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【歴史エッセイ】世捨て人の資質

 誰しもが俗世に適合できるかといえばそうでもない。

 自身の経歴やそこに至るまでの経緯、元々の性格や能力。こうした要素が複雑に絡み合って、厭世観が生まれる。

 この厭世観と呼ばれるものは、俗世で生きていくうえでとても厄介なもので、何かあるたびに、

「俗世を離れたい」

 と思ってしまうものだ。

 それでも周りの人間は、俗世に迎合しろとか、俗世はいいところだとか言ってくる。

 俗世を厭う者たちにとって、これらのことはとても難しい。迎合しようとするだけでも神経をすり減らすし、いいところだと思おうとすれば苦しい。そして厭世感をより強めてしまう。


   ※


 いつの時代にも「俗世が合わない人」というのは存在した。わかりやすく例を挙げると、世捨て人がそれにあたる。

 世捨て人は出家者や隠者を含めた人たちの総称。人里から離れたところに庵を結び、念仏を唱えたり読経をしたりしていた。

 世捨て人になる人の特徴としては、

・俗世にいたときに降り注ぐように不幸に見舞われた
・元々繊細な心の持ち主である
・元々持っている能力が高い

 ということだろうか。

 元々の能力は高い。けれども、不幸が積み重なったり、神経が誰よりもか細くできていたりするせいで、俗世が非常に醜い場所に見えてしまう。そんな感じだろうか。

 そんな隠者の例を挙げると、西行と鴨長明がそれに該当する。

 まず、最初に西行について話していこう。

 元々西行は、佐藤義清という武士だった。それも、院に仕える北面の武士という武士の中のエリート。加えて藤原秀郷の血を引く貴族でもあった。

 西行が世捨て人になった理由については、二つの説がある。一つ目は失恋説、二つ目は友人の死説だ。

 一つ目の失恋説は、まだ20代の義清青年が高貴な女性に恋い焦がれていた。意を決して思いを伝えたが、フラれてしまい、そのショックで出家遁世したとする説だ。

 このときの相手は、鳥羽院の后であった待賢門院璋子だったと言われている。

 二つ目の友人の死説は、元々出家遁世を望み、無常感を感じていた西行には、佐藤憲康という出家志望の友人がいた。だが、ある日憲康は急死してしまう。このことでさらに無常を感じた義清青年は、世を捨ててしまったというものだ。

 あれやこれやと考えすぎてしまう性分だった。これが西行の出家の大きな要因ではなかろうか。

 彼の生涯を記した絵巻物『西行物語』には、この世の栄華は儚いものだから出家したいと考える反面、家族や鳥羽院のことを気にかけるなど、いろいろ思い悩む場面がある。

 自分の出家のせいで、家族や主君にも迷惑をかけてしまうのではないか? 出家遁世願望を信頼できる一人にしか話さない。これらのことから、西行という人物はかなり繊細で周りにしっかり気配りができる人物だということがわかる。

 また、西行は和歌に優れていて、小倉百人一首にも名を連ねている。

 繊細すぎると、些細なことでもいろいろ考えてしまう。それゆえに世の中が醜悪なものに見えてしまうのだろう。そして、繊細すぎるがゆえに、世捨て人となった人間には、芸術の才を持った人間が数多くいるのだろう。


 鴨長明は、隠者になるべくしてなってしまったように感じられる。

 鴨長明は平安時代末期から鎌倉時代初めにかけての歌人。三大随筆の一つである『方丈記』を記したことで知られている。

 そんな鴨長明であるが、彼の生きざまは「隠者にならざるを得なかった」と言っていい。

 まず、『方丈記』を読んでわかる通り、世の無常を感じざるを得ない場面に多く遭遇している。

 朝廷の主要施設や高官宅が焼けた安元の大火。平清盛により強行され、都が廃墟のようになった福原遷都。飢餓によりおびただしい人数が死んだ養和の飢饉。治承の辻風。元暦の地震。現代並みに災害続きな世の中を、若き日の鴨長明は生きてきた。災害の記述にある結びの文は、きっと彼が当時感じたことなのだろう。そして、若き日の鴨長明が体験した災害も、彼の人生観や世を捨てる決心に影響していたに違いない。

 次に隠者になるまでの鴨長明の経歴について見ていこう。

 私は父方の祖母の家督を継いでその家屋敷をも受け継いでそこに住む為に、祖母の永く住んで居た土地に永く居たのであるが、家族の者に先だたれたり、色んな不幸が打ち続いてあった為にすっかり私は元気を失ってしまい、遂にはそこに住んでいると色んな過ぎ去った不幸を思い出すので嫌になってとうとうその土地を見捨てる決心をしてしまった。そうして自分はもう俗世では決して満足が得られないのでこれをも捨ててしまって人の来ない所に小さい庵(いおり)を作って住む事に定めたのである。

佐藤春夫『現代語訳 方丈記』

 様々な不幸が度重なって起こると、自ずと気力というものは無くなっていくものだ。それが若くても年寄りであっても。

 ちなみに長明は和歌所の寄人になったり、鎌倉で三代将軍の源実朝と対談するなど、能力面は優秀で人脈もあったようだ。

 やはり能力や財力、人脈があっても、環境が悪かったり不幸がずっと続いたりすると、気力が無くなっていく。仮に活かそうとしても活かせなくなる。それゆえに、無常感や厭世感を感じやすいのだろう。

 自分のポテンシャルを活かせる場所の有無は、厭世感を感じるか否かにとても関係していそうだ。


「やはり、俗世は生きづらい」

 繊細すぎても生きていけないし、能力を最大限に発揮できる環境や運が無くても生きづらい。そしてそこに俗世が嫌になる出来事が積み重なると、余計世を捨てたくなる。だが、仮に俗世を捨てたとしても、俗世を捨てた人にしか見えないものもたくさんある。

 世捨て人は俗世の人とは違う物の見方や考え方をするからこそ、今でもたくさんの人を惹き付けるのかもしれない。


【参考文献】

京都大学『京都大学貴重史料デジタルアーカイブ』「挿絵とあらすじで楽しむお伽草子 第12話 西行物語」(https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00013169/explanation/otogi_12)2022年8月8日閲覧

佐藤春夫『現代語訳 方丈記』青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000196/files/60669_74788.html)2022年8月10日閲覧


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