短編小説『ホームにて』
月曜日、早朝の渋谷。
地下鉄のホームは、泥酔した男女や、ぶすっとした顔をしたサラリーマンや、ふだん何をして生活しているのかわからない人たちでごった返している。
僕はそうした喧騒にうんざりしながら、ホームのベンチに座ってミネラルウォーターをちびちびと飲んでいた。
焼き鳥の匂いと、ショット・バーのタバコ臭さと、こぼしたテキーラのむっとするような異臭が着崩れたスーツに染みついている。日曜日の残り香が、身体中にこびりついているのだ。
東京という街は、だいたいにおいて不機嫌な街だ。
不機嫌かつ、酔っ払っている。
そんなことを考えている僕もまた、週明けの出勤を差し置いて、朝まで酒を飲み、喧騒に腹を立てているただの酔っ払いであり、雑踏に紛れるただの人だ。
僕は東京という全体の一部であり、
一部として全体に組み込まれている。
それ以上でも、それ以下でもない。
少なくとも、
この街には哲学などない。
かけらもない。
啓蒙もないし、啓示もない。
洗礼もなければ、顕現もない。
何もない。
月曜日から金曜日までコチコチと働き、金曜日の夜から土曜日にかけて酒を飲み、日曜日にネジを巻き(今日の僕は残念ながらネジを巻きそびれたが)、また月曜日からコチコチと働く。
ようするに、不機嫌な大人たちの行進なのだ。
それが死ぬまで続くわけだ。
踊り場のない螺旋階段みたいに。
その階段がどこに続いていて、その先に何が待っているのか、誰も知らない。知ろうともしない。踊り場がないから、足を止めるタイミングもわからない。
ただ身体を動かし、もくもくと螺旋階段を上る。
無感動に、無感覚に。
僕はほとんど無意識のうちに目を閉じる。
僕のあたまのなかに、空まで届く長い長い螺旋階段が浮かんだ。
そこにはわらわらと街に暮らす人々が群がっている。
螺旋階段に向かう長い行列ができている。
並んでいるひとびとはみんなうんざりした顔をしている。
でもそこには奇妙な規律が存在している。
誰も先を急がないし、誰も列を乱さない。
そうすることが唯一の救いの道であるかのように、人々は規律を守り、沈黙して歩いている。まるで通勤電車を待つ人たちみたいだ。
ふと目を開けると、乗るべき電車はすでにドアを閉めて発車するところだった。
僕はぼんやりと僕が乗るべきだった電車を見送る。
一瞬、ドアの窓に正面を向いて立っている女と目が合った。
女は赤いコートを着て、赤いルージュをつけていた。ショートヘアーで、耳には大きなリングのピアスが光っていた。そして昔のグラビアから這い出てきたような、不吉な厚化粧をしていた。
女は僕を見て、なぜかうっすらと笑っていた。
少し気味が悪くなって僕は目をそらす。
——二秒。
目をそらすと、電車は走り出して、
その奇妙な赤い女を表参道へ運んでいった。
——五秒。
先ほど見かけた女がほんとうに存在していたのか、
よくわからなくなる。
まるでわるい夢のつづきを見ているみたいな気分だ。
まあいいさ、よくあることだ。
とくに朝方まで無為に酒を飲み続けたような日には。
僕はまた、ゆっくりとミネラルウォーターを飲む。ほんとうはコントレックスが飲みたかったのだが、コンビニに置いてなかったので仕方なくエビアンを飲んでいる。
水に凝り始めたのは、あの大きな地震が起きたあとのことだ。
地震以来、僕は水を飲むことに強い執着を覚えるようになった。潮水ではなく、真水を求めて死んでいったひとの想いが乗り移ったかのように、僕は毎日水を飲み続けている。主にコントレックスを飲む。理由はわからない。
ひょっとしたら、ほんとうに何かが取り憑いたのかもしれないけど、僕にそれを確かめる術はない。確かめる術はないし、そんなことはそもそもどうでもいいような気もする。
何かが取り憑きたければ、好きにさせておけばいいのだ。
そんなことを気にするより、プレゼンの営業資料を作ることが僕には重要であり、ずっと買いそびれていた姿見の鏡を買いに行くことのほうが優先事項なのだ。
それが日常というものだ。
人生は続くのだ。
果てしなく。
僕はまた目を閉じた。
——ふと目を開けると、僕の横に老紳士が座っていた。
老紳士はグレーの感じのいいスーツを来て、きちんと紺のネクタイをしめ、ぴかぴかに磨き上げられたつま先の尖った靴を履いている。白髪交じりの髪の毛は、七三に綺麗にセットされていて、上品なオーデコロンの匂いが鼻をついた。
ひとつ奇妙なことは、彼が黒い雨傘をさしていることだった。
ここは東京メトロ半蔵門線渋谷駅のホームだ。
地下鉄のホームで、なぜ黒い雨傘をさす必要があるのだろう?
僕はしばし唖然として、老紳士の様子を伺っていた。
彼は僕のとなりにぴったりと座っていたので、まるで相合い傘をされているような状態になった。
何人かの人が通り過ぎ、ほとんどの人がこちらを振り返って眺めていた。でも、誰も驚きの声を発したりはしない。
地下鉄のホームでさされた黒い雨傘の残した奇妙な違和感を、忘却のゴミ箱に投げ入れて、ひとびとは歩き去っていく。
「なぜわたしが地下鉄のホームで傘をさしているのか、ということを疑問に思っておられるのでしょう?」
老紳士はとつぜん話を始めた。
彼は僕の方には、
いっさい顔を向けなかった。
「わたしは毎日、傘をさして過ごしています。どれだけ晴れていても、あるいは室内でも、わたしは傘をさして暮らしています」
「はあ」
「傘は良いものです。なぜなら傘はあらゆる穢れ(ケガレ)の侵入を防いでくれるからです」
「ケガレ」
「ええ、ケガレです。雨はもちろん、日光や、電波や、目に見えない恐ろしいものからも、傘はわたしを守って下さいます。だから、わたしはいつも傘を肌身離さずもっているし、いつも傘をさして生きています。お分かりいただけますか?」
老紳士はにっこりと笑って、ゆっくりと、僕のほうを見た。
そして続ける。
「いいですか、お兄さん。くれぐれも身を守ることです。常識にとらわれてはいけない。目を開けて、しっかりとものごとを見るんです」
「はあ」
「これからは、そういうものの見方が、とても大切な時代になっていきます。そして、あなたもきっと、ものごとを見定めるための、あなただけのやり方を、何か見つけているはずです」
「はあ」
「さらにいえば、あなたは、それをすでに、誰に指図されたわけでもなく始めている。だから、あなたはそれに、正直に生きたほうがいい」
「そうですか」
「わたしは正直になり、傘をさして毎日を暮らしています。まわりにどう見られているかなんて気にしないことです。くれぐれも身を守るように。それは正しいことです」
老紳士が話している間に、次の電車がまたやってきた。
電車はホームに停車し、一日の始まりの役目を担ったシラフのひとびとが渋谷の街に降り立ちはじめる。
彼らもまた、老紳士のさしている黒い雨傘にちらりと目をやり、歩き去っていった。
しかし、少なくとも彼らには、老紳士のさす傘よりも気にしなくてはならないことがたんまりとあるように見えた。みんなせかせかと、小走りに近いスピードでホームから去っていく。
ホームというのは、なるべく早く立ち去るべき場所なのだ、ということをふと思った。
老紳士はおもむろに立ち上がって話す。
「さて、わたしは家に帰ります。わたしは永田町に住んでいます。妻は死んで、家をひとりで守っているのです。わたしはわたしの家を守ろうと決めています。あなたにもきっと何か、守るべきものがあると思います。くれぐれも気をつけて。良い一日をお過ごしください。それでは」
そして、老紳士は僕にお辞儀をして、電車に乗り込んでいった。
黒い雨傘はあいかわらず、難解な恩恵の象徴であるかのように、老紳士のうえで、きわめて純粋に、ケガレの侵入を防ぎつづけていた。
老紳士は椅子に座った。
地下鉄の電車の椅子に、
黒い雨傘をさした老紳士が座っていた。
——二秒。
気づくと、老紳士を乗せた電車は音もなく動いて、表参道へ姿を消していった。
——五秒。
今、自分が何をしていて、何のためにここにいて、これから何をしようとしているのかがわからなくなる。
そのようにして平衡感覚を失いかけた瞬間、
ふと、僕は僕の守るべきものについて想いを馳せた。
そして水を飲み干し、呼吸を整えて、
ゆっくりと立ち上がった。
少なくとも、電車のホームには、長居するものではないのだ。
ホームは一刻も早く立ち去るべき場所であり、
通過点であって、目的地ではない。
〔完〕
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