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「延命治療は希望しない」が叶うは難しいと思う、という話。

延命治療は希望しない、自然にそのまま「何もしなくていい」と希望する人は多いと思う。私も病院のベッドで管に繋がれて、、なんて本意じゃない。

けれど、実際はなかなか難しいと思う。という話。


身体が病を負ってしまったら、痛みや吐き気、倦怠感、などの諸々の辛さがセット。

何もしないというのは難しいし、特に家庭においてとなると、ひたすら苦痛の中にいる家族を見ているだけというわけにもいかない。

ずっと吐き続けたり、痛いと苦痛の表情でいたり唸ったり、本人が消化できない苛立ちをぶつけることだって出てくる。そんな本人を、ずっとそばで介抱をすることになるのを、どれだけイメージできるだろうか。

そんなふうにはならない、自分だって、この人だって。

そう思う人もいるだろうし、
実際そうならない人もいるでしょう。

でも、こんな現実があるのも事実。
信じたくない気持ちもわかるけど、
信じないのも自由だけど、
現実に起きるときには起きる、と私は言える。
経験があるから。


医療にかかれば、医者の判断で「打てる手立てがない」となるまではいろいろと手を尽くしてくださる。

そこには、場合によっては、薬の力で 鎮静をはかる ということも含まれる。

意識が遠のくくらい強い薬が投与される。
ただ、その間本人は痛みや苦痛から解放される。
薬や医療の力は本当にすごい。


昨年の今頃は父は人工呼吸器をつけていた頃。(もう取れたけど。人工呼吸器って取れるようにもなるんだね)。

体内の酸素量が足りなくてエクモにもお世話になったけど、もう一度それを装着したら、もう自力での呼吸は難しいだろう(一生管に繋がれたまま、ということ)との判断で、それは家族で相談してやめにした。

その代わり、気管切開を決めた。でも、結局それは、自発呼吸はもう望めない「かもしれない」、けど可能性はゼロじゃない、という中で、ある意味みんなが覚悟を決めての決断だった。


看護師をしていた叔母が

「人工呼吸器は、つけたらほぼとれない。そこに命が繋がれているから、今度はそれを外すタイミングが難しい。それを外す、とめる、というのは、その人の命を、こちらが管理して「決める」ということだから」

と言っていたことを、どういうわけかずっと覚えていた。


呼吸器を着けることで、本人は楽になる。でも、着けないならば、それはそれで、気管切開もしないし、余計な負荷をかけることにもならない。

けど、辛いまま、今世を終えるかもしれない。


いろんなことの天秤だった。私も、これがいい、というふうに気持ちが向く矛先がないまま、ぐるぐるしていた。


弟が「そのくらいの覚悟をこっちで持ってあげてもいいんじゃないの?」と言った一言が決め手だった。


彼の一言には父への感謝があったし、苦痛をも被るが子供としての役割とも感じられた。

そうかもしれない。少なくとも苦痛や痛みを甘んじて受ける、はわが家庭に蔓延っていた周波数だったなと思うし、その選択肢はあるべくしてあるのを感じた。

結局、父は今、不自由がありながらも施設でお世話になりながら、できる限りの好きなものを食べて、過ごしている。先日はみんなでお誕生日のお祝いも出来た。


レアケースだと思う。父の身体的パワーは本当にすごいし、実際に病院最後の日は先生も涙ぐまれていた。

喉元すぎれば、だけれども、数ヶ月ICUにお世話になって、24時間いつ電話がなるかもしれないという環境が1年も続いたときは、常に決断の連続だったし、辛かった。辛かった。

病院にお世話になった後、どうしても自宅に帰りたいという父と、自宅での介護はどう考えても難しそうだという我々の判断の差は、歪をうんだ。ずっと側で頼ってきた母、長男である弟に向かわない矛先が全部私に向いた。こういう辛さだってある。ただおむつを変えて、力技がいるというだけが介護の大変さではない。

家族の誰かが辛いときは、他の家族もみんなが辛いのだ。

願いも祈りもとても大事。


だけどそこには、誰が主語なのか、ということが不可欠じゃないかと思う。

いくら周りが臨んでも、本人が何を望み、どんな未来を見ているのかが、その人の人生になる。

どんなに力をもっていたとしても、
周りができるのは、「自分が」という主語をもつ
目の前の方のそのサポートでしかない。

特別な処置をすることなく最期を、、、と望むならば
それが叶う自分であることが必要だと思う。


病をおってしまうのには、それだけの理由がある。


遺伝が、と言われるものも
だいたいは生活習慣の踏襲。


親から与えられてきたものが
自分にとって、自分のココロとカラダにとって
正解とは限らない。


自分にとっての健康は
自分の力、意識や行動で
意外と簡単に手に入る。


未病すらもテコ入れできるほどの現代。


どうやって今世を過ごすのか
どんなふうに生き抜きぬくのか

そんな問いに、
人の数だけ答えを持てる時代に
今私達はいる。


しょうがないと諦めることもできるし、
こんなのは嫌だと諦めないこともできる。


さて、どんなふうに生きるのか。


今日が、その`いつか`に繋がっている。


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