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«1995» (10)

上智大学の面接を終えた後、記憶がやや曖昧ながら、慶応大学法学部の二次面接と、同大学の商学部を受験している。
 
慶応の面接は、個室ではなく大きなホールか体育館のような場所をパーティションで区切っていた。

上智と同様に2対1、面接官は2人とも男性だった。不思議なことに、上智の面接は克明に覚えているのに、この面接での出来事は殆ど覚えていない。
ただ、自分の経験を踏まえた意見や考えを述べる場面で、何度かフランスの事例を引き合いに出したところ、面接官から
「キミはフランスのことを言うのはなぜか」
と質問されたのは覚えている。

僕は率直に、12年間フランス語を習って現地にホームステイしたこともあり、日本と異なる考え方、ものの見方の拠りどころとしてフランスを例示しているに過ぎない、と答えたところ、向こうは押し黙ってしまった。
面接官にしてみれば、眼前の高校生が、アメリカでもイギリスでもない国を参照して理屈をこねてみせるのが、いかにも生意気に見えたのかもしれない。
この日、日吉まで行ったはずだが前後左右のことは全く記憶にない。

そして、別の日に改めて日吉に赴き、慶応大学商学部を受験した。
同じ受験会場に級友たちが数名いて、お互い大学入試なるものに慣れてきたのか、緊張感もなく雑談していたのを覚えている。
その中で、僕が上智大学の二次面接での出来事を口にしたところ、級友たちは、理由はどうあれ面接官に刃向かうような態度を示したのは良くなかったのではないかと、脅しなのか心配なのか、よく分からない反応があったものだが、終わってしまったことはしょうがないし、僕がどれだけ第一志望として恋焦がれていても、相手が僕との相性が合わないと判断したならば、それは仕方のないことだろうと思っていた。

商学部の試験は出来たとも出来なかったとも思えなかったが、この日は上智大学の合格者発表で、両親が見に行ったはずなので、試験が終わるや家路を急いだ。

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