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エッセイ集

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自身がこれまでに書いたエッセイ集
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#人生

続・ベーチェット病のままで生きていく

続・ベーチェット病のままで生きていく

今日は1ヶ月に1度の難病の定期通院だった。2019年9月にベーチェット病を発症してからずっと病院通いの日々を送っている。発症当初は仕事ができる状態ではなく、1ヶ月半の療養期間を経て、社会復帰に至った。その間もたくさんの人の支えがあって、今も感謝の気持ちでいっぱいだ。

ぶどう膜炎から派生して、白内障や緑内障を患い、目に注射を打ったり、手術をしたりした。ヒュミラと呼ばれる自己注射が始まったことで、少

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生きていて良かったと思える夜をあと何度過ごせるだろうか

生きていて良かったと思える夜をあと何度過ごせるだろうか

ずっと早く歳を重ねたいと思っていた。それが今抱える苦しみから逃れる唯一の術。ずっと死にたいと思っていた10代後半。弱音の吐き場所さえわからずに、深夜の河川敷で何度も涙を流した。

川の流れに沿って緩やかに生きていたい。しかし、現実は波瀾万丈な人生を過ごしている。16歳から家族を養うために、周りが遊び続けるなか、早朝から深夜まで働き続け、27歳で難病を発症して、今もなお闘病を続ける日々。死にたいと思

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さて、明日笑えるだろうか

さて、明日笑えるだろうか

毎日を丁寧に生きるが理想。現実は、目の前にやってくるものを処理するだけの日々に忙殺され続けている。この人生に意味はあるのだろうか、なんて無意味な問いを立てるようになったら終わり。それでも意味を求めたくなるのは、きっと人間の性だ。

くたくたの状態で駅へと足を運ばせる。目の前に現れた駅前で抱き合うカップルを横目に聞こえない程度の舌打ちを鳴らす。どれだけ夜が深くなっても、街は静まらない。むしろどんどん

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最低で最高な人生

最低で最高な人生

「将来はどうなっていたい?」

自分の将来を何も考えていない大学生だった。そもそも将来をきちんと考えている大学生は少ないような気がする。残された青春をどうやって楽しむか。学校やアルバイト、サークル、遊びなどそれが頭の中を占めるのが大半だろう。

教育学部に通っていたため、エスカレーター式で進めまば、学校の教員になることはできた。何でもかんでも抱え込む性格だったため、教員になったら自身が潰れることは

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二十九、三十

二十九、三十

30歳になった。実感はまだないし、生まれてからもう30年も経つなんて、いまも信じられない。本当にいろんな人との出会いと別れがあった。いいこともあれば悪いこともあったけれど、トータルで考えれば、生きていて良かったと思える。

誰かにとってはただの日常だけれど、6月16日は僕にとっては特別な日である。誰かに祝ってもらえることもうれしいのだけれど、誕生日は自分と接してくれている人に感謝する日でもあるのだ

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母の日にいつも思い出すこと

母の日にいつも思い出すこと

母の日が来るたびに、8年前に亡くなった母を思い出しては、後悔で胸が張り裂けそうになる。楽しい思い出ももちろんあったけれど、僕が21歳のときに亡くなってしまったのだから、もっといろんなことを一緒にしたかったと後悔のほうが多い。

いまでも母を思い出すと涙がボロボロ出るし、毎年母の好きだったかすみ草を買って、生前の母に重ねている。周りの友人が母の日にしたことを嬉々として、SNSにUPしている様子を見る

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あの日、渋谷のスタバでこっそり泣いた

あの日、渋谷のスタバでこっそり泣いた

東京にはじめて足を踏み込んだのは、ベンチャー企業のインターンを受けるためだった。大阪から夜行バスに乗って、8時間ほどかけてやってきた。どこに降ろされたかのはもう覚えていない。見知らぬ土地に1人でやってきた不安、誰も自分を知らないという期待を抱え、東京にやってきた。

渋谷にはじめて降り立った瞬間に、「ここが渋谷かぁ」と田舎者丸出しの気持ちになったことをいまでもよく覚えている。どこを見ても、人、人、

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夢を夢のままで終わらせない

夢を夢のままで終わらせない

日本では職業を夢に挙げる人が多い。僕自身も過去を思い返してみると、職業ばかり夢見ていたような気がする。それと同時に、これまでの人生の中でたくさんの夢を諦めてきた事実に改めて気づいた。

一番最初の夢はお花屋さんである。幼稚園の頃から小学3年生までずっとお花屋さんで働きたいと思っていた。お花屋さんになりたいと思ったきっかけは、単にお花が好きだったためだ。親に花の図鑑を買ってもらって、公園に咲いている

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なんとかなるさ、なんとかなるよ

なんとかなるさ、なんとかなるよ

朝、目が覚めるといつも隣でスヤスヤ寝ているはずの猫がいなかった。そうだ。僕は今日から入院するんだった。昨晩、姉に猫を預けたのである。いつもは深夜に暴れまわる猫と格闘しているのに、たった1人で物音すらしない部屋でただ眠りに落ちた。

猫がいないだけで、ありふれた日常が非日常になった。それはとても儚くて寂しい。いつもあるはずのぬくもりがそこになく、ただそれだけで、どこか物足りない感覚になって、猫のぬく

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弱さを見せられる人がいることが本当の「強さ」である

弱さを見せられる人がいることが本当の「強さ」である

2021年11月10日に左目の白内障の手術が決定した。またかよって気持ちとこれで良くなるかもしれないって2つの気持ちがずっと交錯している。今年に入って2度目の手術。手術を伝えられたときはそれなりに落ち込んだ。

いま思えば20代後半は散々だった、気が、する。好きだった人に振られたり、独立してすぐにベーチェット病と呼ばれる難病になったり。いまではあの体験があったからいまがあると思えるけれど、当時はず

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人生はいつも伏線回収の連続だ

人生はいつも伏線回収の連続だ

ほとんど遊ぶ間もなく、ずっと働き続けた学生時代。目の前の生活を成り立たせるために必死になって、遊びを断り続けていたからきっと付き合いの悪い奴だと思われていたんだろう。なぜ働いているのかを友人に伝えたこともなかったため、そう思われても仕方ないと思っていた。

社会人になって、家元を離れ、ようやく自分の人生が始まった気がした。家族を守るために働き続けた学生時代から解き放たれ、守る生活は自分の生活だけで

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悲しみの淵に立った朝、猫に救われた朝

悲しみの淵に立った朝、猫に救われた朝

心音が止まると、同時にぬくもりは消えた。悲しいことがあった。自然と涙がこぼれ落ちていた。親族の訃報を受け取った朝。覚悟はしていたもののそれが事実になった途端に、いとも簡単に揺るぎなかったはずの精神はぐらついた。まるで強く触れたらすぐに壊れてしまうガラスみたいに。心が壊れそうになって、ギリギリのところでなんとか耐えたそんな朝。

午前中は何も手に付かなかった。飲み物も飲まず、髪もボサボサのままで顔を

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泣きながらカップ麺を食べた。まだ大丈夫と自分に言い聞かせた

泣きながらカップ麺を食べた。まだ大丈夫と自分に言い聞かせた

ライター1年目、文才がないとずっと自分を責め続けていた。右も左もわからないままライターになった。コネもなければライターとして活動する友達もいない。相談できる人もいなければ、この思いをどうやって口にすればいいかもわからなかった。夜通し書いた原稿は、赤字ばかりになって返ってきた。まるでお前の人生はダメだと言わんばかりに。

ライターとして独立するまでは、ずっと気長に文章を書いていた。PV数も読み手の反

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あのときなんて言えば良かったんだろう

あのときなんて言えば良かったんだろう

誰かの悩み相談に乗るたびに、当人の苦しみを一発で吹き飛ばせる魔法のような言葉を持っていないその事実に、自分の無力さを思い知らされる。言葉を扱う仕事をしているのに、肝心なときに言葉が全く出てこない。

「リョウタくん、金曜の夜空いてないかな?」

社会人生活にようやく慣れてきた5年目の春。学生時代の友人から話がしたいと食事の誘いを受けた。ちなみに友人とは高校以来会っていないどころか連絡すらとっていな

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