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慣行保育で感じていること~病気回復へのヒント

落ち着きのない子どもにしてしまう環境

世界が違うので比べてはいけないと思うのですが、森のようちえんに慣れている自分にとっては、どこも同じ。良くも悪くもとにかく大人も子どもも余裕がなく、騒々しく穏やかな環境ではないと感じてしまいます。

・電子音のおもちゃ

電子音の音楽が流れ出すと未満児がヘッドバンギングや奇声を上げることがあります。これは喜んでいるのではありません。トランス状態です。

・プラスチックのおもちゃ

体に害があります。

・闘いごっこ=殺し合いごっこ、包丁やけん銃(のおもちゃ)をふりまわす

テレビの見過ぎ。自分が弱い立場のため、強いもの、暴力で悪を退治するヒーローにあこがれなりきる。暴力が正義、強い人間の象徴だと思っています。

・甘いおやつ

ヨーグルト、ジャムなど白砂糖を使っているものを口にするからキレる、異常行動が起きる。白砂糖でなくても材料を育てる際に大量の化学物質が使われているから容量オーバーになればアレルギーや病気、異常行動につながります。

・甘くないおやつ、手作りおやつ

甘くなければいい、手作りならいいというものではない。パンやお米、保存料無添加でも材料を育てる際に化学物質が使われているから容量オーバーになればアレルギーや病気、異常行動につながります。

・手作り給食

おやつ同様、手作りだからいいというものではなく、保存料無添加でも材料を育てる際に化学物質が使われているから容量オーバーになればアレルギーや病気、異常行動につながります。検査で異常が出たものだけを除去食にしたところで無駄です。大概検査で異常とは出ませんから。

・食べない、偏食

子どもたちの味覚は敏感なため、大人には感じない農薬独特の苦みや食感を感じ、身の危険を回避するため本能的に食べません。
わたしも娘も子どもたちに近い繊細さんなので分かります。有機JAS表示があっても無理なものは無理で、口にしたとたん吐き出してしまいます。体が処理できそうかなというものは体に痛みが出ますが、じきにひくのでいただけています。
自分で自分の身体を理解し、分かって選んで食べられればいいのです。

子どもたちは素材の味を楽しみます。同時に、農薬や化学物質の味も味わいます。ですから、これはあからさまにダメでしょうと思うときは、他のクラスでも食が進みません。
それを作ってくれた人に悪いから、お金を払っているのだからと無理に食べさせることはいかがなものかと心苦しくなります。

好き嫌い、食べ残すことはわがままで許されない。値段の高いオーガニックは気取ってる。きれいでないし小さい。だから買わない食べない食べさせない。大人は自分で選んで買って食べているのだから、それでいいと思います。どうぞご自由になのです。けれど子どもには選んで買うことができません。自分の身を守るために拒むことしかできません。
皆さんはどう思われますか?

余談ですが・・・
地域柄、大半の方がマーガリンや白砂糖、野菜果物を育てる際化学物質を使用することに対して疑問を抱いていません。逆に昔から使っているものだからと反発されます。スーパーに並んでいる商品がそういうものしかなく選べない、他を知らないという状況でもあります。化学物質はいいもの、使わないと育たない(使わなくても育つのですが大きさ見栄えにこだわらなければならない)食品衛生上添加しなければ売れないという生産者側の言い分で通します。なので売られているほとんどのものに当然のごとく含まれています。世の中それを良しとする文化、世界ですのでその世界の方々にとっては当り前で良いのです。大きな声では言えませんが身体障碍者が多すぎます。背は異常に低いです。界面活性剤シャンプーの影響もあるかと思いますが、頭の薄い女性、ハゲ率高いです。よそを知らないのでこれが普通、歳だから、遺伝だから仕方がないと思われています。同じ釜の飯を食べているのだから、まったく0とは言わないけれど、遺伝という言い訳もねえと思うのですが、皆さんはどう思われますか?

・考える時間を与えない

子どもが遊んでいるとき、創作の時に話しかけすぎ、手を出し過ぎ、マネをさせようとする。創意工夫、自分で考え行動することができない。集中力がなくなる。自由にできない。

・おもちゃを与えすぎ

子どもにあれこれおもちゃを出したり渡すと、どれで遊んでいいのか分からなくなる。全部で遊ばなければならないのかとさえ考えます。ひとつにあそびを集中できない。かといって子どもがたくさん出したおもちゃは散らかさないと言って怒る。自由にあそぶことができない。

・外で思いきり遊べない

子どもは1日に年齢km歩けます。もしかしたら大人もそうかもしれません。それはちょっと調べていないしチャレンジしたことがないので分かりません。子どもたちには動くためのエネルギーが有り余っているのに、十分体を動かすことができていません。フラストレーションがたまります。子どもがどれくらい動いているか万歩計をつけ、目標をクリアするぐらい外であそばせたらいいのになと思います。

・怒られなければなにをしてもいい

体力が有り余っているので、本能で動きたくて仕方がない。怒られないとわかると狭い部屋で壊れたように走り暴れまわり、羽目を外す。家で我慢し園で我慢し、殴る、蹴るでうっぷんを晴らそうとする。怒られるとわかっている人の前ではいい子を演じます。何もしていなければ課題(おもちゃや絵本)を与えられ興味もないのに遊ぶふり、読むふりをしなければなりません。疲れます。演じていないときは受け入れてもらえない、認めてもらえないと感じているからです。
子どもは想像以上に賢く、大人相手に苦労しているのです。

・普段親に甘えることができず、いい子を虐げられている子どもたち

ほど、怖くない人を見下し馬鹿にして自分は偉いという満足感を味わい自分を保ちたいという言動をとります。

・無理な笑い

ほめ過ぎ。小さい子たちがずっとかわいいかわいいと言われているので、構ってもらえない子は自分もかわいい、えらいねとほめてほしくなります。立場の強い先生がいるときは先生の近くで大きな変な笑いを続ける、行儀よくする。一生懸命いい子を演じます。人から褒められるためにする、見返りを要求する人になります。

・みんなのおもちゃ

おもちゃの取り合いの際に、双方に自分の家ではない、自分だけのおもちゃではない、園のおもちゃだからみんなで使うもの、大丈夫ということを伝えない。根気よく伝えれば子どもは理解します。未満児であろうが、言葉は分かっています。人が持っているおもちゃを取り上げる行動や押したり噛みついたりする行動ばかり怒る、無言で制止する、子どもをそれぞれ引き離す。それでは何の解決にもならないです。

・トイレトレーニング

決まった時間だけにおむつを変えると、子どもたちは教えない子になる。生まれた時から気持ちが悪いときちんと教えてくれているのに、応えておむつを変えてもらえなければ、伝えも変えてもらえない、泣いたり言うと怒られるかもしれない、伝えるだけ無駄、いつか変えてくれるだろうと人としての安心感や信頼感は無くなります。自立や成長ではなく、すさんで甘えなくなります。

大人は怒る怖い強い人が偉い。怒らない人は偉くない。自分より下。大人は好きなことをして自分たちの都合ばかり押しつけてずるいと思いはじめます。そんな大人の言うことに耳を傾けるもんか。だけど頼らなければ生きていけないのが悔しくて、強くなろうと頑張ります。俺は強いんだと誇示し、ハチャメチャに暴れます。君は頑張ってるよ。偉いよ。大変だよね。だけど叩いたり暴力をふるう人は弱い人です。優しい人が強い人です。優しい強い人になってくださいと声をかけると落ち着いていきます。

・子ども用スプーンとお箸

で、こぼさずきれいに食べろは酷です。おそらくほとんどの大人は子ども用のスプーンを使って食べたことがないからわからないと思うのですが、市販の子ども用のスプーンでこぼさず食べることは大人でも至難の業です。スプーンであれば、すくいやすいののじのスプーンなどをおすすめします。また、お箸は何歳から使うといいという決まりなどなく、使わなくても常に置いておけば使い方を教えなくても勝手に大人のまねをして器用に豆や豆腐もつかめるようになります。2歳3か月でふつうにお箸で食べることもできます。無理に上手にさせようとするから嫌がるのです。見たらたまたま親が使っているお箸があって、あ、ちょっとやってみようという気もちを尊重して、何も言わず見守ってあげることが大事だと思います。

・理由を聞かない、大人都合

泣いている子ども、まだ話ができない未満児に「どうしたの?」と聞かない大人が多いように思います。寝ても子どもは寝るものなのですが、お昼寝の時間に寝ないと困るから寝ないでと眠いのを我慢させられたり、ご機嫌取りにおもちゃを与えられたり、何かさせようとされたり、そうじゃないと分かってもらえないからいつまでも泣くのです。

体が成長するとき、運気が良い方向へ変わるときは、大人も赤ちゃんも子どもも強烈に眠くなるのです。声は優しくても心拍数が上がるのでイライラしていることは伝わります。怖くて余計に泣いてしまう。分かってくれるママを思い、泣き叫ぶ。なぜ泣くことが良くないことなのでしょうか?なぜ泣いているか、何を伝えようとしているのか、どうしたのと聞いて思いをくみ取ることで子どもは分かってもらえたと落ち着きます。泣かないということは感情を出さない、思いを伝えられない、また、肺筋量が弱く声の小さい子どもになってしまいます。

規則を守らせる監獄

命令が飛び交い横しまのボーダーシャツを着て、檻にしがみつき泣いている子どもたちを見ているとそう感じてしまいます。すみません。

子ども時代の大切さ

自分は子どものころ付属の幼稚園に通っていました。が、幼稚園が落ち着いていたかどうかは覚えていません。好きなことができない、心落ちつかない幼稚園が大嫌いでした。ガラガラドンの劇は本当に嫌で嫌でたまりませんでした。踊りたくもない踊りをみんなと一緒に踊らされたり、大人の決めたお遊戯など何のために誰のためにするのかいまだに意義が分かりません。テレビの教育番組がそうしているからいいものだということでしょうか。幼稚園よりも自由だという保育園に通っていたとしても、保育園も嫌いだったろうなと思う今日このごろです。

だから、森のようちえんがいいのかと言われても、今、数が増え、カラーは様々です。ただ、慣行保育のフィールドを変えただけの教育方針のところもたくさんありました。だから、お躾が嫌なわたしは、一概に森のようちえんがいいと言わなくなりました。

私は細かいと言われると思います。けれど、7歳までの子ども時代に親や大人が子どもにそれくらいの知識は持って接する必要があるのです。30年先にどのような大人になり、どのような親になるかほぼほぼそこで人としての土台ができるからです。

子どもは親のお荷物、アクセサリーではありません。全てのことにおいて初心者で、手足も不自由でリハビリをし回復に向かう手助けが必要な大人と同じ、人格を持った人間です。そして、親にたくさんの気づきを与え幸せにするために送られてきた天からの遣いです。気づきを受け止め互いに幸せになってください。

自分の贅沢、都合、自分や子どもの将来など、物やお金のことばかり気にするのではなく、今ある気もち、愛をたいせつにしてください。体は愛ある飲食によって成長し、心は愛ある言動によって成長し正常に機能します。病気に負けず、困難が生じても、ポジティブに過ごす事ができるようになりますから。

いい子いい子で育つと、子どもが大きくなった時に子どもも親も苦労します。たとえに出して悪いのですが、大学を出て普段はおとなしいいい人なのに、親が自分の好きなエビののったピザを買ってくれなかったというだけで家の中をめちゃくちゃに破壊し病院送りになった方もいらっしゃいます。

体が小さい時は親という圧力で押さえつけられますが、我慢を虐げられ怒りをためこんで成長すると、愛情の裏返しで憎悪に変わり、体が大きくなれば仕返しされます。親が無理なら自分より弱いものに牙を向けます。多くの方がキレるスイッチが入るものを何も知らずに毎日食べていますから、攻撃的で半狂乱の人で町はあふれかえるかもしれません。けれど同時にそれらは体を破壊し弱らせているので、ベットから動けない状態で均衡がとれているかもしれません。これは自分の体験に基づく想像ですけれど。

小さければ小さい時ほど良好なコミュニケーションが大切なのです。この時に親から受ける言動で人生が変わると言っても過言ではなく、大人の都合のいい子ほど不安定なものありません。アダルトチルドレン/インナーチャイルドを抱えている人たちは皆苦しんでいます。自分もそうでした。

だから、子どもたちは自分のようになってはいけないと、必死で勉強しました。おかげさまで、まあ、自己肯定感の強いこと、頭の賢いこと、しっかりし過ぎていること、悟りの境地でいらっしゃること。私が寝たきりだったこともあり、見せない闇は深いと思いますが…。未熟者で申し訳ない。だからこそ送り込まれたのだと、彼女たちと存在↑👤✨には感謝しかありません。

心が満たされれば離れていく。抱っこもおっぱいも何歳になってもかまわないと思います。シングルだった私は子どもたちを不安にさせたくない気持ちが強かった。下の子は小学2年でも毎日おっぱいにぶら下がっていました。下の子に合わせてお姉ちゃんもぶら下がってみる時がありました。4年生かな?それでも乳が出てる自分の身体にも驚きでした。やさしい甘さでおいしいらしいです。いつも落ちついていて、何も言わなくても勉強している子どもたちでした。だから一度も勉強しなさい、宿題しなさいと言ったことがありません。学校に関してはノータッチです。最近は構わなすぎ、厳しすぎかなと反省すらしております。

こんなに甘えさせた子どもたち。
上の子は国際弁護士をめざしています。下の子は国際看護師をめざいていました。けれど、コロナの大量消毒と同時に体調を崩し、体のことを考え全力で取り組んできたにもかかわらず夢を断たれてしまいました。落ちこみは酷いものでした。しかし、すぐに転向し公認会計士をめざしています。

色々なものを与え甘やかす事とは違い、愛情を与え甘えさせる。この違い、皆さんはどう思われますか?
多くの方は混同していると思うのです。
甘やかすなと言いながら、次から次から物や舞台を用意し、
甘やかすなと言って愛情を与えない。

このような考えの親に育ち、愛情で心が満たされていない私は自己肯定感が低く、中学国語教師をめざしたものの学校教育に疑問を抱き、目標を失い、親を喜ばせるために大企業に就職したものの親から妬まれ嫌がらせを受け、安心できる居場所を求めて土地を転々とし、天職を見つけるために職を転々とし、ほんとうの幸せを探し求めるタンポポの綿毛です。これまで挑戦挑戦の日々でした。戦を挑むことはもうやめようと思います。やめたつもりだったのですが、気づけばやってみようと体を張って挑戦していました。
戦い過ぎた自分をやすませよう。
気力が戻るまで風に身を任せ、
とりあえず生きて
自分のできることをしようとおもいます。

どうか皆さまも無理をなされませんように。

子どもも大人も、嫌なことを我慢しないですむ環境、
快適な暮らしを整えることをめざし、
自分らしく生きること
それが健康を含め幸せに生きるために
大切なことだと思います。

ツインとは再びサイレントの期間に入りました。
再び出会うことのあるツインレイなのか
このままお互い前に進むためのツインソウルだったのか
分かりませんが、時が来れば分かるかなと思います。
↑👤✨ははじめからやめておけと
ずーっと言っているから
かみさまの言う通り
ツインレイではないかもしれないね笑
子どもたちを思うように
笑顔でいてくれたらそれでいい
そう思えるようになりました。
がんばろう!

あなたもわたしも good luck👍✨

数多くあるブログの中
このブログに辿り着き
最後までお読み下さり
ありがとうございました。

あなたが幸せになるために
必ず意味のあること。
存在のはからいです。

どうかあなたが笑顔で
今もこれからも輝いて
自分らしく心和やかに
日々過ごされることを
心から願っています。

このブログが
あなたの希望の光となり
未来が明るく照らされますように

ありがとう
ありがとう
感謝

存在と共に生きる
スピリチュアルライフヒーラー佐和子

こころ癒される長野の美しい田舎の風景写真など #photoAC に出品しております。無料でダウンロードできます。ハロの写真を追加しました。よろしければご利用ください。lucia369385

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