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【映画感想】『ラーゲリより愛を込めて』:語るべきことを語るために

かねてより薦められていた映画『ラーゲリより愛を込めて』を観終えました。映画館から作業場に帰ってきて、買ってきた黒パンをむしりながらこのエッセーを書いている。

シベリア抑留についてを、学校の授業以外で、学んだのはラジオだった。僕はそのラジオを、確か昨年、冬が始まる頃に聴いたと思います。

冬へと向かって、静かに気温が下降していた。空はどんよりと曇っていた。僕がラジオを聴くのは毎朝の習慣であるため、シベリア抑留についてを物語る、そのラジオを聴いたのもかならず朝の時間帯だったと思うのですが、その日の作業部屋は日暮れのように昏かった。僕は部屋の電気をつけるかどうかを迷ったすえに、結局電気を点けて、いつも通り軽めの掃除をしながらラジオを聴いていた。

ラジオを聴いてから、程なくして、映画『ラーゲリより愛を込めて』のことを聞いた。それがシベリア抑留を扱った作品であり、事実に基づいて制作されているのだということも耳にした。それで、僕は先日こんなラジオを聴いたんだ、と番組内で語られていたことを口伝した。

番組内では、実際に抑留されていた人物がゲストスピーカーとして招かれて、当時のことを話していた。それはとても、むやみに言葉で言い表すのをためらうくらいに過酷な出来事の数々だった。スピーカーは語る。淡々と、というわけではない。でも重苦しくもない。あくまで語るべきことを語っているのだ、というふうに。語り伝えることが職責であるかのように。

その語り口がひじょうにリアルなものだった。僕はラジオを聴きながら——べつにそうしようと思ったわけでもないのだが、あくまで自然に——その老いた人の声が描写している風景、日本の人々、ソ連の人々、帰国時にすっかり変わっていた日本という国についてを思い浮かべた。ありありと思い浮かべることができた。

僕にはふだん見聞きしたものを言葉にして書き残している個人的な『日誌』がある。noteに投稿しているのはそのほんのいち部に過ぎません。毎日、日誌やら日記やらを書いている人間には特別なセンサーみたいなものが具わっているみたいで、これは言葉にして保存しておくべきことで、それは保存するべきではない、と瞬時に判断することができるようにだんだんとなってくるみたいだ(僕は、何度もその判断を誤って後悔することがいまだにあるのですけれど)。それはちょうどカメラを撮る人間が、これは写真に撮っておこう、あるいは撮らないでおこう、と瞬時に判断することとよく似ているかもしれません。きれいな写真を撮れる人ってすごいと思います。本当に。僕にはそんな腕前がないので、言葉で描写して保存しておくしかないな、って思うんです。

で、唐突に映画のなかの話になるのですが、山本幡男(二宮和也)が余命宣告されたのちに病床で「未来のために」と表紙に記されたノートブックに、家族への遺書とは別に、長い文章を書いている。これは「日本」や「世界」、「人類」に宛てられた遺書なのだと思う。映画では、原幸彦(安田顕)が「未来のために」をすでに書き始めている山本に向けて(家族への)遺書を書くことを奨める。山本はその奨めを静かに受け容れる。ごく当然のことのように。まるで「夜は眠るものですよ」と言われたときにする反応のように。なぜならこのとき山本は遺書(「未来のために」)をすでに執筆していたからである。

家族への遺書をしたためたあとも、山本は再び「未来のために」への筆入れを進めていく。結局、山本がそれを書ききることができたのかはわからない。しかし、僕は書ききることができたのだと解釈することにした。少なくとも映画はそのような意図のもと演出されていたと、僕は感じ取った。山本には鉛筆を握る力はもう残されていない。山本の指にただ引っ掛かっていただけの鉛筆が病室の床に落ちる。「未来のために」の最後に描かれていた言葉は「心から」だった。

一生のうちに何冊の本を読めるだろう、と考えることがある。たぶんこの世に存在する日本語で書かれている書物だけに限ったとしても、その10分の1も読むことができないかもしれない。でも、できるだけ多くの本を読んで、血肉に沁みこませて死にたいと思う。

山本の最期を映画で目の当たりにして、僕は、死ぬまでにいったいどれくらいの文章を書くことができるだろう、と思いをめぐらした。

今、僕が食べている黒パンは映画のなかで出てきた黒パンよりもずっと柔らかく、美味しそうな見た目をしている。僕はそれを4切れも持っている。映画のなかでは1人1切れだった。僕は2切れ食べて、残り2切れが入っている袋の口をしばった。

この映画(『ラーゲリより愛を込めて』)は、ちょうど僕が食べている黒パンのようだと思った。僕が食べている黒パンは、映画のなかに登場した黒パンと同じ、黒パンなのだが両者は全然異なる黒パンだ。もし、映画のなかに登場した黒パンを「本当の黒パン」とするなら、僕が食べている黒パンは「まがいものの黒パン」だ。

映画自体にもそのような、まがいものに触れているみたいな印象を受けた。それは過剰な演出(主に俳優のアクトについて)のせいかもしれない。テレビドラマでパターンとして使い古された演出は、茶の間では適当に受け取られるのかもしれないが、映画館の大きなスクリーンに映されると、適切な効果をもたらさない。嘘がさらに嘘っぽくなる。このような事実に基づく重たいテーマを扱うならなおさら留意する必要があることのように、僕には思える。また、そのようなわかりやすさを第一優先にした演出は、ひとりひとりの登場人物の深み、そして物語全体の深みを犠牲にする。シベリア抑留というテーマ自体、語り継がれ、考え抜かれるテーマであるはずなのに、その境地へといざなおうとする引力のようなものがないのがとても残念に思われた(ただ、必要以上にソ連を「悪」として描いていないことには好感を持てた)。

興行のことを考慮すると、これくらいのわかりやすさで制作する必要があったのだろうか、けれども……と僕は思った。テーマ自体がコンテンツとして消費されているあの感じが、この映画に限らず、僕は苦手だ。

ラジオをもういち度聴いてみようと思う。べつに映画(『ラーゲリより愛を込めて』)を偽物呼ばわりするわけじゃないが、真実はあの老いた声で語られるストーリーにこそあると考えるからである。

抑留や戦争を経験した人々がいなくなってしまったとき。真実を伝えていくために、僕たちになにができるだろう。大切なのは、情報としての正しさだけじゃないと思う。それよりもっと大切なことを、その老いた声は僕に教えてくれたような気がしています。残された時間のなかで。誰もが、語るべきことを語らなければならない。


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