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役に立たない正論~NHK『詐欺の子』を観て~

先日、NHKスペシャル『詐欺の子』を観た。いわゆる「オレオレ詐欺」に手を染めてしまった少年少女の話を、ドラマ化したもの。実際の事件現場の映像や被害者の声、そして何より、少年院に入っている加害者である少年少女たちのインタビューも多く盛り込まれており、とにかく複雑な気持ちになるものだった。

オレオレ詐欺グループは、あまりに組織化しているものだった。語弊があるかもしれないけれど、そのへんの中小企業よりもうまく出来ているのでは・・・と思うほど。電話をかける「かけ子」、現金を被害者から受け取る「受け子」、その受け子を送迎する「見張り」。それが一つのグループとなっていて、グループの統括者がいる。いくつかのグループ間で収入額を競い合う。実行に至るまでの徹底したマニュアルの存在、一度入ったら抜け出せない組織構造。正直、ここまで巧妙だったのか、、、と驚いた。

加害者もまた、社会が生み出した被害者である。貧困や、将来への絶望感、生きがいのなさ、日常への不満が、すぐ隣にある犯罪への入り口に到達してしまう。徹底した役割分担からは、「自分が犯罪に加担している」という感覚を失わせるのだろうと思う。

そして、被害者もまた、「どうして気付かなかったのか」という自責の念と、周囲からの指摘・責める言葉に傷付き、心に深い闇を抱えてしまう。

被害者を見ていても、加害者を見ていても、どうにもやりきれなかったのが、「責める言葉が見つからない」ことだった。実際に行われていることは卑劣な犯罪だし、許されるべきことでもないのだけれど、どれも「今の社会構造を映しただけ」に思える、どこにでも起こり得ること、に見えた。

ドラマの中で、中村蒼さん演じるかけ子が法廷で、検察官に対してこんなことを言っていたのが一番印象に残った。(記憶に基づいて書いているので、言葉尻の違いはご了承ください)

「”まともに頑張ったら報われる”って思えないやつがいるから、オレオレはなくならないんだ」

ちゃんと就職しなさい、まともなことをしてお金を稼ぎなさい、同じ境遇でもちゃんと働いている同年代の人もたくさんいるんだ、どうして見ず知らずの人にお金を渡したりするんだ、あれだけ注意喚起されているのになぜ気付けなかったんだ、、、、

どれも正解だけど、どれも正論だけど、どれも根本的な解決には役に立たない言葉たちなんだろう、と、思う。法廷のシーンで正論を振りかざして話す検察官の言葉に、腹立たしく思ってしまう自分がいた。(たぶんそれが狙いだと思うから、素晴らしい演出だなと思う)

最近よくニュースで取り上げられている三つ子の母親による殺人事件も。子供を殺すだなんて最低だ、殺人だ、ということは正論だけれど、それは何の役にも立たない正論なんだろうなぁ。

中学生のころ、一度だけ裁判の傍聴に行ったことがある。夏休みの課題のひとつではあったが、当時検察官になることを夢見ていた私にとっては、自らの意志で行ったものだった。うざいくらいに正義感に満ちていた私は、言葉が良くないがワクワクしながら裁判所に行き、その日行われている裁判の一覧を確認し、法廷に入った。「ここで悪が裁かれるのね」と、とてもピュアに思っていた。裁判の内容は、薬物の使用に関するものだった。腰に綱を巻かれて法廷に入ってきた被告人をみて、幼心に、ショックを受けた。当たり前だけれど、腰に綱を巻かれている人間をみるのが初めてだったから。ワクワクは、すぐに消えた。検察官がものすごい早口で事件の内容を読み上げる。まくしたてるように、被告人に質問をしていた。学校に提出した感想文に、私は、「被告人のひとが、少し、可哀想に感じた」と書いていた。数年後その感想文を見つけた大人になった私は、「被告人をみて、可哀想、と思うなんて、なんてピュアな中学生だったんだ」と、過去の自分を鼻で笑っていた。

たぶん、どちらの自分の感覚も、否定できないものなんだろう。偏りがあることが、一番怖いことだ、と今は思う。役に立たない正論を振りかざすのではなく、本当の意味で、役に立ちたい、と思う。でもまだその方法が、はっきりとは、わからない。

Sae

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