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第6章 アルテミスの器−2

時がいくつか経っただろうか。数えることよりも次の言葉を発しなければならない。そう感じていた。嘘であってほしい事実を前にした時、僕らは本質よりも幾分か違うことに頭を使い、夢であることを認識しようとしてしまうのかもしれない。目の前の男が言っていることは空耳で本当は何にもありませんでした。と。しかし、現実は非常にも押し寄せてくるのだった。

「未来はね、非常に聖杯を受け入れたがらない子だったよ。まあ無理もない。聖杯が好きな子などいないからね。この建物を見ると嘔吐してしまうほど嫌悪していたこともあった。」

笛吹さんは、虚空を見つめながら思い出しているようだった。僕は彼から発せられる言葉を正確に理解することに努めたが、途中からカフェのBGM程度になってただ立ち尽くしていた。

「君は、未来と寝たことはあるかね。」

不意に質問を振られ、大慌てで返答に対する答えを発した。

「もちろん。」

「彼女は、処女じゃなかったろ。」

「大学生になって処女じゃない女の子なんて珍しくもないですよ。」

「未来は、君と付き合うまで誰とも交際してこなかった。君が初めて交際した男性だった。」

「何が言いたいんですか。」

「いや、ただね。君がどういう気持なのかなと気になってね。」

笛吹さんは少し気味が悪い顔をしながら僕に語りかけてくる。

「聖杯を受けた子を知らずに抱く気持ちというものが。宗教とはいえ未来は、ずいぶん年上の男と幼少期に性行為をおこなった子はどうだったかな。感想を教えて欲しい。」

「下衆が。」

僕は思わず言葉が出てしまった。そうか。コイツは僕を最初から知っていたのか。だからこそ、今この瞬間に僕で遊んでいた。僕の感情をおもちゃにしていたのか。心音や呼吸の息づかい、表情からコイツは僕の感情を推察することができる。そんな人が僕の感情を揺るがし楽しんでいるということか。全く趣味が悪い。いや、趣味が悪いってレベルではなかった。

「下衆。すごい言われようだ。まあ、すまないね。統計サンプルが取りたくてね。心理学的な。」

「それをとって何になるんですか。」

「幼少期の性行為が与える脳の影響によって、その後の成長にどのような影響を与えるか。非常に気になるじゃないか。世界規模の対戦中にチベットやヒマラヤなんかの山村地域では、性処理を行うため軍人たちが現地住民の若い娘たちを捉え性処理の道具としていた事例もある。その子たちが大人になって特殊な才能に目覚めるケースが多いと聞く。そういう意味で、聖杯というものが与えるものが何かあるか気になっている。」

笛吹は悪びれる様子はなく、好奇心という悪魔に取り憑かれてしまっているらしい。

「最低だよ。あんた。」

「聖杯は素晴らしい。さらに、そこに付加価値が存在するなんていうことが分かれば、さらに聖杯を美しく清い行為になるじゃないか。」

「倫理というものを知らないんですね。」

「倫理。それは道徳的哲学という意味かな。」

「ええ、そうです。」

「君はカントを読んだことがあるかね。」

「多少はさらってます。」

「カントは近代的な哲学において貢献してくれた人だ。『純粋理性批判』や『実践理性批判』 、『判断力批判』といった有名な著作がある。カントは、私たちの認識は二項対立、つまり事象があるということと同時にないことを認めなくてはいけないと言い、特に真理というよりも認識する構造においてフォーカスしていた。」

「これと何が繋がっているんですか。」

「これは基本概念についての説明だよ。人が考える理想の道徳とはなんだろうか。誰かのために何かを行うことが道徳なのか。それは違う。そこには善人になりたいという欲求やその後にもらえる見返りを期待する欲求が存在している。自分が幸福になることに対して、人は捨てきれないのだよ。」

「それは、人によりけりでしょ。ボランティア精神で行われている活動も多いじゃないですか。」

「本当にそれはボランティアなのだろうか。就職面接の時にボランティア活動をアピールする子はなんでボランティア活動をアピールするのか。本当にボランティア活動を行なっている人はアピールなんてしないで寡黙に活動するのではないかね。」

「そ、それは。」

僕は口ごもった。確かに笛吹の言う通りだった。僕が何も言い返せないでいると少し笑みを浮かべ笛口は続けた。

「カントは欲求に飲まれずに道徳を行う方法として3つの要請をした。自由・魂の不死・神の3つだ。カントは神という存在が最も理想的で人の欲求から遠いものだと言っているのだ。そう、我が教祖は神の代弁者であり、その代弁者である教祖が行う行為において欲求というものはないのだよ。」

「この世の中に神様なんて存在しない。」

「神は存在するんだよ。」

「幻想に過ぎない。人が何かを求めて崇め立て、神という存在を作り上げるんだ。実在するというより概念的な問題だ。」

「神はね。我々がその存在を認識できるものではないんだよ。」

笛吹は短く確信して言った。僕は、どうしてここまで教祖や神の存在を信じられるのか分からなかった。まるで神の奴隷のように崇めている様子がだんだん気色悪く感じた。

「八百万の神という言葉は日本に昔からある。岩や森、川など自然に関するものに神が淀っているという概念。また、物にも神は宿るといい物を大切にせよという教えがある。神は確かにそこにいる。だが目には見えないからこそ、人は社を建てて神を祀っている。君はこういったことまで否定しているのかな。」

「それは否定していません。日本の文化としてそれは大切なことだと思っています。」

「ではなぜ、我々を否定するのかな。」

笛吹は一歩僕に迫ってきた。僕は否定するためには自分の弁が足りないことを気づいていた。この屁理屈まみれの論理を崩す。

「そういうことなのだよ。言い返せない。つまりそれが答えだ。」

笛吹は詰将棋のように僕を詰めてくる。会話が一つ進むたびに一手、着実に逃げ道を潰そうとしている。しかし、コイツはどうして僕にここまで論理を振り翳してくるのだろうか。ここまで詰めなくてもいいはずだ。むしろ知られて不都合なことを自分からペラペラと言っている。なんのメリットがコイツらにあるんだろう。そう思っていると笛吹はさらに続けた。

「ずっと君に聞きたいことがあってな。聞いてもいいかな。」

「なんですか。僕に聞きたいことって。」

笛吹は今日一番の笑みを浮かべて僕の耳元で囁いた。

「未来が死んだ時どう思った。」

「・・・・・。」

こいつ、何が聞きたいんだ。人間としての倫理ってものがないのか。僕は複雑な感情をうまく整理できずに黙っていた。

「悲しかった。それとも、自分のせいだと呪ったのかな。無力な自分に対して。」

「黙ってくれ。」

僕はナイフを突き刺すつもりで笛吹に叫んだ。笛吹は驚いた様子でこちらを見てすぐさま誤り始めた。

「いや、すまない。少し遊び過ぎた。別におちょくっているわけじゃないんだよ。まあ、これは未来の罰であり、君への罪かもしれないね。と言いたくて。」

「どういう意味ですか。確かに僕に対しての罪かもしれない。でも未来への罪とは。」

「君は自分の罰という認識はあるんだな。これは意外だった。」

「その話はいいです。未来の罪について教えてください。」

僕がそういうと、笛吹は短い咳払いをした。

「俺としては、君の罰に対する意識の方が気になるが。まあ、未来の罪について教えよう。」

僕は、怒りの感情よりも緊張感が優っていくのを感じながら笛吹の話に耳を傾けた。

「未来は、不純異性行為を行なっていたんだよ。つまり、売春行為だ。マッチングアプリを利用して知り合った男性とホテルに行きお金をもらう行為だ。」

「えっ」

僕は想定外の事実を聞かされて、困惑していた。未来が、売春行為をしていた。だが、少し納得もできた。あの時、未来がなぜ渋谷の交差点で見知らぬ男と一緒にいたかが。そう、あれはまさにこれからあの男とホテルに行くというところだったのかもしれない。正直裏切られた気持ちになった。浮気という方が幾分マシな結論になっていたことに対して酷く嘆きたくなっていた。酒が飲みたい。酒を飲んで忘れたい。そんなあの時よりももっと深刻な状況だったなんて。

「驚いている様子だね。まあ無理もない。我々も未来がそのようなことをしているのを見た時は驚いたよ。未来が君と交際しているのは周知の事実だったからね。」

「何を根拠に。そんなことを言っているんですか。未来が売春だなんて証拠もないのにそんなことを適当に言わないでください。」

「証拠か。確かに証拠もないのにそんなこと言われても信用しないか。」

笛吹はそう言ってスマートファンをポケットから取り出し、僕にあるサイトを見せてきた。

「これは、都内でも有名な出会い系のサイトだよ。表向きはレンタル彼女というサービスを行なっている。しかし、裏では援助交際が行われているというものだ。まあ、あるところにはあるんだよ、こういうものが。そして、このページに未来が載っている。」

僕がスマートフォンの画面を見ると確かに未来がそこには写っていた。他人の空似なんてこともあるかもしれない。そう思ったが、否定するのが自分の個人的な感情によるものだということも同時に感じていた。しかし、どうやってこんなもの見つけたんだ。僕だって知らないし、こんなものを見つけようとしないとなかなか難しい。

「これをどうやって見つけたんですか。」

僕が笛吹に問うと少し驚いた様子を浮かべていた。しばらく僕の様子を見つめてから口を開き始めた。

「他人の空似かも知れない。そうは思わないのか。君のことだからそこら辺を否定してくると思ったが。」

僕は何も返答しなかった。

「ダンマリか。なるほど、どこか勘づいていた節でもあったのかな。そうかそうか。」

ふむふむという感じに頷きながら納得し、一人喋りのラジオのように未来のことを語り始めた。

「我々もね、最初からマークしていたわけではない。たまたまだったんだ。信者の中にレンタル彼女というサービスを利用しているものがいたんだ。彼の名はまあ、ヤコブとでも言おうか。これだけのサービスがある現代でどこかで誰かがやっていてもおかしくはない、たまたまではあるが、ヤコブは今回のサイトを見つけた。最初は援助交際を目的としたものとは知らなかったらしい。ヤコブがたまたま未来を選びデートすることになったそうだ。未来は非常に明るい子だったと報告にあったかな。ヤコブは、映画を見たり、ご飯を食べたりと一般的なデート未来と楽しんだ。そろそろデートも終盤。ヤコブがここで別れようとした時、未来が『このまま終わるんですか?』と誘ってきたそうだ。」

「・・・。」

僕は、何も言うことができない。ただ、笛吹の口を見ることしかできなかった。笛吹は、僕が何か言うと思ったのだろうか。話を少し止めて、一呼吸を置いてから再び話し始めた。

「何に誘ってきたなど野暮なことは聞くなよ。お金をもらえればそういうこともできるということを未来が話した。ヤコブは紳士だった。そもそも援助交際など神の教えに反する行為をヤコブがするはずもないがな。ヤコブは未来の誘いを断った。この時、自分がブルーガーデンの信者だと告げ、援助交際はできないと言うと未来は酷く動揺してそのままヤコブと別れたそうだ。不思議に思ったヤコブが教会に戻り、我々に手紙を送ったのだ。未来の写真をね。写真が送られてきた時は驚いたよ。油野さんですら驚いた。なぜ未来が援助交際をしてまでしていたのか。それから教会は未来の現在について調べた。すると、驚いたことに今まで27回以上の男性とレンタル彼女サービス内で出会い、援助交際を行なっていた。」

「27回も。援助交際を。」

「そうだ。これは、由々しき事態だった。未来はブルーガーデンの人間。神の教えに反するような行為をこんなにも行っている反教徒であると。神はお怒りになった。これは、まるで堕天ではないかということである。」

「未来はブルーガーデンを辞めたんだ。別に堕天ではない。」

僕がそういうと笛吹は笑い始めた。

「それは、君らが勝手に教団の外に出ただけだろう。正式な手続きを踏んでいない彼女は今でもブルーガーデンの一員さ。死んだとしてもその魂は輪廻の輪の中で生き続ける。そして神の尊い世界の焔となり生き続けるのだよ。」

「僕らの自己満足だったということなのか。」

僕は自分が慢心していただけだったという事実に耐え切れない気持ちになった。

「その通りだ。君は彼女を鳥籠体したつもりでいたのだろうが。実際には、彼女は鳥籠が大きな籠に変わっただけで、何も変化しちゃいないのさ。それであんなに意気揚々と空を飛んでる気になっているんだからな。滑稽だったよ。」

笛吹は、僕の肩に手を置き再び話し始めた。

「本題に戻ろう。罪を犯した人間はその罪を償ってもらわないといけない。我々は、未来に一度警告の手紙を送った。援助交際を止めるようにと。しかし、彼女は止めようとしなかった。なぜだろうな。君はわかるかね。金に飢えていたのか、愛に飢えていたのか。君との生活に何か不満でもあったのか。君は知っているかね。」

僕の方が教えて欲しかった。未来がどうして援助交際を行なっていた理由が。僕が黙っていると笛吹が話を続けた。

「そうか、君は知らないわけだ。未来が援助交際を行なっていった理由を。」

「知らないです。」

「それはな、不安だったからだ。君に飽きられてしまうんじゃないか。浮気されたらどうしよう。お金のことで迷惑をかけたくない。そんな不安がそうさせていたんだよ。君は優秀だ。人付き合いもいいし、容姿も悪くない。そんな君がいつ自分を捨ててしまうのではないか。それに比べて自分はどうだろうか。容姿も良くはないし、頭もいいわけではない。世間知らずの宗教団体の生活しか送ってこなかった。そんなお荷物の自分と付き合うメリットはどこにあるのだろうか。彼女はよく不安に思っていたんだよ。周りには明るく振る舞っていたものの、未来は酷く不安定な精神状態だった。そんな時に、レンタル彼女というサービスに出会った。レンタル彼女では、男が未来を求めてきてくれる。お金という対価も支払われ、金銭的な余裕も生まれる。承認欲求が満たされていったんだな。よくある話じゃないか。ホストに狂う女と近しい感情なのかも知れないな。それに、君は未来をすごく求めるような感じではないだろう。」

 僕は未来がそんなにも不安を感じていたことは知らなかった。確かに僕は未来をものすごく求めるようなことはしない。むしろ、静かに落ち着いている生活を望んでいた。よくあるイチャイチャしているようなものはあまり好きではないし。思い返せは、未来は恋愛ドラマを見ていた時、イチャイチャしているカップルを見ると「良いなあ」とつぶやいている時があった気もする。よく何か考え事をしていると「よそ見しないで」と訴えてくる時があった。劣等感。不安。そんな感情を見抜けなかった。だからこんなことになってしまっていたのか。僕は、未来の容姿も性格も嫌いではなかった。好きだった。でも言葉にするのがとても恥ずかしい。思っている正直な感情を真摯に伝えるのはとても恥ずかしい。そういう人間だった。それを未来もわかってくれていると思っていた。しかし、感謝の言葉も言わなければ伝わらない。そういうことだろう。もう一度、未来に好きだと伝えればよかった。そんな後悔が溢れてきた。そして、あの時の情景を、未来が死んだあの夜を思い返した。きっと、あの夜。僕にこの援助交際のことを僕に話そうとしていたんだろう。あんなに不安そうな未来を久しぶりに見た。きっとそういうことだろう。きっと。

「これが僕の罪ですか。」

笛吹は、僕の方を見ながら「そうだ。」短くつぶやいた。「僕の罪は未来のことをちゃんと見てあげられなかったこと。」だったのか。僕は、未来のことを全て知った気でいた。そういう慢心がこのような事態を招いてしまったのか。僕は、あの日の情景が蘇る。未来は許してくれるだろうか。感傷的な気持ちに浸っていた。が、笛吹いう僕の罪がこれなら罰はなんだろうか。僕は肝心なことを聞いていないと思い、笛吹に問いた。

「ところで、お前らのいう、未来の罰とはなんなんだ。」

「そうだったね。未来の罰は死だよ。」

「・・・。それは、お前たちが未来を殺したのか。」

「そうだ。高齢者ドライバーを使ってね。」

僕は、先ほどまで感傷的に浸っていた心に再び怒りの炎を灯した。

「人殺しじゃないか。」

僕がそう叫ぶと、笛吹は笑った。

「神の信託によって未来は死をもって自分の行いを清める必要がある。援助交際。これは許されざる行為だ。ましてや27人もの行為を繰り返していたということとあっては黙ってはおけない。」

外が光った。少し間が空き、ゴロっと小さな雷鳴が轟く。それと同時に笛吹は話を続けた。

「神は法すらも超越する。人が下す審判である限り、偏った価値観が正義となり、絶対的な評価は不可能である。神の審判。それこそがすべての人間において平等な裁きだと思わないか。」

「神なんかじゃない存在を神と崇めて、不当な審判を下すことには変わりない。教祖も血が流れていて、お腹が空いたらご飯を食べる。眠たくなったら寝る。ただの人間だろう。」

「君は、今日その奇跡を知らないのだよ。素晴らしいあの御業は、神としか思えない。」

 笛吹は天を仰ぐようにして両手を広げ教祖のことを思ってか、ブルーガーデンの信者に渡される十字架を左手で握った。まさに、よくある宗教的な絵画で教祖を前にして崇める信者のように。僕は、非常なまでにこのブルーガーデンに対して嫌悪を抱いた。ここまで嫌悪感を抱いたのは初めてだと思う。神の教えに従い人を殺すなんて馬鹿げている。宗教によって人は苦しんでいる。過去も今も。そしてこれから訪れる未来も。僕は、このままこの組織がある以上、このような事態が繰り返されてしまうと思った。苦しんでいく人々を救いたい。きっと未来のような苦しむ人々が大勢いるはずだ。僕は決意を固めていった。ブルーガーデンを壊すことを。神に祈る笛吹に僕は、憎悪を浮かべながら言った。

「未来を奪った罪を絶対に償わせてやるからな。」

「できるものならやってみるが良い。未来を殺した証拠はない。ブレーキトラブル、認知症を患った高齢者ドライバーすべては事故だ。たまたま整備に不手際があった。たまたま、認知症によってハンドル操作を誤った。そして、たまたま未来がそこにいて惹かれてしまった。これをどうやって殺人事件として裁くことができようか。いや、出来ないよ。君にはね。」

そう言い終えると、笛口は大きく笑った。

「その笑いをいつか悲鳴に変えてやるよ。」

僕はそう言って、笑みを浮かべる笛吹きを後に教会を出た。僕の頭の中は、「ブルーガーデンを潰す。」という一心を抱き、復讐の炎を燃やしていた。黒奈も僕が出るのと一緒に教会を後にした。「すっかり黒奈がいるのを忘れていた。」とまではいかないが、僕らの会話に全く入ってこなかったので、一瞬本当にいるのか怪しくなったが。


 外に出ると雨が瀟湘と降っていた。あれほど激しかった雨は弱まり、僕と黒奈は歩いて帰ることにした。

「少し感情的になりすぎていたわよ。」

黒奈が、僕を心配して話しかけてきた。

「ごめん。少しムキになった。流石に、あんなこと言われて黙って置けるほど大人しいタイプでは無いからさ。」

「意外。そこまで男らしいとは思わなかったわ。でも、真実がわかってよかったわね。」

「うん。これで何か進める気がするよ。ていうか、黒奈が全然会話に入ってこないからいなくなったんじゃ無いかと思ったよ。」

「あら、ごめんなさい。でも、私が会話に入るとここまでスムーズに話が進まないと思ったの。相手がセレンくんを揶揄うことで気持ち良くなってもらった方がポロリと真実を出しやすくなるしね。」

「確かにごもっともな気がする。僕の方は非常に気分が悪いけれどね。」

「仕方ないは、盲目な人に空の色を教えるようなことが難しいように、宗教的な信仰のある人に神を否定するようなことを言うのは骨が折れるわ。」

「確かに。でもあそこまで論破されてしまうと流石に凹むよ。」

「後で私が慰めてあげるわよ。心の隅々までね。」

「なんだよそれ・・・。ありがとう。」

黒奈は胸に手を置きながら僕の方を見て言った。僕は、黒奈が一緒に戦ってくれるのなら心強いと感じていた。そう、一人じゃないのだと。黒奈と一緒であれば、神様もどきに鉄槌を下すことができる。そう思えるようだった。




ーー次は終点、博多。電車とホームの間に隙間がございます。お降りの際は足元にお気をつけてください。ーー

 「君は、神に争うのか。」僕は本に向かって呟いた。本の主人公は現実世界の自分よりも今を生きている感じがしてならなかった。何だろう、よくアニメやドラマなんかのフィクションと自分の人生を比較してしまう。そんなやつだ。フィクションの中の主人公はいつも何かと戦っている。それは、悪党や上司、恋のライバル、病気、未知の生物、神様。それに比べてどうだろう。ノンフィクションのはずの自分の人生は、何とも戦っていない。むしろ、日々をどう過ごすのかについて考えていることすら面倒くさく感じることさえある。帰宅してスマートフォンに流れる情報を軽くさらって世界を知った気になっている。「何かを成さねば」などと気分良く決意するものの、そんな熱はこの外気の寒さによって一瞬にして冷まされてしまう。別にヒーローになりたいわけじゃ無いんだ。ゴールが欲しいんだ。無限に続くような人生というマラソン。どこにゴールを置くのか決めかねているのに近いのかもしれない。置いて仕舞えば、自分の可能性というものを終わらせてしまう気がしてならないのだ。

 そんなことを思っているともう終点。仲の良い旧友たちとの飲み会が開かれる博多にそろそろ到着しそうだった。家を出たのが早朝だったのに、もうすでに夕方になっていた。少し窮屈な座席で伸びを1、2回行い、本をしまい、新幹線から降りる準備をした。流石に、新幹線での長旅でお尻が痛い。エコノミー症候群になりそうだった。車窓から見える風景が、先ほどまで山ばかりだったのにだんだんとビルが増え摩天楼とまでは行かないがビルの森が聳え立っていた。

「都会はいいな。」と徐につぶやきながら、沈む夕日を僕は見つめていた。

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