自分のルーツ



(動画を拝借します。)



ダンスのジャンル=「型」

その「型」から見れば

自分のダンスの「型」のルーツはJAZZダンスである。

これはJAZZダンス主体でやっていたものではなく

とある競技スポーツのために

仕方なくやらされていたものである。

それとともにモダンバレエの基礎もまた

やらされていた。

それが「自分のルーツ」でもある。



10代のある日ふと

「JAZZダンスなのに何故音楽のJAZZを使って踊らないのか?」

という疑問が沸いた。

JAZZダンスと言っても幅が広すぎるので

一概にこうだとは言い切れないけれど

一般的な話でいくと

現代において

JAZZダンスでは音楽を重視するというよりも

「音楽に合わせていかに身体を美しく魅せるか」

が重視されている。

「身体のダイナミズム」の表現とでもいうのだろうか。

身体を極限まで制限することで魅せるクラシックバレエ

その制限を少しだけ緩和し素足でも踊れるようにしたのが

モダンバレエ

それと同系列だと現代では捉えられているが

実はそれは違っていて

本当のJAZZダンスの由来は

「20世紀初頭に音楽のJAZZが登場したと同時にJAZZで踊っていた」

のがルーツとされている。

一番分かりやすいのがタップダンスである。

「音楽のJAZZで踊る」

やっぱりルーツはここにある。







この疑問を抱いたことが

「自分の型」のルーツにもなっている。

JAZZダンスの「型」だけで表現しようとしたときに

例えば

音楽のJAZZのドラムロールなんかは

ターンの回転数とスピードを上げることで

表現しがちになり

他の表現方法といっても

下半身でスピード感を表現するということはほぼ皆無で

ほぼほぼ上半身での表現になる。

また群舞の場合だと

移動によってそのスピード感を表現することが多くなる。

ダンスの「型」にハメすぎることで

音楽表現そのものにはかなり支障が出てくる。

ならば

いっそのことダンスの「型」に頼らなければいい。

「あくまでも音楽が最優先」

ダンスの「型」はその音楽表現をするためにしか

自分にとってはない。

これが「自分の型」のルーツである。







この「自分の型」について

特に、ダンスの「型」の歴史云々に拘り過ぎる

一部の大御所連中から

こっぴどく叩かれまくった。

大々的に露骨な批判を受けたこともある。

あそこまで行けば、完全な「人種差別」である。

しかし

「自分のダンスの内容」についての反論は

現役時代に一度もしたことがない。

どう評価されようが、

「自分のダンスの内容」については真正面から受け止めていた。

それは自分が「ダンサー」だったからである。

ダンサーであるならば、ダンスで表現すればいい。

ただ、ダンサーでない「一人の人間」としての批判については

一切聞く耳を持たなかった。

「ダンサー」としては、一切関係のない部分だからだ。

「一人の人間」としての批判したいのであれば

そこに「ダンス」は絡まないはずだし

人間批判であれば、言われる筋合いすらない。

極論

「人間評価」がしたいのであれば、「ダンス」は不要である。

愚かな一部の大御所は

きっと今でも「人間評価」にいそしんでいるに

違いない。




拙い文章お読みいただきありがとうございました。




 #ライフスタイル #メンタル #自己愛 #パーソナリティ障害 #離人症 #多重人格 #自分 #ルーツ #ダンス #JAZZ #モダンバレエ #クラシックバレエ #ジャンル #型 #踊る #疑問 #音楽 #ダイナミズム #表現 #上半身 #下半身 #群舞 #スピード #大御所 #批判 #人間 #人種差別 #愚か #一部 #ダンサー #評価  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?