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太宰治とアメリカの文学者たち

 最近ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの『パターソン』という長編詩を読んだのですが、この詩の中になんとあの太宰治の名前が出てくるんです。『彼女は「選ばれた」のかもしれない。ダザイ・オサムとあの聖女のような姉なら きっとそう言うだろう』って詩行なんですけど、注釈によるとこの詩行は『斜陽』から取られたようです。これ読んでびっくりしましたね。だってウィリアムズ・カーロス・ウィリアムズっていえばT.S.エリオットやエズラ・パウンドに並ぶ大詩人ですよ。日本じゃあまり知られていませんが、この人今のアメリカの現代詩の形式を作った大詩人なんです。例えば皆さんも知ってるビートニクのアレン・ギンズバークだってこの人に多大なる影響を受けています。そんな人の詩に太宰の名が出るとは思わないじゃないですか。しかも内容からしていわゆる東洋趣味的な文脈で全くない。ウィリアムズの詩はどうやらとある兵士に捨てられた女の事を書いているようですが、その女と『斜陽』の作家の捨てられる女主人公を重ねているんです。ウィリアムズが太宰についてどんな風に思っていたかは私にはわかりませんが、詩に出すくらいだからそれなりに評価していたんじゃないかと思います。

 最初にウィリアム・カーロス・ウィリアムズの例を上げましたが、太宰治は昨今アメリカで非常に人気が高いそうです。だけど実は太宰ってアメリカでは昔から注目されてきたんですよ。あの日本文学研究者として有名なドナルド。キーン氏が太宰の小説を英訳して少なからず文学者の注目を浴びました。テネシー。ウィリアムズが三島由紀夫との対談で『斜陽』の世界をまるでアメリカ南部そっくりだと発言しています。対談相手の三島は太宰が嫌いでテネシーが太宰を褒めるのが気に食わなかったのか、後でテネシーを太宰なんかを好きになるような奴だからろくな戯曲が書けないんだ的な事を言って軽くディスっています。ウィリアムズの他には『ティファニーで朝食を』や『冷血』で有名なトルーマン・カポーティがいます。『冷血』の訳者龍口直太朗氏はその文庫本のあとがきでカポーティ本人から太宰治に興味を持っていると言われたことを書いています。

 さてそんな昔から注目されて今TikTokなんかでバズっている太宰治なんですが、どのように読まれているかと言うとアメリカ人もやっぱり日本人と同じように読んでるわけです。太宰を英訳しているドナルド。キーン氏を始めとしたアメリカの日本文学研究者は谷崎や川端や三島を読むとどうしてもエキゾチズムを感じてしまうが、太宰を読むとまるで自分のことが書かれているような切実な文学的感動に囚われてしまうと口を揃えて語っているそうです。恐らく上にあげた文学者たちもそのように読んだのではないでしょうか。

 アメリカという国はある意味日本以上に同調圧力の強い国家であって、あの異様にポジティブな国民性も明るくあれという同調圧力からきているのではないかという思われます。ですが当然そんな環境に馴染めない人もいるわけです。きっと太宰の文学にはそんな人たちに強く訴えるものものがあるのでしょう。

 というわけで完全に見切り発車の何を言っているのかさっぱりわからない駄文もそろそろここで締めますが、よく考えれば万年ノーベル文学賞候補の村上春樹さんもかの地ではやっぱり太宰的な読まれ方をしているんじゃないでしょうか。アメリカのどっかの新聞のジャーナリストが村上春樹さんに太宰について聞いたとかそんな記事とかないでしょうか。あったら是非教えてください。ではさようなら~。

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