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今年の夏は何しようかと思っていたら、大学と耳の話になった。負けるなって言い聞かせて頑張ろうね。

お疲れ様です。今年の夏は何しましょう。

休学中だけど、夏休みは別のような気がする。休学中だとしても、夏休みは夏休み、みたいな。

でも、やっていることは普段と変わらないんですけどね。


さて、今年の夏も何かイベントに参加しようかしら、と思ったんですけど、やりたいっていう気持ちが自分の中になくて、参加しなくては、という半ば義務のようになってしまっているので、無理してやるのも違うのでは、と思いました。

思えば、毎年夏は何かしらしていて、去年だったら、図書館実習、大学で公演するイベントの脚本原作作成と舞台の打ち合わせ、就活で説明会やインターンシップに参加していました。


たぶん、今までが活動的すぎたというか、今までにエネルギーを使い果たしてしまったような気もします。


就活はどうしよう。

去年は、障がい者向けの説明会を中心に参加していたので、障がい者向けとなると開催している企業が限られてくるんですよね。

それに、参加者の人数も少ないから参加者同士だけではなく、何回も同じ会社のに参加していると人事の方とも顔見知りみたいになってくるんですよ。

えー、また同じ企業に参加するのは厳しいような気もする。

体調を悪くして今までやっていたことを急にやめたわけで、就活に関しても突然姿を消したというようなかんじにはなっているわけですよ。

今まで説明会に参加していたのが、途端に来なくなったぞ、みたいな。


しかも、休学していなければ24卒だったんですけれど、今はどうなるんだろう。25卒になるのかな。

そうしたら、就活サイトに登録していた情報も変更しなくちゃだね。

あと、改めて自分のやりたいことが分からないし、卒論のテーマも変更しようかな、と思ってるくらいだし、自分は駄目な奴だと思って死のうとしていた人に自己アピールできるものなんて見つかる気がしないし。

大変だあ。


この前、高校時代の先生からのお手紙が届いて、そこには休学中だからこそ今やれることがあるはず、と書かれていて、わーんそんなの分かんないよ、と思って投げ出したくなりました。

就活こそ、求められているような人物像になりきって、企業の思う通りにするべきなんだろうけど、やっぱりどこか心苦しくなって自分を出しちゃうし、企業には失礼なことを質問してしまいそうだから、私って社会向いてないのかもしれない。

この社会は、見せたくないものは隠していて、隠し事だらけの世の中だとは分かっているつもりでも、いざそこに入ると、うげ気持ち悪いとか思っちゃったりして。何様目線なんだってかんじですよ。


でも、友達も内定頂いている子が数人いるわけで、そりゃそうだよな、どこか会社に入って働くのが一般常識というか、私のいる世界ではそれが理想なことなんだよね、と思いました。


偏見ありすぎるし、就活嫌だと言いながらしっかり仕事決めている子もいるわけで、それでも社会も政治家も綺麗ごと言ってるって思っちゃう私は心が汚いのかしら。

そういう私は、パソコンに向かって文句を打ち込んでいるだけのぐうたら人間です。

でも、今日はバイトして、家事して、勉強してるから、まだ動く人間しているかもしれない。


最近は、まあこれでもやるかあ、って思って行動しているので、どうしてもこれがやりたいんだ、っていう心の底から湧くようなものがあればいいんだけどな。

欲しいものもないから、そうなるのは難しいか。今の環境が十分恵まれているから、これ以上何かを変えたりする必要がないってことだろうね。


そういえば、今日バイトでおじさんに平日はどこで働いているのって聞かれて、なるほど私は学生って思われてないんだな、と思いました。

平日も入ってはいるけれど、土日をメインにシフトをいれているので。

「今はここだけですよ」って言ったら、「若いのにもったいない。もっと入ればいいのに。平日暇でしょう」みたいなこと言われて。

「私、大学生で、でも今は休学中なんです、」とか言えば、どういうことってなりそうな気もして、面倒が勝ったので、「あー、そうですねえ」って苦笑いして逃げました。

その方は年齢が80近い方だったので、偏見かもしれないけれど、私は補聴器を着けているわけで、まさか学生してるとは思ってないんだろうなと思いました。

でも自分でも、確かに私なんで大学生になれたんだろうと思った。なんでだろうね。

どんどん人生っていうのは、伸びていくみたい。

勉強はもうしなくてもいいかなと思って高校行かなくてもいいのでは、行くとしても、ろう学校の高校がいいなと思っていたのに、それは反対され、結局市で一番の進学校に入学したし。大学は行かなくてもいい、それか短大に行けばいいかな、と思っていたら高校の担任に、それはもったいないと説得され止められ、大学、しかも国公立に行けちゃったし。

ちなみに今文通している先生は、この時の担任です。あんなに言われることなかったら、短大卒業して今は働いているのかなと思うと私の人生十分変わったな。

この先生じゃなくて、ろう学校でもなく、普通高校に行った方がいいって何度も言ってくれた大人もいて。自分のこと過小評価してたのかな、と思ってしまうくらい。


こうやって振り返ってみると、私の人生面白いな。かつて立てた人生計画からことごとく外れてるから。

人間生まれてくるときに人生計画をたてて自分の人生を全部決めてから生まれるって聞くから、その人生計画でみれば計画通りの人生なのかな。

これからも何があるか分からないし、数年経てば、あの時は休学してたんだけど、その後こうこうこんなことがあって、今に至るんだよなあって振り返ったりするんだろうか。

そう思うと、自殺ってつまんないね。


私も成長するし、時代も変化するわけで、未来は今の自分が思っていたのと違う方向に進むのはなんとなく理解はできる。だって、子どものときの自分は、自分は耳が悪いから将来お皿洗いとかそういう仕事しかないんじゃないかって本気で思っていたのちょっと可哀想。

今は、補聴器も、他に併用して使用する機器も進化して、だいぶ授業も受けやすくはなっているから。本当に、聞こえると授業で今やっている内容が分かるし面白いんだけどな。

大学の講義も、もう少し聞きやすくなるといいんだけど、それにはまだ数年かかるのかね。内容分からずにずっと座ってるのしんどいし、そりゃくじけるわって思う。

内容が分からないなら、あとで質問すればいいって言うけど、そうしたら授業を受けている間はどうすればいいのってなるし。全部聞くつもりで聞いて、聞こえたところだけで組み合わせて内容理解するのも疲れちゃったし。

ほとんど毎回質問していたのも、授業全然聞いてない奴みたいだよなと思って恥ずかしさと虚しさで嫌になってだんだんと教授のところには行かなくなったし。

そうしたら、わざわざ教授の方から、大丈夫だったか、って声をかけてくれる方もいたりして、その優しさは嬉しいんだけど、でもやっぱりせっかく解説してくれてるところが聞こえてないの申し訳ないし、これ以上どうすることもできないしで、「大丈夫です」とお礼だけ言って帰る毎日。

視覚資料を多くしてもらえばいいのかな、とも思ったけど、でも教授の話が面白いから、それを全部聞きたいんだよなって思ったり。

映像資料も字幕欲しい。ついでに言ったら、映画館の映画も字幕つけて欲しい。そうしたら映画、見に行くから。洋画見てるのは、字幕ついているからだよ。

まあ、ほとんど洋画しか見てこなかったから、洋画面白いって思っているところはあるけど。


いやあ、やれることはやったし、頑張ってたよね。大学にも何回も相談してたし、でもうまくいかなくて悔しくて、相談室でも、授業中にも泣いた時もあったし。よく大学行ったわ。

とか書いてたけど、大学やめればいいよって言ってたのに今は大学卒業してと両親は言っているわけで、果たして私は復学できるだろうか。

やっぱり、やっていける気がしないです。うう、つら。


比べるものでもないけど、これくらいの中途半端な難聴って難しいよね。全く聴こえないわけではないんだけど、全部聞こえているわけではないし、自分もその人のお話が分かるかどうか聞くまで分からないわけだし。困っちゃう。

できないことに目を向けていても仕方ないし、できることを見つけていくしかないのは分かっているけど、たまに弱気にはなっちゃうよね。

泣くな。私、負けずに頑張ろうぜ。





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