【連載小説】『陽炎の彫刻』4‐2

 チェーン店の喫茶店に入った。ここに来る道中、何人かの客寄せに声をかけられたが、都会に何年もいれば、いなし方も覚えるものだ。きっと彼らの方でも、いなされ方を知っているのだ。レジでブレンドコーヒーを頼んで、喫煙席を探して座る。
 携帯電話を見ると、佐々木さんから着信とメールがあった。

 やあ、久しぶりに飲みに誘うおうと思っていたが、外から帰ってきたら君の方が先に帰っていた。梶川君と会ってるんじゃないかと思って、それなら尚更3人で久々にと思ったが、もう別れているかな?

 僕は煙草を吸いながら、佐々木さんからの間の悪いメッセージに返信をした。
 喫茶店の窓から通りを眺める。色んな人が通りすぎる。はしゃぐ学生、客を捕まえられない客寄せ、きらびやかな水商売風の身なりをした男女。警察。お世辞にも柄のいいとは言えない類の人間。コンビニや居酒屋の明かり。通行人に気を遣いながら徐行する車。間を縫うように走る原付バイク。音も賑やかだ。いろんな音が品のない混じり方をしているのが、ガラス越しにも伝わってくる。
 一時間近く、そうしていただろうか。人通りも少し落ち着いてきた頃を見計らって、僕は店を出た。電車に乗って自宅に帰った。
 自宅に帰ると、奈沙(なずな)から電話が入っていた。当時、彼女とは付き合っていた。電話を折り返す。
「もしもし。」
「もしもし。梶川君と会っていたの?」
「あたり。」
「久しぶりに連絡してみようと思って。」
 奈沙と久しく連絡をとっていないことに、その時気付いた。
「仕事も少し立て込んでいてね。」
 これは嘘ではなかった。事実、その年は夏頃から急な仕事が多く、いやに忙しく過ごしていた。しかし、嘘をついていないからと言って、申し訳なく思わなくてもよい理由にはならない。恋人をしばらく放っておいてしまっていたのだ。マナーとしては、あまりいいものではないだろう。
「ごめんね。せめて電話の一つくらいは寄越すべきだったかな。」
 僕は一応詫びを入れた。彼女は笑って言った。
「いいのよ。私、そんなにさみしがり屋に見える?」
「ううん。まったくだね。でも一応、マナーとしてよくない気がしたんだ。それだけだよ。」
 声の調子からして、奈沙は僕と会っていない間も、それなりに楽しく過ごしていたようだった。彼女は元々、僕と一緒にいなくてもそれなりに愉快に暮らせる人なのだ。そして、彼女のそういうところをこそ僕は気に入っていた。僕と奈沙が連絡をとったのは、3か月ぶりぐらいだったと思う。
「ねえ、健一君、ちょっと老けた?」
「どうして?」
「なんとなく、声の感じとか、年をとった感じがする。」
 たまに突拍子のないことを言い出すところも、僕は面白いと思っていた。電話越しの声だけで老けただの、年をとっただの、そんなことがわかるのだろうか。それはもしかしたら、見た目のこと言っているのではなかったのかもしれない。でも、今夜年をとったのは僕ではなくて、梶川君だ。
「秋のせいだよ。」
 彼女の突拍子のない質問に、僕も突拍子のない(ように彼女には見えるかもしれない)答えを返した。
 奈沙とは、今年中に一回は会うという約束をして電話を切った。電話を切ってしばらく後、雨が降ってきた。
 風呂から上がると、梶川君からメッセージが届いていた。メッセージを開いて確認する。用件はプレゼントのお礼だった。

 万年筆について色々調べてみた。万年筆って、持ち主の書き癖を覚えるみたいだね。初めて知ったよ。まるで年をとるみたいだ。面白いプレゼントを、ありがとう。
 
 返信をするのは、なんとなく照れくさくてやめた。
 雨はまだ続いていた。翌日まで続く、長い雨だった。

ー続ー

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