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今日85歳の男性に尋ねてみました。

「好奇心は年と共に薄れてきていますか?」
「そんなことないよ。もっと知りたいという探究心も薄れてないし、若い時と比べてもとくに変わってないよ。」
「同じ85歳の男性で、昔から何も興味がないと言う人がいるんです。」
「もったいないね。きっと生き方が下手なんだよ。」
「好奇心ってどこから湧いてくるんでしょう? 持って生まれたものでしょうか?」
「いや、育ち方でしょう。」
「経験ですか?」
「そうでしょうね〜。」
「今から好奇心を持つことは可能でしょうか?」
「難しいんじゃない?」
答えは出ませんでしたので、ちょっと調べてみました。


好奇心は「個性」ではなく「状態」である


「好奇心に関する学術研究において多くの点で見解が対立するなかで、人間の好奇心は個性ではなく状態であるという点についてはほとんど異論が見られない。つまり好奇心は環境によって大きく左右されるということだ。したがって、私たちは生き方次第で好奇心をかき立てられることも、台無しにすることもできるのである」

子どもは40000回質問する

「好奇心を持てる人間になれるか、なれないか?」は、生き方次第だと言うのです。ということは、大人になってから好奇心を旺盛にしようというのは難しいのではないでしょうか?

持った生まれた天性のものではなく、育ち方によって「好奇心を持てる人間に育つか、育たないか?」に分かれるということになります。


子どもの好奇心を押さえていませんか?


私たちは子供の時、「しつけ」や「マナー」をある程度、親や環境から学びます。ある程度としたのは、人によって差があるからです。また教わったにもかかわらず、身に付かないこともあります。それらが集まって個性が出来上がっていくのかもしれません。(個性がどう作られるかは、また改めて勉強しておきます)

幼少の頃、「あれをしてはダメ、こうしてはダメ」としつけられます。しかしそれでは、子どもの好奇心を押さえつけるような育て方になっていると私は思うのです。

ただ、言葉も喋れない子供に対して、「やかんは熱い」「落ちたら危険」ということをどう教えるのか私は知りません。しかし世間を見ていると、「ダメでしょ!」「危ないでしょ!」と、お母さんが声を荒らげている光景を見ることがよくあります。

何んとなく見ていましたが、それって、危険であることを教えようとしているはずなんですが、なぜダメなのかは子供ながらには理解できないはずです。頭ごなしに「ダメ!」と言われて育つと、好奇心を押さえつけていることにならないのでしょうか? 子育てをしたことないので、素朴な疑問です。間違っていたらすみません。


親や先生に叱られるから、ダメだと解釈し、本当の理由を考えなくなる。


小学校に入っても子供の好奇心は留まることを知らないはずです。そこでもまた「ダメ!」と言われ続けると、「危険だからダメなのではなく、先生に叱られるからダメなんだ」という解釈をしてしまうことはありませんか? 少なくとも私はそう感じて育ってしまいました。

後から思い返すと、その育て方、しつけって、間違っていると思うんです。うまく説明できませんけど、子供の頃には好奇心があったのに、「ダメ・ダメ」と言われ続けたことによって、好奇心を抑え続けて大きくなってしまった大人もいるのではないでしょうか?

そんな大人が「好奇心を持たない人間になっている」と私は思うのです。

もっと自由な発想で生きて行けば良いのに、自分で勝手に殻に閉じ込めた生き方をしている人があまりにも多いと感じています。それを計るきっかけが、好奇心ではないかと私は考えます。あくまでも個人の意見です。もっと勉強します。

子どもは40000回質問する


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