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読書日記・消えるのは一瞬

10月12日(木)

母が行きたいというので王将でランチ。初めて天津飯を食してみたんだけど、玉子があまりにもふわふわなので感動した。どうしてこんなにふわふわなんだろう? と思いながら、そういえば山本ゆりさんの『おしゃべりな人見知り』に、あれは大量の油にまみれているんだという話があったよね、と思い出す。

あのふわとろ卵、秘訣は王将でのバイト経験がある知り合いいわく「油」「大量の油」「とにかく油」とのこと。「もう油を食べてると思っていい」とまで言われた。言い過ぎやろ! と思ったけど、もうひとりの別の王将バイト歴のある上司も「油のかたまり」と言ってたからそうなのだろう。それを聞いても全然気にならんけどな。むしろ「油食べに行こ」ぐらい思ってるわ。

『おしゃべりな人見知り』より引用

私もゆりさんのように「油食べに行こ」ぐらいに思いたいけれど、この日はずっと胃もたれしていた。油がもたれる年齢にはちょっとキツイ。けど美味しかった。また食べたい。今度は胃薬持参しようっと。

10月13日(金)

近隣の図書館に、横山光輝さんの『三国志』があった。夫は横山さんの『三国志』にハマっていたらしく、登場人物たちのことを熱弁していたこともあったので懐かしく思ってもらおうと、図書館で借りてみた。夫に『三国志』を見せたら笑顔で手に取り、そのまま無言で読み始めた。そして「これは借りて読むものじゃない!買おう!!」と言うので、その場ですぐに全巻セットを注文した。諭吉先輩が一瞬で二人消えた。諭吉先輩が消えるのって本当に早い。

10月14日(土)

相手の話を否定せずに聞くということを、どうにかして身につけたくて林健太郎さんの『否定しない習慣』を読んだ。「でも、だって、どうせ、だから」が口癖でもある自分をどうにかしたくて、ふむふむと本を読みながら、よし!否定しないぞ!!と決意した直後、夫に話しかけられて「でもさぁ」とつい口走ってしまった。決意が消えるの一瞬だった。

10月15日(日)

今日も『否定しない習慣』を読む。本の中で「否定は「上から目線」が生み出している」という話があった。

相手を否定したくなるのは、相手が自分よりも知識や経験が劣っていると思ったときです。そう思ったからこそ、無意識のうちに、自分のほうが上だという上下関係のコミュニケーションをしてしまうのです。

『否定しない習慣』より引用

私が否定ばかりするのは、無意識に作り出している「上下関係」が原因なんだと気づく。人を「上下」で見てしまう人って、たしか自分に自信がない人じゃなかったっけ。相手に勝つことで自分の自信を得ているとかなんとかって話、何かで読んだけど忘れっちゃった。ははは。

10月16日(月)

相変わらず『否定しない習慣』を読んでいるんだけど、よく聞く「イエス・バット法」は使えない、と書いてあった。

 反論したいときに「否定を和らげるもの」として知られていますが、否定することには変わりありません。最初から「それは違う」「そうじゃない」と言われるよりはマシのように感じるかもしれませんが、実際は効果がないケースが多いのです。
 その理由は、イエス・バット話法を使おうとする人ほど、「イエス」にあたる言葉を本当にひと言、「たしかにそうだね」程度の短いフレーズでしか使わないから。
 要するに、相手は「肯定された」と感じていないのです。実際、枕詞のように取ってつけたくらいの意味合いにしかなっていないケースが散見されます。
 もはや否定会話のスタートを切って、相手に宣戦布告しているようなもの。

『否定しない習慣』より引用

まさにこの「宣戦布告」をしていたようで、「イエス・バット話法」を使うとケンカになることが多かった。主に息子と。

林さんは本の中で、「イエス・エモーション話法」が効果的だと書かれていた。肯定の言葉とともに、ポジティブな感情を伝えるものらしい。たとえば、

「仕事、頑張っているんだね。頼もしいと感じたよ」
「テストの点がよかったんだね、すごく嬉しいよ」
「髪を切ったんだね、すごく似合っていると思うよ」

こうすると相手とのコミュニケーションも円滑に進むらしい。ちょっとやってみよう。そして、もっともっとポジティブな言葉を使おうと思った。ネガティブ思考すぎる私は、ポジティブな言葉を知らなすぎる。だからふとした瞬間にネガティブな言葉しか出てこないのでは???と気づいたので、日ごろからポジティブを心がけたい!!!!!!!と強く思うのでありました。

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