にある人やものの命を奪う事が出来る。いつもながら、じいちゃんの言葉に自分のこの心がえぐられた。


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