生きづらさ、って
生きづらさ、って自分が嫌い、ってことです。
生きづらさを手放そうと思ったら、自分と向き合い、
ありのままの自分を全部受け容れます。
長所も欠点も全部、です。
オモテには出さないけど、内心、自分には長所なんて無い、と思っていませんか?
長所が無い人なんて、いないんです。
人には必ず、良いところも、悪いところも、ワンセットで有ります。
良いところが見えなくなっているのは、思い込みのせいです。
思い込みは、小さい頃、毎日毎日、お前は駄目だ、何も出来ない、と責められて出来上がりました。
親が先回りして、自分がやることを全部やってしまうこともありました。
自分は何も出来ないから、親が全部上手にやっちゃうんだ、と思いました。
何かをやっても、ヘタクソだって言われ、ヘタクソと言われない時は、親が先回りして全部上手にやりました。
思い込みは、そうやって責められたり、やることを取り上げられたりすることで、心の中に貼り付きます。
一回や二回じゃありません。
生まれてからずっと、です。
生まれてからずっと、ですから、自分が自分を嫌っている、なんて気がつきません。
それが当たり前なんだから、気がつきません。
親が言った通り、自分は何も出来ない、と思っています。
でも、自分は出来るんだ、と強がりたくなります。
出来る、と出来ない、の間を行ったり来たりします。
なんだか、自分がよくわかりません。
何も出来ない、と思っている時は、気分が重いんです。
何も出来ない自分は、価値が無い、と感じます。
自分には価値が無い、と感じて気分が良くなる訳がありません。
出来る、と強がっている時は、本当に強がっているだけ、なんです。
心の奥の方では、今に失敗する、と感じています。
だって親が、お前は何も出来ない、といつも言っていたから。
生まれてからずっと、そう言っていたから。
だから、こびりついて離れないんだ。
お前は何も出来ない、がこびりついていなかったら、
きっと自分は、もっと自信が有って、もっと何でも出来て、もっと自由で、もっと晴れやかな気持ちで生きていた様な気がするんだ。
こびりついた、何も出来ない、と言う言葉は、いわれのない思い込みです。
生まれ堕ちた、その場所には、愛を注ぐことが出来るほど、心が成熟した親がいなかっただけの話しです。
子供は何も悪く無いし、親が言う、お前は何も出来ない、は、親が自分の心の傷から目を逸らす為に、子供に放った言わば、根も葉もない言いがかりです。
自分のことが嫌いなのは、こびりついた思い込みのせいです。
思い込みは、どこまで行っても、単なる思い込みでしかありません。
そんな実態の無い、幻の様なものは、いつだって取り払うことが出来るんです。
そんなものに縛られて、
背負い込んで、
重い気持ちで歩くいわれは無いんです。
怖がらず、決断したら、
きっと軽やかに歩けます。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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