「将来について」

好きだからとはいっても、没頭するほど夢中になれたこともなくて、積極的にやりたいわけじゃない。けど、やりたくなくもないことを続けていったさきにあったのが、いまの選択肢だった。

一回、ぼくは大学院の試験に落ちていて、2月頃の受ける人がいるのか分からないような試験を受けて、大学にひろってもらって、いまがあるので、人生どう転ぶかは分からないなって本当に思う。一度、落ちてみて、これからどうしようかなってときに、将来について考えると、自分にとって一番の「不安」は、進学も就職もしないことであり、人間にとって最大の苦痛は、暇であるとおもった。はじめてみたはもの、「どうなりたい」とか「どうしたいのか」も全く分からず、自分にあるものといったら、すこし数字につよくて、プログラミング経験がある程度だった。だったら、数学教師になる道もアリかな?でも、免許もってないし、人とコミュニケーションとるのが苦手だから、無理だなといった具合に、「やりたいこと」ではなく、「やりたくないこと」を選択肢からはずしていった。すると、「エンジニア」という職業しか残らなかった。

求人票をながめても、高い収入に惹かれることも全くなかった。「やりたいこと」が見つからなくても、いつか「つづけられる」ことをみつけられたらいいなっておもった。人間の欲求って段階別にわかれると思うんですけど、好きな会社や、やってみたい方向性に進めたときに、つぎは「収入が高い方がいい」とか「週休3日ほしい」とか、あってもなくても生きられるんだけど、満たされるごとに、「ほしいものリスト」が増えていく構造にあると思うんです。でも、「それって、あってもなくてもよくね?」って思えるもので空きスペースをうめていって、身動きがとれなくなるケースは多いし、ほとんどの悩みって「比較」から生じているんだと思う。「このひとに馬鹿にされたくない、見下されたくないから、いいマンションに住んで、高級なものを買って、家族つくって・・・」といった具合に、自分にとっての"普通"を演じる生き方は、あまりにも窮屈で生きづらいだろうなっておもった。

そもそも人に興味がないわけではないけど、積極的に好かれたいと思うこともなかったし、一人でいることの方が長かったから、人の価値観に左右されずに生きてこれたのはあった。なにかになりたいとおもう。でも、なにになったらいいのだろうか。「そうか、自分にはこれがある!」といった感じに、"なろうとしてなった"というよりは、それを続けていたら、"なっていた"だけなのかなっておもう。人生は、なるようにしてなり、なるべくしてなるものかもしれない。

いまだに将来のことは漠然としているし、分からないことの方が多いけど、続けられるものが一つあるだけでも、救われるなっておもった。いずれそれが人生をカタチづくる、ひとつのパーツになるみたいに。いつか納得できる「選択肢」がみつかるといいな。

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