Muccho

北カリフォルニアの田舎で小さなキッチンを借りてゴーストレストランを始めた日本の料理人で…

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北カリフォルニアの田舎で小さなキッチンを借りてゴーストレストランを始めた日本の料理人です。

最近の記事

Sake Brewery in SanFrancisco

先日サンフランシスコで日本酒を作っている二つのブリュワリーに行ってきました。 このタイトルの写真はセコイアというブリュワリーでサンフランシスコの工場街に10年前に立ち上げた日本酒のブリュワリーです。 Jakeと日本人の奥さんとパートナーの3人で立ち上げたこの蔵は様々な道具や室やタンクなどを手作りして作り上げています。 ここで立ち上げた理由はサンフランシスコの物価は10年前にバブルを迎えていて、当時はダウンタウンでやるにはどうしても値段との釣り合いがつかなかったそうです。

    • アメリカで。。。

      アメリカでビジネスをちゃんとやるっていうのは大変な事がたくさんあります。。 まずシティーとの話し合いから始まり、このアイデアは可能なのか?どこでならできるのか?パーミットは何が必要なのか? そこから場所をどこでやるか。 ビジネスプランを作ってインベスターに問うわけです。 このプランをやりたいから金貸してくれって。 でもなんかビジネスの王道パターンに入ればはいるほどこの世界は一度お金を持った人が勝ちなんだなって感じる。 そういうの嫌いなんだよね。 友達のLukeと話してい

      • これはReady to go

        先週末に隣のレイクカウンティのレイクポートという街にあるビールのブリュワリーに行ってきました。 そこのオーナーがビジネスを辞めるため、私にここを買い取らないかとオファーを受けたからだ。 そこはウェアハウスの中に作ったブリュワリーで、全てもう揃っていた。 日本酒作るにはムロが必要だが、ビールのタンクを利用して作れると思う。 提示された金額は20万ドル、レイクカウンティのサポートがあるので金利が2%で良いとの事。 こんな素晴らしい条件他にない。 ただこの街はパワーが落ちていて、ド

        • 明後日の日曜日に

          隣のレイクカウンティにあるレイクポートという街にブリュワリーがあってそこのオーナーと明後日お話しをしてきます。 彼らはビジネスを売りたいそうで、私が考えている日本酒作りをここでやったら良いよってオファーをいただきました。 ここなら全て揃っているので必要なものを買ったらすぐに始められる。 アメリカに来てビジネスを始めるにはたくさんのステップを踏まなければならない。 その中でも地元のコミュニティに入ることはまずやらなければならない必須のことだろう。特に都市部から離れた田舎の

        Sake Brewery in SanFrancisco

          一歩進んでは振り出しに戻る

          アメリカのmendocino countyで日本酒のマイクロブリュワリーを作るのに、さまざまなことがこの2週間で起きました。 約束していた場所が結局オーナーの気分が変わり使えなくなった。 色んなインベスターがサポートを申し出てくれた。 隣のレイクカウンティーでビールのブリュワリーが売りに出ていて、話を聞いたオーナーがそこを買わないかとオファーが来た。 私の言葉はもうここに放たれたので、たくさんの声が跳ね返ってきている、近い未来にすぐ酒ブリュワリーはできるだろうと思う。

          一歩進んでは振り出しに戻る

          3ヶ月に及ぶ日本酒のトレーニングが終わりました

          10月の終わりから12月いっぱいの間、日本の愛知県にある関谷酒造でお酒のトレーニングをさせてもらいました。 何も知らない日本酒の世界に飛び込んでみたらたくさんの事が学べました! 今私の住んでいるUkiahに帰ってきてこれから はじまる「北カリフォルニアのmendocino countyでSake Breweryを作る」を一緒に見ていきませんか? 本当に実現できるのか。私もわからないですがこれをやりたいので進めていきます。 少しづつ私の事も紹介していくのでみんなで楽しめたらなあ

          3ヶ月に及ぶ日本酒のトレーニングが終わりました

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          今私はアメリカで酒蔵を作る為に日本に帰ってきています

          今私はアメリカで酒蔵を作る為に日本に帰ってきています

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          説明2

          柴又で始まった一人暮らしは、朝6時に起きてすぐ準備して北総線新柴又駅に向かい6:45分ぐらいの電車に乗ります。そして一本でそのまま都営浅草線の東銀座駅まで行きそこから歩いてホテルまで行く、そして夜8時か9時ぐらいに掃除を終えて帰宅して家に着くのは大体10時前ぐらいそんな毎日でした。 そして初めに所属になった場所は調理部のメインキッチンのガテマンという冷製料理の場所でした。 確か5個ぐらいあった宴会場の料理の冷製を5人ぐらいで作っていた気がします。全部で600人ぐらい入るの

          私について

          自己紹介をまずしたいと思います。私は千葉県茂原市に1985年に爆誕しました。 京成電鉄に勤めるおとんと、広島風お好み焼きの飲食店を営むオカンの次男として生まれてきて、上に2個上の兄さん、下に6歳違う妹と12歳違う二人目の妹の4人兄弟です。 親の性格は真反対で母家系の方は経営一家で自分で未来を切り開くタイプ、父家系の方は人に決められた仕事を寡黙にこなすサラリーマン家系で、私は母家系のタイプだと思っています。 小さな頃から人とはちょっと違った考えだったみたいです。よく母から

          私について

          自己紹介

          初めまして! ざっくりと私のことを説明しますね、私は日本の千葉県茂原市で生まれて育ち、高校を卒業してから千葉調理師専門学校に通い、卒業後、銀座東部ホテルの調理部門に入社しました。そこで9年間働いた後に北カリフォルニアのukiahに移住してそこでグリーンカードを取得するために日本食レストランで7年間ぐらい働き、グリーンカードを取得できました。そのすぐ後にレイオフされて1年間ちょっと知り合いの庭を借りて野菜を作り、地元のファーマーズマーケットで野菜を売ってました。それからまた縁が

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