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嫌いなものに執着しないの話。

嫌いなものは誰しもあると思う。
私もある。

嫌いな食べ物、嫌いな芸能人、嫌いなYouTuber、嫌いな性格etc……。

具体的な名前は出さないし自慢する事でもないが、私は嫌いな芸能人や嫌いなYouTuberがたくさんいる方だ。
見ても真顔にしかならないし、何が面白いのかも分からないし、好感度が低いから余計に面白くないし。
元々人に対しての好き嫌いがはっきりと分かれるタイプなので、嫌いなものはとことん嫌う。
ひっくり返って好きになる事もほぼない。

でも「あれ嫌い!」「あいつ嫌い!」とか思いながら生きていたら疲れるじゃん?
だから私がやるようになった事はたったひとつだけ。

嫌いなものには関わらねぇ!!!

結局この簡単な答えに行きつくんだよ。
だって嫌いなものを見たって聞いたって、腹が立つだけだろ。
それって自分にとって何かプラスになるか?

「好きの反対は無関心」ってのは個人的には正しいと思っていて、嫌いと思ってそれに腹を立てるのは、それだけの関心を向けていないと出来ない。
そう考えると、「嫌いなものに対して多大な労力を割いている」のが馬鹿馬鹿しいと思う。

じゃあ「見なければ聞かなければ嫌いから無関心になれるのか?」と言われれば、それは否だ。
だって私も嫌いなYouTuberとか見なくたって未だに嫌いだし。
嫌いだから見ない選択を続けている訳だし。

ただ「こいつ嫌い!腹立つ!○○が気に入らない!○○も嫌!BANされれば良いのに!許せない!」みたいな熱はなくなる。
気付けば、「嫌いだなー。キッショー」くらいに落ち着く。
これが一番ベストな状態だと、この情報過多の現代社会では思う。

嫌いなものはわざわざ見なくても良い。
見なくても生活出来る。

どんなSNSやサイトにもブロック機能があるのだから、どんどん使っていけば良い。
もちろん自分のアカウントが凍結されたりするようなレベルの使い方はあれだが、一般的な範囲内ならそもそも使う為に存在している機能だ、使えば良い。
見なくなれば当然、AIもおすすめしてこなくなる。
そして嫌い嫌いと言いながらわざわざ見なくても、本当に必要な情報はこの情報過多社会では勝手にやってくる。
確かローランドもそう言ってた。知らんけど。
まあ体感としてそれは事実だと思う。

つまり、別に嫌いなものを好きになる必要はないし、無関心になる為に許す必要もない。
嫌いなら嫌いで良い。
ただ、嫌いなものに多大な労力を割く必要はないのだ。
こっちがどう思ったって相手は生きているし、こちらが相手の選択をどうこう出来るものでもないのだから。
他人をコントロールしようと思わない事が大事。

これが嫌いなものが多い私が辿り着いたベストアンサー。


あとそもそもの話だが、怒りの発散とは結局のところ快楽だと私は思っている。
イーッ!って怒るとすっきりして気持ち良いし。
ただこれが頭に刷り込まれていると、嫌いなものを見て腹を立てて怒りを発散し快楽を得るのループに陥る。

結局、出来るだけストレスを受けない・溜め込まないに限るのだ。

まあそれがこの現代社会では一番難しい事だけどな!!!
うつ病の私が言うんだ間違いねぇ!!!


ついでに以下からオリジナルの小説を読んでもらえると嬉しい。

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