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美しい女シリーズ005: 素敵な後悔をもって天の扉を開けた女。


5月30日。。。日本にいる祖母が 二週間の山と谷を越え 息を引き取りました。
これは そんな大好きな祖母…後悔を抱えながら 天の扉を開けた 美しい女のお話
私の祖母、栄子に捧げます。
(写真は 祖母が亡くなった日の空です)。

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ー 生まれ変わっても 俺とまた一緒になってくれるか?

トシは 中国のとある山頂で 妻に向かって そっと語り掛けた。
栄子は 少し考えてから その薄い唇を そっと開いた。

ー 商人の家には もう嫁ぎたくはありません…

トシは 寂しそうに微笑み 二人は絶景のその先を じっと眺めていたという。


トシはその後 62歳で生涯を閉じた。肘枕で横になり 微笑みながら。



栄子は日本人とは思えないような はっきりとした顔立ちの 品のある女性だった。
結婚前にお付き合いをしていた男性がいたが、
8人兄弟の長女として生まれ、見合い結婚を強いられた。
嫁いだ先は その地元にある大きな肉店。お相手も8人兄弟の長男と大家族だった。
結婚相手のトシは とても誠実で 栄子自身も この人ならと二つ返事で結婚したそうだ。
私の母と叔父、二人の子供達に恵まれが、
トシの母はどっしりと構えた 明治の女性…。
中国系の家系出で、肌は真っ白 大きな体をいつも居間に置いていた。
栄子はお店の切り盛りを トシと共に任せられ
子供達は 有無いえることなく トシの母と乳母に任せざるを得なかったという。

栄子は 自分の子供たちを 自身の手で育ててあげられなかったことを 祖母となっても 悔やんでいたらしく いつも孫の私に 呟いていた…

ー苗子、子供は自分の手で しっかりと育てるんだよ。
 大切に、大切に育てるんだよ。

と。祖母の言葉は一人目が生まれた時から 今に至っても 自分なりに守り抜いているつもりだ。


トシの母が一家の中心として 成り立っている家で 栄子は辛い思いも 沢山重ねていたらしい。
それでも栄子が 頑張っていられたのは、
トシがいつも 栄子の味方として傍にいてくれたから…

孫の私に祖母はそう教えてくれた。

今になって考えると、祖父も色々と母と妻の間に挟まれることがあったのかもしれない…それでも祖父は いつも女たちの間で 強く大きな柱となって家族を また従業員とその家族を支えてくれていたのだと思う。

トシは子供たちがある程度大きくなると、栄子を毎年一度は 海外旅行に連れ出した。
お気に入りの旅行先は 中国であった。
二人で山を登ったり、観光をしたり…トシはいつも栄子を労り 感謝の気持ちを忘れない…そんな素敵な男性であった。


その旅行先で、ある年 トシが問いかけた…

ー 生まれ変わっても、俺とまた一緒になってくれるか?

女にしたら、この上ない素敵な問いかけであった。
その問いに ふと答えた栄子は、この先ずっと後悔することになる

ー 商人の家には もう嫁ぎたくありません…

正直な栄子の気持であった。
日々の苦労や 抑えていた我慢が この一言に流れてしまったのだと思う。

祖父が亡くなってから 孫として、何度も何度も 繰り返し聞いたのは この先にある栄子の言葉達だ。

ー なんであの時 「はい」と言ってあげなかったのだろう…

商人として生きるのは確かに辛かった時代である。
が、祖母は決して祖父とまた一緒になりたくないと思っていたわけではなかった。ただ、問いかけの真意を 商人という家柄にかけて答えてしまったのだ。。。その時の祖父の横顔が とても寂しそうだったと…祖母は涙ぐみながら いつも私に語っていた。

ー あの時 「はい」と言ってあげれば良かった…
ー なんで 「はい」と言ってあげられなかったんだろう…

それは、祖母が抱く 祖父への気持ちを 素直に伝えられなかった 彼女の最大の後悔であったのだと思う。
孫の私は 耳にタコが出来る程 この言葉達を ため息とともに祖母から聞かされていたのだから。


トシが亡くなってからも 栄子は義理母の面倒を見ながら
強く 家を支えていった。
夫が亡くなっても、夫の顔に泥を塗らないように、、、と 毎日化粧も欠かさず、身だしなみは 家族の者が寝床から出てくる前に きちんと済ませている程であった。
毎日 お仏壇にトシへのお膳をあげ、寝る前にはトシの遺影に手を合わせていた。

トシの母親が亡くなって、栄子にもひ孫が出来始めた。
が、この辺りから 栄子の認知症が出始めた。。。
それでもなお、栄子の口から出る ”あの時 話し”は 必ず
中国旅行でのトシとの会話であった。

それほどまでに 栄子の中で あの時出せなかった 「はい」の一言が
心の中に引っかかって 取り除けない物になっていたのだと思う。


2021年 五月 三十日 :栄子 永眠 (享年94歳)

私の母が 末期癌で長くはない祖母栄子を
最後の数週間だけでもと このコロナ渦の中 病院に掛け合って自宅に引き取った。

誰にも面会が許されず、この一年ですっかり衰弱してしまった栄子の元に
家族が次々と集まった。
子供達、姪っ子 甥っ子、その子供達から孫たち…自身の孫たちに ひ孫たち…
意識があったかどうかは分からないが、
栄子は大家族に生まれ育ち、
大家族に嫁ぎ
大家族を支え、
大家族の笑い声のもとで息を引き取った。

トシに会うために 恥ずかしくない人生を歩み 
先日 長い年月を経て

トシに会いに 行った。




…おじいちゃん 迎えに来たかしらね?

…おじいちゃんも パパも お兄ちゃんも みんなで おばあちゃんを迎えに来たんじゃないかな。

遠くアメリカで 祖母を想うと
何故か 悲しい気持ちは溢れてこない。

…苗子はどう思う?

そう 涙声で母に尋ねられた。

目を瞑ると 安らかに眠る祖母の横に
品の良い きちんと身だしなみを整えた祖母と
ボロタイを首から下げて 手を後ろに回しながら 嬉しそうに微笑む祖父の姿が見えてくる。
おかしなことに二人とも同じくらいの年齢だ。

祖母は 恥ずかしそうに会釈しながら
ーちょっと挨拶周りに行ってきます。

そういって 二人で嬉しそうに去ってゆく風景が見えた。

ー 多分今頃 おじいちゃんと二人で 挨拶回りに行くと思うよ。

ー そうね…

ー でもね、天国に行く前に 多分おばあちゃん寄りたいところがあると思うんだ…

ー ん?どこ?



ー …中国。


素敵な後悔を抱き続けた美しい女 栄子は 必ず
来世に向けて 新たな誓いを トシと共に立てるはずだ…と
おばあちゃんっ子の 孫の私は 心のどこかで知っている。
そして、その後悔を 来世で咲かせ、
その時には 必ず また 栄子とトシの孫として 私も生まれ変わりたいと願っている。



あとがき:

私は 前世 現世 来世… どこかで繋がっていると そう信じています。
「悔いのない人生を」とよく耳にしますし、私自身 今この時の一生懸命を生きているつもりですが、 後悔や やり残したことがあるからこそ、次への扉が開かれるのかなと 祖母の死をもって そう思いました。
祖母が 言えなかった「はい」の一言… それをもって天の扉を祖父と一緒に叩けた事… 必ず 次の世で 祖母は笑って 「はい」と二つ返事を祖父に告げる事が出来るのではないかと思います。そのために 二人は天への道のりで 中国に寄り もう一度 誓いあってくれていると 私はそう思うんです。

「後悔のない人生」 を歩くよりも 「素敵な後悔をもって次への扉を開ける人生」を歩めるように…
どうせ生きるのならば、祖母の様な とびっきり素敵で 強い想いの後悔を 作って生きていきたいと そう思う私です。

これは祖父が亡くなる前に
亡くなることをどこかで悟っていたのか、書いてしまってあった詩です。

我が人生の詩
1.この道は 我が行く道と信じつつ、
 のぞみに生きた 人の世は
 苦しみも苦にならず
 あかりをともした 二人旅

2. 信じ合い よき友多く恵まれて
 しののめ晴れて 光り見ゆ
 苦しみは 楽しみに
 親子 孫との家族旅

3. いつの日か 別れは来ると思えば悲し
 妻への思い 楽しく胸に
 さようなら、 南無阿弥陀仏 1人旅

私は 4歌詞を作りたい…天(あま)の旅

4.時流れ 隣に戻りし愛し人 
 見送る家族に 背を向けて
 悔いを 高みへ捧げし道を
 待ち焦がれた 妻と新たな 天の旅

下手すぎて おじいちゃん怒らないかしら…ふふふ。
最後までお読みいただきありがとうございました。

おばあちゃん、大好きだよ!!!!!!




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