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反応を気にしすぎ

日曜日はnoteを読まれる回数が減ると、林伸次さんがnoteに書かれていた。
だから日曜日は、自分の好きなことを書いているらしい。
なるほど、と思いながら、しかし同時に思った。

たとえ週末に書いた記事でも、平日になったらその記事も読まれるだろうから、日曜日だからという理由は必要なのだろうか?と。

でも何曜日だからこういう記事を書いています、と曜日で内容を設定している人を見かけると、とても上手にnoteを続けようとしているように思える。
月曜日だから日記を書くとか、木曜日だから猫の話を書くとか。
そういう決まりがあるほうが、記事を書きやすいことってあるよね。
0から記事を書くよりも、テーマに沿って記事を書くほうが書きやすいし。

私はいつだって自分の書きたいことを、書きたいままに書いている。
それなのに「何を書こうかな」と思うことはしょっちゅうで、ネタに困るというか、ネタがまとまらないというか、頭が取っ散らかってるというか。

そんな中で最近読んでいた『それはきっと必要ない』に、
「文章が書けなくなる人は、読んだ人の反応を気にしすぎ」
と書いてあり、あぁと思った。

そう、反応を気にしすぎなんだよね。
読まれるか、読まれないかで判断しすぎなんだろうな。

記事を読んでもらえるかどうかなんて、私がコントロールできることじゃない。
誰にとっても役に立つ情報だったら、読んでもらえる回数は増えるかもしれない。
けれどそんな奇跡のような情報は、どこにもないもんね。

だったら好きなように書いたらいい。
と、いつもこんな風に思うのに、気づいたらまた
「何を書こうかな」
と、悩む自分が発生する。

この悩む自分は絶対に居なくならない。
ウイルスと同じように、変異しながら成長し続ける。
重症化しないようなワクチンが欲しいですな。
だれか発明してくれないかしら(他力本願)。

そんな最近の読書は『だからダスティンは死んだ』

引っ越した先の隣人が、もしも殺人犯だと知ってしまったとしたら、あなたならどうしますか?
え?警察に通報??
そう、警察に通報するのが一番。

とはいえ、警察に通報して「はい!おしまい!!」では小説として成り立たない。
この本ももちろん、そう簡単には幕がおりない。

二転三転していくストーリーから目が離せず、この先どうなるか大体の想像がついたぞ、と思っていたのに気づいたら
「え?ここはどこ??」
と、見知らぬ場所にポンッと連れて行かれた気がした。

小説は読んでいる世界がすべてだと思ってしまいがち。
だけど本当は、読んでいる世界だけがすべてではない。

読み終わってから改めて再読したくなる作品だった。
しかし再読しても全然おかしなところがなくて、やっぱりプロはスゴイ!と子どもみたいな感想を抱いた。

ピーター・スワンソンさんの作品は、クセになる何かがあるので、今後も追いかけていくつもり。
と思っていたら、幻のデビュー作が去年発売されていた!!

見逃していたので、めちゃくちゃビックリ。
買いに行かねば!!!!

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