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ノート・ル・ダム

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日記のような、エッセイのような、ポエムのような。それぞれの中間のような文章を書かせて頂いております。
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記事一覧

ひらがなだけのぶんしょう

ぶんしょうをかいているなかで、すこしかんがえたことをためします。もし、ぶんしょうが、すべて、ひらがなだけで、かかれていたとしたら。 あるいみ、これは、にほんごにたいする、ちょうせんです。 じつは、いぜんに、だれかの、ぶろぐで、こんなことがあった。 ちょうせんご、はんぐるには、にほんごでいうところの、ひらがなやかたかなの、くべつがないそうだ。 ひらがなが、ずっとならんでいるようなものだ。 それをきいて、ぼくは、すべてひらがなで、ぶんしょうを、かいてみると、どんなこと

X回目の人生の転機

何か、大事なことを決めるとき、あなたはどうしますか? 人に相談するのもよし、徹底的に調べるのもよし、一人で悶々と考えるのもよし。 これといった、定石が存在しないように思われる。 僕は、30年弱生きていて感じるのは、けっこういつも同じようなパターンをたどっている。 具体的な例を挙げよう。 というか、こういう話題をしているのには訳がある。 転職をしようとしているのだ。 それで、どういう会社で働きたいとか、どういう人生を送っていきたいとか、いろいろ考えてみる。 ああ

縁起でもないことについて語ること

「縁起でもない」という言葉が力がなくなっているように感じる。 もし飛行機が落ちたら、もし津波が来たら、もし自分が死んだら、とかそういうことを考えるのはタブーでなくなってきたように感じる。 自分が死んでしまうかもしれない、というのは考えるべきでないことだった。まあ、これは完全に個人の実感なのだが。 10年くらい前までは、死を口にすることは、「縁起でもない」と叱られているのをよく目にした気がする。 実際のところは、自分の考えの変化かもしれないけれど。 死について語ること

体から放出される気体、液体、固体

君は、鼻を穿ったことがあるか? なんのためにか?という質問については、コメントは差し控える。 わしはまあ、否定しないでおく。 わるい癖なのだけど、ついつい車を運転しているときに手が伸びる。 わしの鼻はアレルギー気味で、春の黄砂から、スギ、ヒノキ、イネなど、ありとあらゆる花粉に弱い。 だから、ウォーターオブノーズ(いわゆる鼻から分泌される水分)が出てしまい、それが乾燥して、仕方なく手をかける必要があるのです。ええ。 具体的な描写は読者のみなさんへの暴力な

レシートが片付けられない

レシートを片付けるのが苦手である。 別に、特段、難しいことではない。 誰だってできる。 しかしながら、わざわざレシートを片付けるために時間をつくるというのは非常に難しい。 なぜなら、レシートを受け取った瞬間は、後ろの客が控えているからである。特にコンビニにおいてそれが当てはまる。すぐに財布に入れ、その場を離れなくてはならない。 飲食店である場合には、後ろに客がいなくとも、となりに知人にいるから、話に集中しなくてはならない。すぐに財布に入れ、食べたラーメンの味の感想を述べ

書きたいけど、書けない時

書きたいという気持ちがあっても、頭がついてこないことがよくある。 ネタを思いついたという感覚は残っているのだけど、感覚しか残っていなくて、一体なにを書きたかったのだろうかと真っ白になってしまう。 メモや箇条書きで残してあったとしても、そこから表現が広がらなくなる。行き詰まってしまうのだ。 こんなことを書いている今がまさにその状況なのだが、「書けないということ」をネタにしていて、そのどうしようもなさで困っているのでスラスラと書けている笑 書けなさ、はそんなに苦しみや悩み

考えることは実は考えてない

「すぐに答えなくてもいい、一度じっくり考えてみればいいさ」 おどろくような提案がされたときに、よく聞くセリフ。だいたいドラマで出てくるイメージ。 海外転勤が決まった交際相手にプロポーズされたでもいいし、友人から起業に誘われたでもいいし、そういう感じの大きな意思決定。 個人的見解をいえば、こういう決断をするとき、たいていの場合、メリットとデメリットを比較して、論理的な結論を導くことはほぼないです。 これがしたいか、これをしたくないか、という感情的なところ

空白をつくる

自分が自分であることに疲れることがある。 人と関わりたくないときがある。 生きていることがめんどくさくなることがある。 そういう時にいったい何をすればいいんだろう? と思ってしまう。 僕の場合、だいたいそういうときには頭の中に情報が詰まりすぎている。 いつでもどこでも人と繋がれる、情報と接せられる時代になって、僕はいささかお腹いっぱいです。 いろんな物事を自分の中で消化できる速度がとても遅いのです。 世の中が目まぐるしく動いていくペースについて行くのがむずかしい。

生きるというのはこういう事じゃないか

 とわかった気になりました。  僕はまだ二十代で、まだまだ、まだまだまだ経験も足りていないとは重々承知しています。というか、生きていても分からない世界が残されたまま生きていって、死んでいくということじゃないでしょうか。  5歳の時よりも、15歳の時よりも、確実にこの世で生きていくということについて理解してきたんじゃないでしょうか。経験的な蓄積もそうですし、知識的な蓄積もそうです。  自分の理解できない人間を否定したりバカにしたりする人もいれば、最先端の技術を開発したりす

止むに止まれず

先々週に、東京へ行きました。 やはり東京というところは、何もかも変化が早くて、同じ国に僕は生きているはずなのに、眼に映る何もかもが新しく感じられました。 そして、大学の頃には、似たような考えをしていた人たちが、どんどんと別の世界に行っているようでした。同じような時代を生きているはずなのに、発する言葉がどこか違う世界から出てきているような印象を受けました。 それは東京のいいところだし、わるいところだと思ういます。変化していこうとしていく人には魅力的で、飽きがこないでし

説得力のあるポエマーになりたい

いや別にポエマーそのものになりたいわけじゃないんです。という言い訳を先にしておきます。 詩という言葉は、しっかりと地位を築いているような気がします。詩人というのは、谷川俊太郎さん的なプロフェッショナルに詩を書いている人たちを指しているのが、2018年時点での一般的な意味だと私は解釈しております。私にいくらかの常識感覚が備わっているのであれば、だいたい合っているのだと信じて止まないです。止まない雨はない。 その、noteを書き始めて思うのは、noteのフォームが私の中のポエ

人生36回目の東京

東京にきました。 これで36回目になります。ウソです。 正確な数はよくわかりません。 もう何回来たかよくわかりません。 その昔、まだ20代だったころ、千葉に住んでいて、都会に憧れて何度も足を運びました。 吉祥寺やら、代官山やら、下北沢やら、テレビで聞いたことがあるオシャレそうな土地に行きました。(その当時はまだスマホはありませんでした) そのあと、東京に住むことになって、一年ほど住んでいました。それでだいたいの土地勘がつきました。その、住んだこともあるけれど、かといって

しあわせだと思う一方で

しあわせだと思いました。 そう思うと、この世の中には貧困で苦しんでいる人がいるし、戦争で苦しんでいる人もいるし、いろいろな理不尽を生きている人がいることが頭に浮かばなくもない。 世界の経済格差とか歴史的な背景とか、いろんな構造に思い巡らしはじめると、自分の生活はそういう人たちの犠牲の上に成り立っていて、しあわせだと感じているのは、浮かれているのではないか。 そんなことを思わなくもない。そういう物事のつながりや世界の関係性を考えることは大切だし、それらの事実を受け止めるこ

はじまりはじまり2

こんにちは。 雑賀千尋と申します。 同名でやっていたのですが、IDの都合で(個人情報の都合で)作りかえました。すでに読んでくださってた方には、ご迷惑をおかけします。 かつて、(といっては3年くらい前だけど)noteが流行りはじめて、「これからはネットのコンテンツが有料になる」というなんとなく浮ついた時代がありました。 その当時、わたしは別のところでブログをやっていたので(今もやっています)、嬉々としてnoteのアカウントを作り、一旗あげてやろうか、なんて少しばかり考えて