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やまだ紫 『性悪猫』 : どこか寂しくも温かい 〈人生の物語〉

書評:やまだ紫『性悪猫』(青林堂→小学館)

1970年代後半に執筆され、1980年に単行本化された、猫の生活を擬人化して描いた作品集。
私が読んだのは、1990年の文庫化に続く、2009年の二度目の再刊版である。

(青林堂・初版)
(小学館「やまだ紫選集」版)
(ちくま文庫版)

私は、「猫」にも『ガロ』系のマンガにも、あまり興味はなかったが、マンガという文化自体には子供の頃から親しんできたし、その意味で、日本のマンガ史やアニメ史には継続的な興味を持っており、折に触れて、そうした本を読んできた。古いところでは石津嵐の『秘密の手塚治虫』『虫プロのサムライたち』、新しいところでは中川右介の『萩尾望都と竹宮惠子 大泉サロンの少女マンガ革命』といったものである。

今回、やまだ紫の『性悪猫』を手に取ったのも、最近刊行された、白取千夏雄の遺著『『ガロ』に人生を捧げた男 全身編集者の告白』を読んで、そこで絶賛されている、やまだ紫を知り、代表作くらいは読んでおこうか、と思ったからである。

ちなみに白取は、今や「伝説のマンガ誌」となった『ガロ』の元編集者で、やまだ紫とは「作家と編集者」という間柄で知り合うようになり、結婚生活を送ったのち、やまだの急死により死別している。やまだには離婚した前夫との間の娘が2人いて、白取とは、子連れの再婚であった。
白取の『『ガロ』に人生を捧げた男』を読むかぎりにおいては、白取は、やまだに、結婚前はもちろん結婚後も「作家」として惚れ込んでおり、結婚後は、十数歳年上だったやまだを、「妻」としても熱愛し続けたようだ。
無論、多少の夫婦喧嘩くらいはあったようだが、収入は少なくとも好きな仕事に情熱を傾ける二人は、仲の良い夫婦であったようである。

(やまだ紫と白取千夏雄)

『1966年、『COM』5月号でデビュー。以降同誌に精力的に作品を発表する。『COM』廃刊後は『ガロ』(青林堂)に発表の場を移し、1971年2月号に『ああせけんさま』が入選。1972年には漫画賞きっての難関であった『ビッグコミック賞』に「風の吹く頃」で佳作3席。
以後、結婚・出産による一時休筆を経て、『ガロ』誌上で『性悪猫』『しんきらり』などの作品を立て続けに連載する。』

Wikipedia「やまだ紫」

上のとおり、やまだ紫は、デビュー後、『COM』『ガロ』といった、マニア系(マイナー系)のマンガ雑誌に作品を発表した後、一念発起し、メジャー系の『ビッグコミック賞』に応募して佳作入選を果たし、メジャー誌進出への道が拓けたところで、約5年にわたる休筆に入る。
この休筆の理由は、Wikipediaでは上のとおり『結婚・出産による』となっているが、じつは『結婚・出産』とそれに続く「夫からのDV、そして離婚」ということがあったと、白取の前記著書には書かれている。
やまだの前夫は、やまだが金にもならないマンガを描くことを快く思わず、それを許さなかったために、やまだは当初、夫の目を盗んで執筆していたのだが、それも出産で叶わなくなり、やむをえず休筆となったようだ。しかし、出産して休筆しても、夫のDVは収まることなく、子供の養育のために堪えに堪えていたやまだも、ついに離婚し、子連れで、マンガ界への復帰を果たすことになるのである。

本作品集『性悪猫』や、やまだの作品を評する場合、「メジャーマンガのようなストーリー性はないものの」「日常生活での、ふとした感情を、繊細な感受性によってすくい上げた作品」「優しさと詩情に満ちた作品」「折にふれて何度でも読み返したくなる作品」といった評価がなされ、それは全くそのとおりなのだけれど、やまだ紫のリアルな背景を知って読むと、そうした作風の出自が察せられて、とても興味深い。

まず、やまだが元より「感受性豊か」な人であったというのは、大前提である。
そのうえで、やまだが「日常生活」を描いたのは、マンガ家になったところで、ほとんど原稿料の出ないマイナー系マンガ誌に描いていたやまだは、おのずと貧しい生活を強いられており、世間並みの娯楽や気晴らしに興じるような実生活上の余裕はなかったであろうことが大きい。つまり、我慢を強いられる生活にあって、それでもやまだには「好きなマンガを描いて生活をしている」という自負があったのだ。

やまだの描く主人公たる「猫」が、他者の生き方に流されず、凛として自分の生き方を貫く「自負」の裏に、どこか「世間並み」には入れない「淋しさ」や「不安」のようなものが漂うのは、やまだの自負には「自身を励まさなければ、生きてはいけない」厳しい現実生活という「背景」があったからであろう。だから、

『せけんなど どうでもいいのです/お日様いっこ あれば』

(P14「日向」)

『あほな おまいにゃ/なびかぬぞ…………。』

(P28「柳の下」)

といった「孤高」宣言には、どこか自分を支えるための「強がり」めいた淋しさが漂い、雄々しさとか意気揚々といったニュアンスはカケラもないのである。
しかしまた、「強がり」だけでは持ち堪えられず、時に、優しく「保護されたい」とも思ってしまうから、

『なまじ/こんなところ(※ 温かな場所)へ/連れられたので
 恐くなったんだ
 もう一度/あの世間へ放り出されたら/どうしよう/ ………… どうしようか』

(P12「野良」)

あるいは、

『私は/おかあさんであるから
 素直に
 言えないことも
 あるよ
 (中略)
 あのさ
 仔猫みたいに
 抱いてよ
 砂袋みたいに
 抱いてよ』

(P54~58「梅雨」)

といった、自身の「不安」や「弱さ」を吐露した言葉にもなっているのであろう。(「※」は、引用者補足)

つまり、やまだ紫という人は、感受性豊かな人ではあったし、克己心の強い人ではあったけれど、最初の結婚には失敗し、前の夫との生活の中では「子供のために堪える(我慢する)」生活を、否応なく強いられた。だから、止むを得ず、けっして「世間並みの生活」など望まない、羨んだりはしないと、自分を叱咤しながら子供達を育て、やがて、意に添わぬ最初の結婚生活にピリオドを打ち、その後「作家と編集者」という関係の中で白取千夏雄を愛して、積極的に再婚を選んだのである。

したがって、やまだ紫の作品に漂う「いわく言いがたい微妙なニュアンス」というのは、読者が「励まされる」という言葉で表現するような「強さ」だけから生まれたのではない。

確かに、やまだは「強い」人だったけれども、そんな人でも時に「弱さ」を抱えて苦しんだのであり、そんな自身の「弱さ」と向き合いながらの表現であったからこそ、やまだの作品には「強さ」や「励まされる」といった言葉には収まりきれない「陰影」があったのだ。
例えばそれは、『苛立つのを/近親のせいにはするな/なにもかも下手だったのはわたくし/(中略)/自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ』(「自分の感受性くらい」)と歌った、茨城のり子の「決然とした強さ(男前な強さ)」とは、明らかに異質なものだったのである。

作品集『性悪猫』全体に漂うのは「いつかまた私は、この温かな場所から去っていかなければならないのかも知れない。その覚悟はある。しかし、だからこそ今だけは、この陽だまりで安らぐことを許してほしい」という、「祈り」のような感情だったのではないだろうか。

白取千夏雄は『『ガロ』に人生を捧げた男 全身編集者の告白』において、愛妻であったやまだ紫が、お互いに尊敬しあい支え合い愛し合う関係の中で、急死したと語っている。私は、その「物語」を鵜呑みにはしないけれども、信じたいとは思っている。

『性悪猫』は、人間の生涯を象徴するような、どこか淋しくも温かい「物語」である。

(※ 本稿は、2009年刊「やまだ紫選集」版『性悪猫』のレビューの転載です。引用ページ数も、同版のものです)

初出:2021年3月30日「Amazonレビュー」
   (同年10月15日、管理者により削除)
再録:2021年 4月10日「アレクセイの花園」

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