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『箱の中の欠落』感想・考察②

ラーメンができあがり、熱々の、正直に言えばちょっと熱すぎるラーメンに小さな悲鳴を上げながら、麺をすする高校生たち。
 ここで、三度目の注目ポイントが登場した。

 話の流れから、里志が何気なく将来何になろうかな、という。
 奉太郎はレンゲでスープを一口すくうと、

 「弁護士なんかどうか」

と言った。

 頓狂な声をあげて驚く里志に対して、最初に思いついただけだ、他には仕事人なんかどうだ、という奉太郎。
 乾いた笑い声をたててしばらくしたあと、小さく呟く里志。

「考えもしなかったな……悪くない」

 もしや自分は、一人の仕事人を生み出してしまったのだろうかと奉太郎のモノローグが入るが、もちろん里志が「悪くない」と言ったのは、仕事人ではなく前者のほうだろう。

 いままで私は5冊の古典部シリーズを読んできて、里志のいちばんの特徴は趣味人であることだと考えていた。
 里志はデータベースを自称しており、様々な事柄に対する造詣が深い。とはいえ、ひとつひとつの物事に対して深く掘り下げないことを美徳としており、さながらスタンプラリーのように、物事の入り口に寄って巡っていくのが楽しいのだという。
 「こだわらないこと」をモットーにしている。
 そこが、里志の最大の特徴であり、弱点でもあるのだと考えていた。

 だから、感想①でも述べたような、里志の正義感ともいうべき性質について、わたしは今まであまり気が付いていなかった。


 もっとも、今までの古典部シリーズにおいて、第1作『氷菓』は、古典部部長 千反田えるの記憶を辿る話、第2作『愚者のエンドロール』は奉太郎の葛藤が描かれており、里志の心情をピックアップしたものではない。

 里志のことを深く知る大きな手掛かりとなるのは、第3作『クドリャフカの順番』と、短編集である第4作『遠回りする雛』のうちの『手作りチョコレート事件』という一編だと思う。

 しかしこの2作で着目されているのは、里志の正義感ではない。

『クドリャフカの順番』では、神高文化祭で起きた事件の解決に乗り出そうとするも、奉太郎ほどの推理力を持たず、謎の答えを導き出すことができなかった里志のやるせなさが描かれている。
 「データベースは結論を出せないんだよ」と、自らの限界に対して諦めをつけている。

 『手作りチョコレート事件』においても、里志が葛藤していたのは、「こだわらないこと」という自分の信条についてだ。

 2作の両方に関して、里志が不正義に対する憤りを示したことはないし、そもそも2作の中に不正義を思わせる事件や人物は登場していなかった。
 だから、里志が不正義に対して人一倍嫌悪感をあらわす性質を持っていたことなど、読者の私は今の今まで知らなかったのだ。
(もっとも、全作を読み返してみると、違う感想が出てくるかもしれないが)

 それで、里志が弁護士という職業に就くのも悪くないな、と言ったことに対して、不思議に気持ちになった。

 もっと、趣味に生きるのかと思っていた。
 例えば、雑誌の編集者とか。マスコミ関係なんかが里志っぽい気がした。

 でも考えてみると、弁護士は膨大な資料から真相を読み解いていく作業をする職業だとすると、里志は資料を読み漁るのは好きそうなので、いいかもしれない。

 それに、ニュースで理不尽な事件が報道されたとして、里志が眉をひそめる姿は想像できる。もちろん、一般の反応だとも思うが。
 しかし、普通に暮らしていても、今回の生徒会選挙の一件のように、不正義に居合わせることはあるだろう。
 それを是正することをわざわざ仕事にしたいのだろうか。わたしだったら、疲れそうと思ってしまう。

 まあ、こんなふうに、里志の新しい一面を知ることができたな、と思った。

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 さいごに、私がこの1編を読み直して気づいた驚きがもうひとつある。

 冒頭、焼きそばを作る場面よりも前、本編が始まる一番最初に描かれたモノローグだ。奉太郎は「なぜだかずっと忘れずに憶えている日常の記憶」について語っていた。

 遠足や運動会といったイベントとは違う、何の変哲もない1日の断片を、鮮明に憶えていたりする。
 なぜか記憶に残っている日と、全然記憶のない日の違いがどこにあるかはわからない。


 しかし、今日のこの出来事は十年、二十年先も憶えているのではなかろうか、そういう直感に襲われたといって、里志との夜の散歩のことを語りはじめたのだ。

 奉太郎はどうして、そんな直感に襲われたんだろうか。

 ひとつ、学校外で里志と会うことはめったにないらしいので、珍しい出来事として、単に記憶に残るということ。

 そしてもうひとつ、この時の会話が里志の将来の方向を示すひとつのきっかけになったからではないか。

 もちろん、里志がこの後どういった選択をするかは全く示されていない。

 ただ、仮にそれが正しいと仮定する。
 その場合、私が気になるのは、奉太郎は友人の将来を左右しかねない発言をしたとして、それを記憶に留めるような人物なのか?ということだ。

 奉太郎は、注意力が高く、ひとの感情の機微を察知することにも長けている。

 『氷菓』において千反田えるが、一緒に自分の記憶の謎を辿るために力を貸してほしいと言った時、はじめ、奉太郎は断ったのだ。
 千反田えるという一人の人間の人生観さえ関わりかねない問題に、省エネ主義の自分が少しでも責任を負いたくない、といって。

 ここから分かるのは、奉太郎がとことん厄介ごとに関わるのを厭うということではない。

 奉太郎は、まだ出会ったばかりの千反田の話を少し聞いて、この話が千反田の人生観に関わりうる、ということに気づいたということだ。

 
 そうなると、今回の里志との会話についても同じことが言える。
 この会話は、里志の今後の人生に関わりうる会話になったかもしれないことに気づいた。

 
 先ほどの質問に戻ろう。

 奉太郎は友人の将来を左右しかねない発言をしたとして、それを記憶に留めるような人物なのか?ということだ。

 答えはイエスだ。
 

 奉太郎と里志の友人関係は、ふだんから軽口を叩き合う間柄で、お互いの夢や決意について熱く、真剣に語り合う姿など想像もできない。
 まして奉太郎は、基本的にはいつも涼しい顔で、自分のこと以外には無関心を装って生きている。里志の将来なんて、冷やかしに想像したことはあっても、真剣に心配したこともないだろう。

 しかし、細かいことには気づいてしまう性質なのだ。

 省エネ主義なんて自称し、さも気の利かない人間であると装っておきながら、友人にとって重要な出来事に対する、真摯な姿勢が垣間見えるのだ。

 奉太郎にすると、それは人として最低限の礼儀だろう、という感覚なのだ。

 至極まっとうな人間なのである。

 とぼけやがって、とんだ野郎だと思う。

 なぜ折木奉太郎はこんなにまっとうな人間なのか?

 わたし、気になります。

『箱の中の欠落』感想 おわり




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