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表紙と装丁の元となっているのは広重の「両国花火」。
でも花火も屋形船も切り落とされている。
ただ黒洞々たる夜の橋があるばかりだ。
と、羅生門の最後の一行なぞもじりたくなったのは、その内容故かもしれない。
手にするとずっしりと重く感じるのは、
タイトルと帯に書かれた宣伝文の力もきっとある。
『夜露がたり』(砂原浩太朗・新潮社)
目次をみると全8篇、
それぞれのタイトルからも滲みが漏れ、否が応でも期待は膨らむ。
「帰ってきた」「向こうがわ」「死んでくれ」「さざなみ」
「錆び刀」「幼なじみ」「半分」「妾の子」
何日かかけて1日1話もしくは2話ずつ読んでゆき読み終わった。

どの話にも≪そうは流れない≫≪ただこう流れる≫が滲む。
「そうはなれない、ならなかった」
「そうなったのかもしれない、でも、こうだ、こうなのだ」
ほろり人情やなつかしい情愛とは逆の物語ばかり。
「それでも生きて行く」話たちが描かれ、
シャットダウンじゃなくフェードアウトで暗転する、
シャットダウンもある。
でもどれも暗転して「終わり」ではない。
「それでも」続いてゆくことを滲ませる。
 
手に取れて良かったと思う。なにも文句はない。
 
でもずっしり黒洞々とした本作を、
手にし、ひらいた瞬間が、
気持ちのピークだったような気がするのは、のも、「なんでやろ」。
 
と、読み終えた昨日からずっと考えていた。
 
おもしろくなかったとかよくなかったとかではない。
むしろ本作は結構じわじわと売れるのではないかと思っている。
時代小説ファンには勿論のこと、
時代小説ファンじゃない人にも読まれるんじゃないかなあ、って。
 
時代小説を読む楽しみってなんだろう。
 
「あの頃」「あの頃は」
 
って、江戸に生きていた人は居ない訳で。
 
考える。いや、思う。
 
今とは違う時代、
その文化や風習や文化や価値観に触れること、
そこに生きた人びとの息遣いや気持ちを感じること。
時にどうしようもないことも多すぎる、
でもその環境や時代に生きた人たちを感じること。
 
と、共に。
 
それでも、〝おんなじ〟なことを、感じること。
 
時代がちがったり時代を超えても同じ〝人間〟としての、
人間だからこその気持ちや情や痛みに触れること。
触れ、生きたこともないその時代を思ったり、
自身や今と照らし合わせたり、そうして、自身や他者を想うこと。
 
勿論それだけじゃなく、多種多様な楽しみ方はある、
あるのだろう、とは承知の上で。
 
その〝両のバランス〟が、この作品は、
どちらかというと、「今風」「今寄り」だったんじゃないかな、
とも、わたしは感じた。
 
江戸ものだ。「江戸市井もの」だ。
8篇の登場人物たちはどれも身分だったり
江戸という時代の親子観男女観だったりに
とらわれたり吞まれたり呑み込まれたりする。
現代以上に「かくあるべし」「かくあらねばならない」が疑いも疑われもしない世と時代のものであり話だ。
 
でもわたしは、なんだか、
「今」「今風」のようなものを、ものも、感じてしまった。
バランスがなんか、なんだか、
どちらかといえばそちら寄りのように感じたのだ。
 
いい悪いじゃない。悪いでもない。
それは「いい」だったりもすると思う。
現代や現代の世それに通じたり、
「変わらないもの」としての共感や投影、
もっというと読みやすさをも考えた上での、も、あったのかもしれない。
いわゆる「バッドエンドもの」みたいな物語への需要なども含めてね。
 
その、時代物なのに、ちゃんと時代なのに、
「今風」が、バランスいや塩梅が、
私的には、表紙や装丁ほどにはずっしりとは、来なかったのかなあ。
 
花火も屋台船も切り落として黒くする〝その感じ〟が、なのかなあ。
 
なんて思って、読後、我が癖(へき)の
「他のいろんな皆はどう読まれたのかな。どんな感想なんやろ」
「作者はどんな人なんやろ」という検索などをしていたら、
作者がSFの大家・星新一の大ファンだと知った。
星新一の次女が書評を寄せておられたりもした。
 
装丁とか目次やタイトルをみて、
時代小説ファンたちはきっと思ったのではないか。
「藤沢周平……」「的 世界観……?」
わたしも思った。
 
そうだ。でもそうじゃない。
そうじゃない。けど。そうだ。
 
星新一。
 
納得。
 
私は『さざなみ』と『半分』が好きやった。
 
時代小説だけど時代小説じゃない。時代小説じゃないけど、時代小説。
 
黒。
 

 

写真は月イチ髪の日の帰り道に通る地下道の謎の絵。
百鬼夜行やと思い込んでいたらだるまさんが転んだやった。今更気付いた。
 
やっとやっとこさ行けて
めちゃ髪きったりカラーしたりしながら
担当(店長)とずっと「時代」とか「今」とか
過去の「「時代」だからこそありえんのに
負けず嫌い故に食らいついていた」エピソードたちをお互いに披露し合いげらげら笑っていた。
のも、この本のこの感想につながったりもしたのか、も、しれません。
 

『木挽町のあだ討ち』から珍しく時代小説が続いている。
絶対減らない積読の中には尊敬するライターさんが薦めていた新撰組その後の話(正確には斎藤一のその後の話(!))もあるがしばらく置く、かも、しれません。


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【略歴や自己紹介など】

構成作家/ライター/エッセイスト、
Momoこと中村桃子(桃花舞台)と申します。

旅芝居(大衆演劇)や、
今はストリップ🦋♥とストリップ劇場に魅了される物書きです。

普段はラジオ番組構成や資料やCM書き、
各種文章やキャッチコピーなど、やっています。

劇場が好き。人間に興味が尽きません。

舞台鑑賞(歌舞伎、ミュージカル、新感線、小劇場、演芸、プロレス)と、
学生時代の劇団活動(作・演出/制作/役者)、
本を読むことと書くことで生きてきました。

某劇団の音楽監督、
亡き関西の喜劇作家、
大阪を愛するエッセイストに師事し、
大阪の制作会社兼広告代理店勤務を経て、フリー。
lifeworkたる原稿企画(書籍化)2本を進め中。
その顔見世と筋トレを兼ねての1日1色々note「桃花舞台」を更新中。
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