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取捨の念を消す方法(禅+中国哲学)

本来、取捨の念を打ち消すには、窮して何処にも進めず、後退りできなくなって初めて、行が直ちに知に関係すると知るを経て、境地を得る。知覚(事実)と真理(実体)が一体化する状態である。

憎愛の念、区別が無くなった。取捨の念も消えた。プーチンの気持ち(ウクライナを異質なもの(欧米)から守りたいのだ)を代弁した。(その後、習近平とプーチン電話会談でウクライナの問題を解決する様に促した)。彼との結婚は、憚るべき(DV懸念、精神・人生の障碍)だが、色々当事者の状況を調べて知るうちに、強い気持ち(主体を守りたい、命を重んじるなら健常者でも障碍者でも関係ない。相手を想う気持ちが大事。)で乗り越えられると気づいた。

他者の意義の真理が、自己の意義の真理と同化した。知行(知って行う)が行知(行って知る)になった。今を生きるのが楽しい。今の過程が全てだし、とても心地が良い。疑いの念がない。知行合一で、生死を超えた陽明。知行(他の良知の意義)と行知(自己の良知の意義)の一体化で、取捨の念(を超えた)が無くなり、今を生きる愉しさを知る私。良知とは、素直な心を指す。正に、良知の意味付けに成功したのだ。

情によって、素直に知る心が、知行(実践)と行知(体得)の体(本質:性)から、他(知行:事実)と自己(行知:実体)の良知の意義の一体化の用(現象:情理)、の事実と実体の体用の二重化で、外面から内面化させ、取捨の念を打ち消す。(行ずること(真理の実践)によって、知覚(事実の体得)を得て、行を完成する(良知の一貫性)=取捨の念の内外における区別化が無効になり、今の過程を十分に楽しむ技を体得した。

6.16

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