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小説やマンガをきっかけに

ヘビーリーダーの神屋はnoteもたくさん読みますが、読書量は非常に多い方だと思います。多い年で年間1000冊。少ない年でも年間365冊は上回るので、小さな頃から少なくとも平均毎日1冊以上は読書を重ねてきたことになります。

3つ子の魂100まで、ではないですが。小さな頃から本は身近なものでした。

何度か書いていますが近所に住む祖父が書店を営んでいたので、もういつもと言って良いくらい入り浸っていました。囲碁もその祖父がきっかけなんですよね。


小さな頃の読書

そんな子供時代から難しい本を読んでいたわけではありません。絵本やマンガ、今で言うティーンズのような物語。

もし中学生くらいにライトノベルや携帯小説、それこそnoteがあったらはまっていたでしょうね。多分陸上競技はやらなかったかもしれません(笑)


その頃に読んだ物語や小説をきっかけに段々興味が拡大し、深く、広く繋がってきて今に至ると思います。自分の体験を通じて読むこともありますが、読書をきっかけに更なる読書に繋がる。

そういった感じでここまでに至りました。


繋がっていく

基本的にはそういったきっかけになること以外で新しい分野を開拓していくことは少ないです。何らかのきっかけ、繋がりが自分の中にはあって。相関図、数珠繋ぎのように表現したら凄まじい巨大なネットワーク図が出来上がるかもしれませんね。

それすなわち神屋の頭の中を大雑把にでも表現出来るということでもあるでしょう。

AIが発達しその人の読書録からそういった何かを作成してくれたり、判定材料にする時代も来るかもしれませんね。

唯一例外があるとしたら大学生の頃。レーベル別や出版社読みのような形でとにかく読もうと奮起した時代がありました。それこそ岩波文庫やブルーバックスなど、王道をひたすら、本当に順不同で次々と図書館で読み続けるような感じで。

そういった読み方も時々は今でもやちますが、基本的には何かの繋がり、きっかけに基づいています。


小説やマンガ、note

だから小説やマンガ、エッセイ。それらがプロが書こうがアマであれ、それがどんな媒体で発信されたものであれ「格の違い」みたいなものは感じませんし、これは○○の年齢や性別、立場で読者として決めつけられるものではありませんね。

もちろん著者や出版社側は読者を想定はしていますが、それでも読者側が自己規定してその範囲を狭めてしまうのは勿体無いと思います。

そんな本を読む価値がないなんてあり得ない。優先順位はあっても、無価値ということはないでしょう。何らかのきっかけになるし、何か琴線に触れたからこそ選んだのでしょうから。

少なくともその琴線に触れた部分だけでもしっかりと捉えられていると尚良いですよね。

テレビやCMで○○がヒット!!なんてのは日常に多く起きます。それが本、小説やマンガからでも良い。


多読・雑読のススメ

だから安心してどんどん読めば良いと思うんですよね。そしてそういった読書録、遍歴を気軽に表現、開示できる世であって欲しいと思います。

色眼鏡で見られるというのは被害妄想でもなんでもなく実際はまだまだ根強いものがあると思うんですよね。

そういったことが無くなればもっともっと活字文化も更に広がっていくし、本も売れるのではないかな?と考えているんですよね。


おまけ

ちょうどこれを書き上げ、note巡回を始めたらこのマンガに出会いました。表現すること、書くことも同じですよね。恥ずかしい、見せ難い、残し難いという感情は表現する人にとってはつきまとう感情のような気がします。

そこを乗り越えるか、範囲を自己規定して出していくか。そういった自己の葛藤と激戦を経て世に出てきているのが様々な作品、文章なのだと思います。


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