マガジンのカバー画像

お気に入り

33
出会えて良かった記事さんたち。
運営しているクリエイター

#ショートショート

世界地図

世界地図

 彼女が持ってきたのは世界地図だった。
 まだわたしも、彼女も子どもだったころ。
 わたしは水筒にお茶を入れ、おやつの準備も万端で、自転車にまたがって彼女を待っていた。目指すは海。わたしたちの生まれ育ったのは海からは程遠い内陸の郊外、自転車を一生懸命漕いで三時間はかかる長丁場だ。途中には山を越えなければならない。控えめに言って、その頃のわたしたちくらいの子どもにとっては大冒険と呼んでも差し支えない

もっとみる
バグ(ショートショート)

バグ(ショートショート)

私はとある小説家の取材に来ていた。

「バグを作っているんですよ」
私が質問をする前に、彼はそう答えた。

「ゲームのデバックとは逆なんです。この世界はあまりも完璧で、だから穴を見つけて、ほころびを作らなくてはならない」
短編小説を書くというのはそういうことだと、彼は言った。

「バグを作る方法は色々あります。例えば、時間は常に一定の向きを流れていますが、それを少しだけ変えてしまうんです」
 まる

もっとみる
想いが伝わるその日には

想いが伝わるその日には

 チョコが走っていた。

 ビル3Fにあるこの喫茶店からは、駅舎と駅前ロータリーのぐるりを見渡せる。チョコはロータリーの外周を駅舎の方へ向かって、他の歩行者を次々に躱して追い抜きながら駆けていく。相当なスピードなのだろう。追い抜かれた人々はみなワンテンポ遅れてからビクリと身を縮めている。

 かなり遠くから走ってきたようで、汗の代りに溶けたその身がダラダラと垂れていた。一歩踏み込むごと、足形と飛沫

もっとみる
グループセラピー  (1分小説)

グループセラピー (1分小説)

快晴のため、今日のグループセラピーは、公園で行われることになった。

私たちは輪になり、芝生の上に座った。

「では、ルミさん。この前の続きから、お話しください」

セラピストは、ネームプレートに書かれた仮名通りに、私を呼んだ。

「はい。初めて大麻を目にしたのは、22歳の時でした。クラブで、見知らぬ男に手渡され、興味本位から使ってしまったんです」

みんな、真剣に話を聞いてくれている。

「それ

もっとみる
新幹線なくなっちゃった【ショートショート】【#56】

新幹線なくなっちゃった【ショートショート】【#56】

「新幹線なくなっちゃった!」

すぐ後ろの座席に、大きな声で泣いている子供がいる。あえて聞き耳をたてなくとも言っていることは丸聞こえだ。座席の間からチラリと見えた姿は4歳か5歳くらいの男の子。彼が来ているトレーナーにも新幹線が描かれており、電車への愛が伝わってくる。

「しー!静かにして!さっき売店で買ったやつ?ちゃんと持っててっていったでしょ」

少年は一向に泣きやむ気配がない。なるほど、今さっ

もっとみる
バイシクルバイシクル

バイシクルバイシクル

 五歳の誕生日に自転車を買ってもらった。父は幼いぼくには自転車はまだ早いのではないかと言ったが、母はぼくを自転車に乗せたがった。
「早いうちに覚えなきゃ」と母は言った。「できるだけ早く」
 そんな母だったが、彼女自身は自転車に乗れなかった。だからこそ、母はぼくを自転車に乗せたがったのかもしれない。自分の叶わなかったことを、子供のぼくに託したのかもしれない。
 そうして自転車を買い与えられたわ

もっとみる
森の中の死体

森の中の死体

 死体が転がっている。
 深い森の中だが、そこだけ頭の上を覆う枝が切れ、光が差し込んで来ている。それが明かりになって、死体の背中の傷をまざまざと見せつけている。おそらく、その一太刀でこの男は死んだだろう。それにも関わらず、全身いたるところに刀傷がある。それはこの男が死んだあとにも執拗に傷付けられたのに違いない。おそらく、かなり恨みを買っていた男なのだ。
 俺はまず自分に何か手応えのようなものが残っ

もっとみる
写真

写真

 父が死んだ。母はすでに他界していたから、肉親と呼べる人間はいなくなった。これで天涯孤独の身だ。それはそれで気が楽かもしれない、と思った。
 一人で住むには家は広すぎた。売りに出して、どこか手頃な部屋を見付けて越すことにした。古い家だから、買い手がつくだろうか、と一抹の不安はあったが、案外すぐについた。たいした額ではなかったが、それでも思っていた額よりはかなり大きい。
 買い手とは一度だけ顔を

もっとみる