現代版・徒然草【53】(第6段・子づくり)

少子化が一気に進み、未来を担う子どもの数が少なくなっていく中で、あくまでそれぞれのパートナー同士の個人レベルでの判断に委ねられる子づくりの問題は、悩ましいものである。

昔は、子どもはそれぞれの家庭の労働力としての扱いであり、子だくさんな家庭は、全然珍しいことではなかった。

だが、一方で、貴族社会は、世襲や色恋沙汰で次々に子づくりをして、これが源氏や平氏の武家社会の誕生につながった。

そうした時代にあっても、良識ある貴族がいたことに兼好法師は触れている。

では、原文を読んでみよう。

①わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらんにも、子といふものなくてありなん。
②前(さき)の中書王(ちゅうしょおう)・九条大政大臣・花園左大臣、みな、族(ぞう)絶えむことを願い給へり。
③染殿大臣(そめどののおとど)も、「子孫おはせぬぞよく侍る。末のおくれ給へるは、わろき事なり」とぞ、世継ぎの翁の物語には言へる。
④聖徳太子の、御墓をかねて築かせ給ひける時も、「こゝを切れ。かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。

以上である。

②や③の文中の「前の中書王」、「九条太政大臣」、「花園左大臣」、「染殿大臣」とは、それぞれ、文人として有名な兼明(かねあきら)親王、藤原信長(ふじわらののぶなが=藤原道長の孫)、源有仁(みなもとのありひと=後三条天皇の孫)、藤原良房(ふじわらのよしふさ=清和天皇の外祖父)のことである。

①の文から読んでいくと、高貴な身分であれ、卑しい身分であれ、子どもは作らないほうがよいと言っている。

「数ならざらん」というのは、人口統計の数字に含まれない卑しい身分の人のことである。

②の文で挙げられた文人は、自分の子孫が絶えることを願っていた。

③の「世継ぎの翁の物語」というのは、有名な古典である『大鏡』のことを指している。藤原良房も、「子孫はいないほうがいい。子どもが落ちぶれていく(=末のおくれ給へる)のは、よくないことだ。」と言っている。

④の文では、聖徳太子にも言及し、自分の墓を作ってもらうときに、(周りに子孫の墓が作られることを想定せずに)「ここかしこは不要」と仰っていたとかと締めくくっている。

「子どもは二人の愛の結晶」とかいうロマンにとらわれている人がいるなら、こう伝えたい。

子どもの有無で、愛の深さなど測らなくて良いのである。いや、そもそも測ろうとすることが間違いなのだ。



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