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白いため息こぼしてる僕

病み期脱出?でもまだ残滓が残っているのか本調子ではないももやまです。如何せんまだwithコロナだしな。

前回の記事は久しぶりにメンヘラ感満載だったね、いやはや自分のことなのに他人の記事を見てるような気持ちになったよ( ˘ω˘ )

読み返しながら心の中でツッコミを入れつつ無事精神のチューニングが完了。しかしまだ病床なので油断は禁物。暫くは療養に専念しようと思います。

しかしアウトプットって本当に大事だなと。

吐くだけ吐いてニトリの新しいマットレス&掛け布団&冬用カバーという最強装備で眠ったらもうスッキリよ。久しぶりに8時間ほぼぶっ続けの惰性ではない眠りにつけた。

やはり最近見続けていた悪夢の原因は寝具にあったのかもしれない。だってさ、見てコレ

\\\(^o^)/敷布団の厚みの差よ\(^o^)///

ほぼマットレスの3分の1じゃん。紛うことなきせんべい布団だったんだな、としみじみ思いました。これもうほぼ床で寝てたのと変わらないよね←

よくよくお泊まりに来る常に肩腰バッキバキの彼氏にも申し訳なくなりました(^q^)

なので今回は腰を支えるマットレスという商品をご購入。別に私は腰痛持ちじゃないんだけれどもこれが1番安い中で厚みもある寝具だったから丁度いいかなと。

厚みあるって凄いね!踏むと沈む!今までは踏んでも床の延長みたいな感触だったのに!

更に冬用の敷パットと布団カバーも購入したので試してみたらもうダメ。出たくなくなる素晴らしい空間の完成。

冷たい空気を遮断してくれる冬用の寝具ってこんなに快適なんだね!いつも着込んで震えながら眠りについてたわけだけどそんな生活ともおさらば。

お布団に入り空気を遮断さえすればすぐにポカポカ快適でスヤスヤよ。肌触りも最高。文明に初めて触れた人類みたいな気持ち←

\ありがとうニトリ。お値段以上でした/

私は往来の面倒臭がり&変化を嫌う性格のせいでいつも文明の発達に遅れて辿り着く。

いやでもこの出逢いのおかげで変化も大事なんだなと痛感したよ、掛け布団カバーの紐もいちいち結ばずにボタンで簡単に止められることにも感動した←

時代はどんどん便利になってるのね!!これからはちゃんと追いつき取り込んでいこう。

私のこういう不便を疑問に思わず慣れてしまうのは往来の性格も勿論あるんだけれども、家庭環境も大いに起因してると思うのよ。

だって実家はここ数年、給湯器が壊れたままなのである。お湯といえばお風呂かケトルで沸かさないと得られないものなのである。真冬の東北でも水で洗い物してるんだよ!?

母「なんとこの裏起毛ゴム手袋をすれば!!水もお湯!!!!🙌🏻」
私「雑な通販みたいなんやめて??」

なので髪や身体を洗うときはタライで湯船のお湯を掬い浴びる行水スタイル。えっいつの時代??と帰省するたび思う。

母も兄ももはや慣れてしまったのだろう、特に何も感じていないようで。しかしさすがにシャワーだけは復活してほしい私は説得するものの返事は芳しくはない。

母曰く「去年の夏暑すぎてホテルに避難したんだけれどもシャワーの水圧が痛かった😗」

身体が!!行水スタイルに順応している!!

人間の順応力って凄いよね、でも私はそれに適応したくないしできないんだごめんね…。

家賃を払っているのならば!!最低限そこに設置されている経年劣化で壊れたものくらい直してもらうべきだと思うんだよ!!

設備整ってこそのお値段設定なんだからさ。まあでも大家さんの奥さんが母の苦手なヒステリック他責思考タイプだからなあ…。

ちなみに我が家にはエアコンもありません。マジで時代逆行してる。私が夏に帰省しないのはそのせい←

でもまあその環境に在っても別段文句を言うわけでもなく自分達なりに工夫し苦なく生きているのであれば良いのかなとも思う昨今。

何事もそうだけど傍からはどう見えても当人達がどう思っているのかは分からない。

嘆いてるわけでも抜け出そうとしているわけでもないのなら、関与したところで大体徒労に終わるし相手にとっても余計なお世話かもしれないから傍観するのが1番なのよね。

だがしかしシャワーだけは浴びたいよ私は←

まあ帰省するのは大体年に1回だからその時くらいは郷に入って郷に従う気持ちで行水しようと思います( ˘ω˘ )

私も節々にこの母の遺伝子を感じるときがあるので結局は似た者親子なんだなあと。昔は似てるところ皆無って思ってたんだけどね。

母のどんなときでも工夫し楽しむメンタルは本当に尊敬するよ。今回の帰省でも変わらず楽しそうだったので良かった。

長年我が家の癌であった毒祖母ともようやく距離を置き始めたみたいで何よりです( ◜ᴗ◝)

母は今年で還暦なんだけれども今までずっと親孝行と称しては毒祖母に呼ばれれば会いに行き毎回傷付き帰ってきては愚痴を吐く、を延々と繰り返していた。

会わなければいいだけなのでは?と言ったり思ったりしながらも私はそれを浴びてきた。

因みに私は私の家族は母と兄と死んだ父しかいないと思っている。だからいつでも縁を切っていい、と中学の頃から言ってきた。

それでも親だからと、後悔はしたくないからと。会うのは構わないが土産話の恨み辛みを聞かされる立場にもなってくれ、とはついに言えなかったなあ。

私は毒親育ちではないので私には分からないしがらみがきっとあるんだろう。でも望まずのカウンセラーみたいな気分だった。幼少期からずっと。

それがようやく終焉を迎えたのだ。心の底から安心した。60年間お疲れ様。そして私も地獄のような恨み辛み昔話聞き役お疲れ様←

これで実家の心配事の最大の1つが無くなったよ。良い帰省でした。帰省話は他にも色々と書きたいことがあるんだけれど、長くなりそうなのでまたの機会に。

とか書いてたら2400文字到達(^q^)
ニトリの素晴らしさを書くだけの予定が←
まあ話脱線するのはよくあること( ˘ω˘ )

それでは今日はこの辺で。

://ツメタイヒカリ
>>Plastic Tree

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