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メキシコ映画”Ruido”

メキシコへ短期留学に行ってきた。メキシコとの付き合いは10年以上、スペイン語との付き合いも長く、幸運にも50時間の個人授業をみっちり受けることが出来た。社会問題やその歴史的背景など、多岐にわたるテーマについて、毎日先生達と意見を交わし、単に語学の習得に留まらない、非常に充実した時間だった。

後半の授業でメキシコ映画を鑑賞し、その要約や批評を書くという課題があったのだが、この映画が非常にインパクトがあったので紹介する。原題はRuidoといい、2022年制作、「ざわめき」というタイトルで、Netflixから日本語版でも公開されているようだ。

映画は、長年メキシコに根付いた、非常に深刻な社会的問題を扱い、それが日常化している現実を描いている。事実に則して制作されたストーリーだが、日本の常識だと想像がつかないような場面が、多々登場する。メキシコ人の先生が詳細に解説してくれたので、その辺りの背景を踏まえて、紹介しようと思う。

メキシコは危険な国と言われることがあるが、ある意味それは本当で、踏み込むべきでない領域に踏み込むと、誰もが簡単に殺される可能性がある。ただジャーナリストでもない限り、外国人がそういった面に近づくことは少ないかと思う。しかし、もしメキシコに入り込んで、この側面を徹底取材しようとするのなら、日本人であろうと命の保証は無いと考えた方が良い。

この国で真実を探ることは、時に命と引き換えの行為である。この映画はそういったメキシコの影の側面を描いているのだが、同時に、その中で果敢に行動する女性達を讃えるような映画でもある。

メキシコでは公式記録のみで10万を超える行方不明者がおり、そのほとんどは組織的マフィアに殺されていると考えられる。賄賂が横行し、警察もマフィアとのコネクションがある場合が珍しくない。映画の中で、行方不明の娘を探す母親が、警察からお金を受け取ったかと聞かれるシーンがあるが、これは警察がお金を渡すことを条件に、行方不明者の家族に、これ以上真実を探らないよう要請しているということなのだ。

政治腐敗と賄賂がまかり通るこの国では、事実を探られることは、警察にとっても政治家にとっても、勿論マフィアにとっても不都合であり、それゆえこの多数の行方不明者(既に殺されているケースがほとんど)に対して、大した捜索もされない状況が続いてきた。殺人に対し、国全体で沈黙しているようなものだ。明るみに出ないケースも多く、実数は公式発表の比ではないと思われる。

(なお、必ずしも国民全体がマフィアを恐れているという訳ではなく、頼っている人も多く存在するという。社会保障が脆弱なメキシコでは、政府から生活保障がされず、マフィアがそれに代わる役割を担ったり、対抗する他のマフィア組織から市民の命を守ったりと、共存関係にある場合も多々あるという。政府や警察は、マフィア以上に信用出来ないということらしい。先生談)

不都合な真実を明るみに出そうとするジャーナリストは、毎年次々と殺されている。メキシコ人のみならず、外国人ジャーナリストも同様である。メキシコはジャーナリストにとって、非常に危険な国と言われている。そして、ジャーナリストのみならず、頼りにならないばかりか偽の情報を伝えてくる警察を見切って、自力で捜索をし、真実を突き止めようとする犠牲者の家族もまた、危険に晒される。それらに関わる弁護士なども同様で、極めて危険な立場にある。マフィア側から脅しを受けることは日常茶飯事で、そのため居場所を悟られないよう細心の注意を払う場面が、映画にもしばしば登場する。

こういった背景の中、行方不明者の家族が独自にグループを作り、捜索を続けている。メキシコ全土に多数のグループが存在し、実在するそのひとつが、映画の中に登場する。娘を探す主人公の女性と話をする人々は、実際のグループメンバーである。ある人は10年以上、手がかりを求めて活動している。政府と警察が何もしない以上、自力で行動する以外、失踪の真相を知ることは出来ないのだ。ただし、それを知ろうとすること自体、危険が伴う。

主人公の女性フリアは、9ヶ月前に娘が行方不明となっている。警察からの賄賂は受け取らず、ジャーナリストや弁護士、行方不明者家族グループの力などを借り、何としてでも娘の失踪の真相を突き止めようとする。脅しを受けても屈せず、怒りと悲しみとやるせなさから、行動を続ける。

彼女の力となったのは、同様に真実を探ろうとする女性達。メキシコで、こういった領域に足を踏み入れることは、いつ殺されてもおかしくないことを意味する。実際、フリアをサポートした若い女性ジャーナリストのアブリルは、フリアの目の前でマフィアに拉致され、おそらく殺されている。この場面は、どうすることも出来ないフリアの心情と合わさって、見ていて非常に辛い。

映画の後半、フリアの娘は、麻薬を所持していたという理由だけで殺されたらしい、ということが判明する。それでも彼女は納得がいかない。なぜ、それだけのことで死ななければならなかったのか。メキシコはよく言われるように、麻薬取引の温床であり、一般市民が気軽に麻薬に手を出してしまうことも可能である。そして、例えば麻薬代金が払えなかったとか、他のマフィアの領地で麻薬を売買したというような些細なトラブルで、即殺されるという。

(余談だが、メキシコ空港で出国手続きの後、搭乗する直前に、乗客全員が徹底的なボディチェックと、念入りな荷物検査を受けた。私は一度トイレに行ったので、二度も同じことをされた。ここまで厳重にチェックされたのは初めてである。麻薬持込防止のためとのことだ。)

さて、この映画で象徴的なのは、女性達の勇敢さである。娘を探すフリアも、ジャーナリストのアブリルも、命をかけて真実を突き止めようとする。そして、場面としてはっきり登場しなものの、おそらく2人とも殺される。フリアは参加したデモで、それを鎮圧する警官によって、アブリルは真実を記事に書いたために、マフィア組織によって。

映画に登場する弁護士や、行方不明者の家族グループのメンバー、行方不明者を無視する政府や警察への抗議デモに参加するのも、皆女性達だ。反して、映画の男性達は、悪しき慣習に浸り、ほとんど行動しない。フリアの夫も、フリアの息子も、家族を失い悲しんではいるが、行動力は皆無である。

この映画の監督は女性ではないか、と先生に訊いたら、やはりそうだという。メキシコの犯罪被害者は圧倒的に女性が多い。しかし、この映画に出てくる女性達は、はっきりとした意志と強い行動力を持ち、真実と正義のために命を賭ける。女性の保護を求めたり、弱さを主張する映画ではない。最初から最後まで重苦しいトーンなのだが、それでもこれは、今この瞬間、腐敗したメキシコ社会で闘っているいる女性達に、勇気と自信を与える映画だろうと感じる。

おそらく監督は、社会の変革には女性達の力が不可欠だと、メッセージを込めたのではないか。伝統的なマチスモの影響が未だに強いメキシコで、変化をもたらすことが出来るのは女性だとの思いが込められているのではないか。問題解決を放棄した男性達と、果敢に立ち向かう女性達の対比が、この映画の随所に描かれている。興味のある方は、是非観て頂きたい。

(なお、先生の話によると、メキシコのフェミニズムは時に過激であり、デモ参加者が公共や個人の建造物を破壊することが頻繁に行われ、近年問題になっているとのことである。長年鬱積した怒りが爆発しているとも考えられるが、事情は複雑そうである。)

課題で書いた映画批評を、先生(多分少しフェミニスト)が絶賛してくれたので、スペイン語を解する方は、こちらもどうぞお読みください。

Lo más impresionante en esta película es la valentía de las mujeres. Aparecen muchas mujeres en varias posiciones luchando por la justicia. Una madre, una abogada, una periodista, las miembros de la manifestación, etc. Ellas tienen la fuerza de voluntad, no renuncian fácilmente y dicen la verdad aunque se pongan en peligro.

El símbolo de esas mujeres valientes es Abril, una periodista. A pesar de que tiene una hija, trata de ayudar a la gente que perdió a sus queridos y escribe la verdad sabiendo que esa acción es peligrosa. La escena en donde se la llevan los hombres armados es el momento más doloroso y triste en esta película. Pero es cierto que sus escritos han impactado a la sociedad. Ella luchó contra la injusticia y los crímenes apostando su vida.

La protagonista Julia también tiene una fuerte voluntad que nunca renuncia a encontrar la verdad. Su capacidad para tomar acción se destaca en la comparación con su esposo e hijo que simplemente están de duelo.

Y otras mujeres en esta película como la jefa de la policía, la abogada, las mujeres en la manifestación también tienen sus propias opiniones y maneras de vivir.

En comparación con las mujeres, los hombres en esta película no parecen tener la fuerza de voluntad. Sólo siguen malos hábitos o no toman ninguna acción evitando problemas.

Sí, los hombres tienen el poder de matar a las víctimas, pero es sólo la fuerza física. No me impresionaron los hombres en esta película.

Entonces, ¿por qué la directora de “Ruido” usó este tipo de contraste para describir esta situación social? Es decir, las mujeres luchando por la justicia y los hombres ignorando los hechos inconvenientes?

En mi opinión, ¿sería un mensaje que la fuerza de mujeres es esencial para cambiar la sociedad? Sin su tenacidad y paciencia, sería imposible mejorar el problema tan complicado. Creo que esta  directora rinde esta película a las mujeres que están luchando, a las que fueron asesinadas mientras luchaban, y las niñas que van a luchar y conseguir un mejor futuro.

Sí, vimos muchos aspectos oscuros de la sociedad mexicana pero también, esta película daría una valiente y confianza a las mujeres que luchan por la justicia en este momento. Es una película triste tratando un tema grave pero nunca niega ni denigra a las mujeres, sino celebra la fuerza de ellas.


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