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旅の記憶(エッセイ)

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これまでの一人海外旅のエッセイです。実際の旅の順とは関係なく、基本的に一話読み切り。今は2005年のオーストラリア一周の旅を時系列で書いています。(古い情報も含まれますので実際に… もっと読む
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記事一覧

【旅の記憶】光り輝く3人組(Sydney 3)

私が旅の最初にお世話になったのは、シドニーの北、セントラルコーストと呼ばれるエリアにある一軒家であった。 そこに週単位でリーズナブルに宿泊できるB&Bのような場所があったのを、webで見つけて、約3週間予約してあったのだ。 (残念ながら今はもうクローズされている) 日本人の方がオーナーだったのも、ここに決めたポイントで、いきなり海外初一人旅でオーストラリア大陸を一周しようという暴挙の、 その「暴挙感」を少しでも和らげるため、ここでしばらく生活に慣れさせてもらおうと思ってのこ

【旅の記憶】待ち合わせは空港のマクドナルド(Sydney 2)

シドニーに到着すると、当然最初の関門、入国審査(イミグレーション)が待っている。 以前の【旅の記憶】でも書いたが、私はイミグレーション恐怖症である。 (オーストラリアやヨーロッパのイミグレーションについて書いた以前の記事はこちら ↓ ) 語学ができればそんなに恐れることはないのだろうけど、毎度びくびくのイミグレーション。 それをどうにかクリアしたら、今度は前出の送迎車のドライバーと落ち合わなければならない。 落ち合う場所は「空港内のマクド前」という、梅田で友人と会うような

【旅の記憶】いきなりのオーバーブッキング(Sydney 1)

「ご搭乗の便にオーバーブッキングが出ております。  こちらで一泊分のホテルをご用意いたしますので  明日の便に振り替えていただくことは可能でしょうか。」 私はその日、知り合いの誰一人いないオーストラリアへ3ヵ月の一人旅に出る高揚と不安に包まれて関空にいた。 私は旅慣れているとはまったく言えない身で(それは今も同じだ)、 カウンターの女性のきびきびした言葉の意味するところが、まずもってよくわからなかった。 オーバーブッキングなるものが存在することは知っていたが、 それが私の

【旅の記憶 オーストラリア編】89通りの長い一日(prologue)

その日、私はシドニー近郊の町にある一軒家のダイニングで、 空から降ってくるものを唖然として見ていた。 それらは大きいものでは大人の拳大の大きさがあり、不透明な白い色をしていた。 目の前の中庭は芝生に覆われていたが、あっという間にそれらに覆いつくされ、緑色だった地面は白一色に変わった。 それは私が3ヵ月のオーストラリア一周一人旅をスタートさせて2日目の夕方に起きた、突然の雹の襲来だった。 さすがに地元でも滅多にない現象だったようで、翌日の新聞にはこのことが一面に写真入りで掲載

【旅の記憶】ミケランジェロの筋肉

ウフィッツィ美術館の話は以前に書いたのだけど、フィレンツェでは他にも美術館を訪れている。 アカデミア美術館へはクリスマス・イヴの朝に出かけた。 ここは泊まっていた場所からドゥオーモ方面へ向かう途中で毎日のように横を通っていた。 ウフィッツィに比べるとずっとこぢんまりとして外観もさして特徴がなく、 最初は横を通っても何の建物かわからなかったぐらいだ。 こちらの目玉、というよりフィレンツェの目玉と言ってもいいが、は何と言ってもダヴィデ像。 市庁舎前のダヴィデ、町を見渡せる高台、

【旅の記憶】OK、セニョリータ

【旅の記憶】は前回までサン・ジミニャーノの話を4回に分けて書いたのであったが、 ポッジボンシで乗り換えた、スピード出し過ぎバスを降りた後の話も少しだけ。 バスを降りて、すでに日の暮れたフィレンツェの中心にあるレプッブリカ(共和国)広場を目指して歩いていると、 突然ものすごい数の夜店風のお土産屋がずらりと並んでいる、人だらけの通りに出た。 まるでアジアの都市に迷い込んだようで大層驚く。 こんなところはフィレンツェに来て一度も通りかかっていない。 一体どこだろうと、頭の中に地図

【旅の記憶】行きと帰りのバスの落差よ(旅のなかの旅 サン・ジミニャーノ④)

町にもう一つある主要な教会、サンタゴスティーノ教会は長いお昼休憩に入っていたので、15時に再びオープンするまでサン・マッテオ通りをうろついて待つ。 お土産屋をひやかしたりしていたが、やはり朝から閉まっている店は閉まったままなので、 どうやら今はクリスマス休暇なのだろう。 残念だったのは「世界一美味しいジェラート屋」に選ばれたことのあるアイスクリーム屋まで閉まっていたこと。 世界一のアイスがここサン・ジミニャーノに、目の前にあるというのに、 と食いしん坊の私としては塔にのぼれな

【旅の記憶】散策からのマルゲリータ(旅のなかの旅 サン・ジミニャーノ③)

町、と言っても20分も歩けば反対側に着いてしまいそうなこの世界文化遺産サン・ジミニャーノ歴史地区は、 そもそもエトルリア起源の町の一つであるらしい。 街道の合流地点にあったお陰で町は発展した。 この町を特徴づけている塔は、そんな発展の中、富の象徴として競って建てられたもので、現在では14本が残っている。 私は観ていないのだが、1972年の映画『ブラザー・サン シスター・ムーン』が撮影された場所としても有名なのだそうだ。 門をくぐると緩やかな坂道、サン・ジョヴァンニ通りが町の

【旅の記憶】バスはまだか@ポッジボンシ(旅のなかの旅 サン・ジミニャーノ②)

バスは有名な橋であるポンテ・ベッキオの三つ西側のヴェスプッチ橋を渡り、市街地を南下していく。 じきに車窓にローマ門という、こちらも有名な建造物が。 この三、四階建ての建物ほどの高さのあるローマ門、フィレンツェ市街地の南の端でピッティ宮に続くボーボリ庭園と隣接しているのだが、 少し街中から離れているようだったので、車窓から眺められたのはとてもラッキーだった。 実はこれも後からわかったのだが、ここはダン・ブラウンの小説『インフェルノ』でえらくクローズアップされている古い城壁跡。

【旅の記憶】長距離バスでどこへゆく?(旅のなかの旅 サン・ジミニャーノ①)

朝起きたら今にも雨が降りそうな気配である。 今日は月曜日で美術館は休みのところが多く、もしフィレンツェで一日日帰り旅をするなら今日かな、と思っていたのだが、 朝食を食べながらまだ踏ん切りがつかない。 そもそも日帰り旅行をするかどうかでも、行くとしたらどこへ行くかでも迷っていた。 出発前は、フィレンツェの町歩きだけでも行きたいところが目白押しで、 実際到着したらそこから更に別の町へ行きたい気持ちは失せるかもしれない、そう思っていた。 しかしいざ到着すると、せっかくここまで来たの

【旅の記憶】とにもかくにもボンジョルノ(もしくは10単語ほどで行くイタリア)

フィレンツェに来てから、まだアルノ川を眺めていないじゃないか、と気づいて 細い通りをぶらぶら西へ歩いていると、雑貨店を見つけた。 ボンジョルノ!と元気よく店内へ入ってみる。 店員の女性は私と同じぐらい元気よく挨拶してくれたあと、頃合いを見計らって 「えーっとイタリア語でいいかしら?英語の方がいい?」と尋ねてくれた。 これはとても親切で嬉しい尋ねられ方である。 相手を慮ってくれているのがよくわかるし、こちらも気兼ねなく 「英語でお願いします!」と言えるのだから(2択なら、という

【旅の記憶】午前3時のシャルル・ド・ゴール

早朝3時のパリ、シャルル・ド・ゴール空港は閑散としていた。 フィレンツェ行きの飛行機は10時まで出ない。それまでの時間、私はただただ待機するしかないのだった。 少なくとも空港内のカフェなり何なりが開くまでは。 一体何時間かかって私は移動を完了するのだろう。 昨日の日本時間の午後早くに家の最寄りの駅を出てから、丸一日が経過しようとしていた。 いや、もちろん初めからこんな長時間トランジット(乗り継ぎ)を予定していたわけではない。 伊丹→成田→パリ→フィレンツェと、さくさくさくと

【旅の記憶】体力勝負、ヴェッキオ宮殿

フィレンツェのウフィッツィ美術館に行った日の夕方、今度はお隣のヴェッキオ宮殿にも行ってみた。 ミュージアムだけなら10ユーロ、塔とプラスなら14ユーロ。ここで塔に登るつもりはなかったのだが、4ユーロの違いならと塔付きにする。 「じゃあ、先に塔に上がってね」と言われた意味がよくわからなかったのだが、 後から思うに塔の方が先に閉まるか、日が暮れて暗くなったら景色が楽しめないと思ってくれたのか、どちらかだろう。 しかしこれが・・・心の準備をまったくしていなかったので、とにかくしんど

【旅の記憶】ウフィッツィ?ウフィツィ?ウッフィッツィ?

フィレンツェではたくさん絵画、特に宗教画を観た。 一体何枚の宗教画を観たのだろうか?100だろうか、200か・・・ ともかく一週間でそれぐらいの単位を観ることになってしまった。 特に宗教画鑑賞を最大目的として観光していなくても、とにかく溢れ返っているのである。 もちろんこの街で、教科書などで見知っている絵の実物を観るということは、私の求めていたことではあるけれども いかんせん、それだけの圧倒的数量でもって迫られると、こちらもかなりの力を必要とする。 想像してごらん、一週間で仏