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散文の落とし穴

 ありふれた日常を書いた文章でも言葉を多少弄ることで、人にどこか違和感を感じさせ、また別な風景を想像させることが出来る。またあえて何かを書かないことでも同様の事が出来る。小説の出来事とは文章によって作られる。今書いているこのこの文章もそのような仕掛けの一つである。


 日が昇ると同時に春子は起きて台所で子供たちのために弁当を作り始める。まずは野菜を切ろうと、冷蔵庫からビニールパックに入れていた漬物を取り出して水を抜くために指に力を込めて絞った。指の間に野菜がめり込んだ。やがて春子は漬物から手を離して、手を回転させて手のひらのまだらの赤みを見た。彼女は少し力を入れ過ぎたと反省し、絞った漬物をまな板の上に置いた。それから彼女は包丁を取り出して漬物を切リ始めた。包丁で漬物を切ると鈍い音と同時にキツイ酢の匂いが鼻をついた。春子は包丁を持ったまま鼻の刺激が治まるまで天井を見上げた。ようやく刺激が治まると彼女は再び包丁でまな板の漬物を切り始めた。
 そうして全て弁当を作り終え、それらをテーブルに並べると、春子はエプロンを外して子供たちを起こしに子供部屋に行った。

 玄関の外で学校へと向かう子供たちを見送ると春子は家の中に入り、パートに出勤する準備をするため寝室に向かった。薄暗い蛍光灯のついた寝室の彼女のベッドにはまだハンガーをとっていないパート先の制服が置かれている。彼女は早速服を着替えたが下着姿になった時、ふと誰かに覗かれているような気がして周りを見た。しかし家には誰もなく、窓はシャッターでしまっているため外から覗かれる心配はない事に気づいた。
 着替えが終わると春子は軽く手鏡で自分の顔を見ながらメイクを始めたが、その時頬が妙に黒ずんでいるように思えてもっと見ようと鏡を頬に近づけた。そうしてよく自分の顔を観察して彼女はこれは部屋の明かりのせいに違いないと結論づけた。

 全ての準備を終えた春子は出勤の前に忘れ物はないか確認するためにドアから部屋全体を見渡した。彼女のベッドは先ほど制服を置いていたためシーツにしわがあったが、他はちゃんと片付けられていた。床にもゴミなどは落ちていなかった。最後にもう一つのベッドを見たが、そこはいつものようにシーツのシワもなく、またなんの汚れもなかった。

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