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それでもやっぱりぼくは幼児教育に携わりたかった。

もうすぐ33歳、冴えないおじさんの戯れ言をどうか訊いてくださいよ。

7月、市内某所のショッピングモールで泣き止まない我が子を抱えた海外籍のお客さんと偶然鉢合わせたんですよね。「If you don't mind, could I have name?」と訊く覚悟まで持ったほど。果たしてあの子が愛すべきパパに甘えていただけなのか、それともパートナーの帰りを待ち侘びる余り感情が溢れてしまったのか。心の底から微笑ましかった、滅茶苦茶可愛かった。

あるいは単なる疲労感や空腹または眠気から来るものだったのか、今となっては皆目検討も付きません。元来、彼ら程の年齢であれば「意思表明」は泣くことによって表出されるものですし、たといそれが公共交通機関を使っていようとショッピングモールのテーブル席の片隅に腰掛けていようと関係のないことです。ホンマ可愛くてしゃあないわ、未だに夢に見るわ。

彼らが何を思い、どう訴え掛けていたのか。そのことに我々大人は全身全霊で向き合うべきですし、少子高齢化が叫ばれる昨今とあれば尚更彼らの生身の声に耳を傾けてあげたい。幼児教育に携わる家系に生まれた人間としての、最低限の心得。嘘泣きかもしれない、あるいは本気泣きだったのかも。ぶっちゃけ前者のニュアンスが割合強かったかもわかれへんな、ごめんね。

それでも泣き叫ぶその子に身振り手振りで話し掛けてあげると不意に真顔になり、時折本来の笑顔を取り戻したあの瞬間のカタルシスは筆舌に尽くし難いものがありました。彼らの「心の声」に寄り添いたい、そう願って仕方ないのは果たして出自ゆえのものだったでしょうか。幼児教育に携わりたいと口走った瞬間から、着実に人生の歯車は狂い始めた。

何かそんな実感がありました。「なんで男が」「ロリコン?ショタコン?」「犯罪者予備軍」とまで言われ口を噤んだ過去さえありました。もう10年以上も前のことです。彼らが一体何を考え、あるいは何を感じ取った末に起こした出来事だったのか。そういった部分に真摯に目を向けるべき世の中ではないか、繰り返しになりますがそう思ってやまないのです。本当の意味で。

本来であれば、内部推薦で教育学部の1期生となれるチャンスを得たはずでした。ただ十分に、周囲の信頼を得られなかった。時代的な流れなのか、ある種の岩盤規制か。男性として生まれ幼児教育に携わるという難しさを痛感させられた瞬間でもありました。その刹那、どこか自分の将来に絶望してしまったんですね。長年叶えたかった夢が、脆くも潰えてしまったような。

長年お世話になっていた教会主催のバザーで、不意にヨーヨー釣り場の責任者を任される機会がありました。名前も顔も知らない附属幼稚園の出身生達を相手に、あの手この手で接触を試みた。シンプルに、彼らの「心の声」を訊くためです。愛すべき我が子を残し炎天下の中、冷房の効いた休憩スペースへ逃げ込んだ家族を尻目に良ければ一緒にヨーヨー作ってみる?

おじさんが子どもの頃は園庭の砂場に埋めたりして楽しんだもんやで?大人達が困り果てた表情見てんの、正直最高やったわ。敢えてそう問い掛けてみた。思いの外、話が弾んだんですよね。時代錯誤な「幼少期の悪戯心」には調度良い刺激だったのでしょうか。慌てて地中深くに埋め始める子がいましたし、ヨーヨー作りを手取り足取り全部訊いてくれた子達も大勢いました。

日頃よっぽど抑圧されてるんやね。おいでおいで、ここらで発散しようや。正直滅茶苦茶楽しかった、多分あの後相当怒られたことでしょうけど。さすがにこれはオフレコ話。墓場まで持って行けそうなエピソードばっかりですわ、こちとら正直一生の思い出です。泣く泣く幼児教育を諦めた身からすれば。やに愚痴っぽくてえらいすません、これが本心なんです。羨ましい。

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