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ずっとずっと繋がっていたいとは思わない。ぶつかって、繋がって、知って、忘れていいよ。



私は、魂を開いて生きるためのアドバイザーとして
多くの悩める女性と出会った。



「Tomoさんと出会って良かった!」と言ってもらえることも多い。



ありがとう、嬉しいです。





その中でも、ずっと繋がっていたいと思ってくれる人もいる。


ありがとう、感謝しています。






でもね、無理にずっと繋がってて欲しいとは思わないんだよね。
(もちろん、嬉しいけれど♡)






以前、あるカウンセラーさんが''クライアントさんとの繋がりをずっと保つこと''を氣にされていた。


どうすれば、
ずっと自分の元に居てくれるかってね。






クソだな。笑






「自分の元」は、継続して自分にお金を払ってくれる、ってことね。



お茶会とか、セミナーに継続してきてくれる事ね。






まあ、分かるよ
氣持ちはわかる。


お金が欲しいんだよねwww






うん、
やっぱクソだね。笑





私はこう思う。





あなたの魂の旅の途中で
私(Tomo)という魂とぶつかった。


ぶつかった衝撃で、
あなたと私は光った。



あなたは「あなた」ということ、
私は「私」ということを認識した。





私とあなたは、個々であり
お互いが光ることで繋がりができた。



あなたと私は、

''今、自分がどこにいるか''
''どんな状態なのか''を知った。





そして、それを理解したら
私たちは離れて
また違う魂とぶつかっていく。




私はこれが人間同士の''繋がり''だと思ってる。





なぜそう思うかというと、
私たちを構成する素粒子同士が
そのような''繋がり''を持つからだ。



この宇宙も、
あの星も空氣も海も
この猫も私たちも
テーブルもスマホも
かき氷も花火も
麦茶も恐竜のおもちゃも
虫も戦闘車も

分解したら
すべて素粒子でできている。




素粒子と素粒子がぶつかり合い
光り、「自分」というものを認識して、立ち位置を確認し、振る舞いを変える。


そして、また違う素粒子とぶつかる。

(光子の実験では、素粒子同士をぶつけさせ発見する)






その「小さな小さな素粒子」は人間のように出会い、光り、自分を知り、別れる。

それを繰り返す。


常に、波(動)であり
粒(個)である。


ずっとそこに留まることなく様々にぶつかりあい、

自分が何者かを知る。



ずっと繋がっている、
ということはないのだ。






私たちが繋がっていると思い込んでいる「時間」でさえ、

''今という瞬間''が連続して
繋がっているように見えるだけだ。

(瞬間という点が連なっているから、線に見えているだけ)




だからこそ、
''今という瞬間''に私とあなたがぶつからないのなら
潔く忘れて欲しい。


忘れて、また必要な時にはぶつかって繋がってくれたらいい。


(ある意味、都合のいいオンナでいいのだ。笑)





あなた
「そういえば昔、Tomoさんっていう変態がいたなぁ~」


ググってみる。



「うわ!まだこの人、変態とか言ってるやん!!」


「ウケる!!」




その時に発せられる光で繋がれたら
それでいいのだ。笑










人と人がぶつかる時は、
「今自分がどこにいるか」を知りたい時。


そのための、他人だ。


あなたが現在地を知りたいときに
最適な人と繋がれたらいい。




私は自分が求められないと
不安だから、とか

自分がビジネスで得したいから
繋がりたいとは思わないんだ。





あなたの''瞬間''は、
あなたが選んだものと繋がってよ。


私もそうしたいから、
あなたにもそうしてほしい。





だから、
ずっとずっと繋がっていたいとは思わない。


ぶつかって、繋がって、知って、忘れていく。

悲しくはない、
ぶつかったことを忘れても
その時発せられた光は誰にも消せない。

繋がり続けることよりも
大切なのは、そのときの「光」だ。

私たちの魂は、
それを繰り返して自分を知っていく。




つぎに繋がった時の光は
さらに大きいかもしれない。

それもまた、楽しみだ。

こんな私をサポートするなんて、そんな変態な人がいるのですかっ?!