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かおり
2022年7月9日 23:46
同行二人読み方:どうぎょうににんお遍路などの巡礼、霊場巡りにおいて、常に自分には弘法大師がついていてくれる、弘法大師が共にいてくれるという意味で書きつける語。一方、キリスト教の世界においても、似たような有名な話がある。キリスト教会において親しまれてきた「あしあと(フットプリント)」という詩があります。今日は、この詩と、この詩についての伝えられているエピソードを紹介します。あしあと
2024年5月10日 15:31
柴又帝釈天参拝依頼、すっかりお堂や神社の木彫りマニアになってしまった私だ。そんな木彫り愛好家の私にピッタリなのが、ここ神門寺だ。この寺はもと修験寺で「神戸山・長生院」といい今宮坊(現在の第14番札所)に属して栄えたといわれている。本尊は、1㍍を超える「聖観世音菩薩」で、両手に蓮の花を持ち、室町時代の作と伝えられている。昔、ここは神社で大きい「榊(さかき)」があり、その枝が左右に分かれて空に伸
2024年5月9日 00:11
西武秩父駅から小鹿野町に向かうバス路線沿いに入口がある。ここ、岩之上堂。行く前から不思議だなと思っていたのが、〇〇寺という呼称ではないことだ。岩之上堂は、その名のとおり荒川河岸の崖上にある。「観音堂」は三間四面方形造りで流れ向拝を付けている。本尊の「聖観世音菩薩」は、平安時代の作と伝えられ、優美で穏やかな姿をしている。現在の観音堂は江戸中期の造営と思われるが、元禄年間に内陣の補修、宝永年間に
2024年5月7日 00:35
秩父札所19番を訪ねた際に、対応してくださった方が「札所19番は檀家がない無人の寺ですぐそこの宗福寺で管理している」と教えてくれた。と、そんなこんなで訪ねたのがこちらである。目の前であるのだが、多分、地元の人は徒歩5分でもバイクや車なんだろうな。六体のお地蔵さまが素敵だ。参道を抜け、本堂に入るのに出迎えてくれるは蛙の地蔵。こちらも蛙。こちらも蛙。実は、ここ宗福寺。蓮の花で有
2024年5月6日 16:12
この堂は、大きな岩盤の上に建てられ、七間半四面の大きな堂である。内まわり中央に四天柱を建て周囲を虹梁でつなぎ、その背面に本尊を安置している。堂内には、閻魔をはじめ十王像など冥途の恐怖を強調するものがある。また、三途の川の脱衣婆(だつえば)をまつる三途婆堂もある。本尊は、千手観世音坐像、像高49cm、寄木造り室町時代の作である。(秩父市のページより)岩の上にお堂が建てられている。ネットで情報
2024年5月5日 00:05
私がこのお寺を知ったのは、3月に宿泊した秩父和銅温泉でのパンフレットによってだ。願い石巡礼なるものがあり、その中の1つに廣見寺があり、札所でもないから普通の檀家さんに収入を頼る一寺かな?と思っていたのだが、イヤイヤ申し訳ない。秩父の曹洞宗発祥の寺であり、寧ろ、現在札所となっている曹洞宗寺院は、こちらの末寺であるのだ。その時に行こうと思いつつも、あまりにも風が強く、2月よりも寒いよーー、彼岸過ぎ
2024年4月30日 01:02
群馬県の総鎮守である上野総社神社の隣にあるのが、ここ天台宗徳蔵寺だ。上野総社神社の隣にあるお寺。かつては総社神社の別当寺であった。室町時代(戦国時代)の文明三年(1471年)足利八代将軍義政公の祈祷所として建立され、開山は重海法印と伝えられている。往時には寺中七ケ院、末門十七ケ寺を擁し幕府から朱印十六石を下賜され、檀徒三百有余戸を有し、当地信仰の中心をなしていた。江戸時代初期の慶長十二年(
2024年4月28日 01:37
群馬県富岡市と言ったら!世界遺産登録ともなっている富岡製糸場で有名だ。私の読み方がまずいのかもしれないが、女工哀史などを昔読んだところ(何十年も前?か!)、工場近くの諏訪神社と日本基督教団甘楽教会は出て来るのだが、あまりお寺の事はなかった。イヤ、多分、当時の私の思考回路がそっちに行っていたのだろう。そんな富岡製糸場から徒歩でも行ける、ここ本城寺さんだ。こちらの住職とは、旧Twitterで
2024年4月18日 09:45
天台宗金剛院は、海王山、善福寺と号す。かつては赤城山金剛院といい、現在の昭和村三室にあり、赤城山の別当職をしていた。明徳・応永年間に三浦沼田氏の沼田五郎景次が上洛して出家し、上沼須町に寺院を建立したのが開基といわれる。この沼田景次は、沼田太郎上野介景繁の三男であり、京都においては愛宕山威徳院の別当となっていた。その後、一時、寺運は衰微してしまったが、寛正年間の頃、中興一世の宏栄法印の時代になって沼
2024年4月15日 15:53
とうとう来たね・・・なんだろう。実は、20代の時に池上駅近くの会社に勤務し、池上本門寺前にあるキリスト教会に通いながらも、池上本門寺に行ったことがなかったのだ。ちなみに、その教会は村岡花子さんが通われていた教会だ。池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれ
2024年4月14日 00:06
大好きな森村桂さんのエッセイに書かれていたが、離婚された最初の旦那様(元日本テレビスポーツ部の谷口氏)と住んでいたのが池上本門寺の近くの旧い住宅だった。そうそう。大好きな森村桂さんが住んでいたという池上の住宅跡地に行く!と決めていたのだ。それが、ここ永寿院前にある万両塚なのらしい。旧森村桂邸堤方権現台古墳の敷地には、昭和7年に木造住宅が建てられました。この家に最後に住んでいたのは、「天
2024年4月13日 00:17
花見で有名な目黒川沿いにある日蓮宗寺院。ここは、世界のホームラン王・王貞治氏にちなんだ寺院である。といっても、王貞治氏の菩提寺というわけではない。海徳寺は、大永2年(1522)鳥海和泉守(法名自覚院岸日性)が出家し自宅を寺としたといい、松陽院日増(天文14年1545年寂)が開山したといいます。鳥海和泉守の子孫は、江戸時代に名主を務めた利田吉左衛門だといいます。手入れされた寺院の庭は、心を惹
2024年4月12日 13:39
京急線新馬場駅近くにある東急花御朱印巡り寺院に向かう途中で見つけたのが、ここ一心寺だ。豊盛山延命院 一心寺は、安政2年(1855)創建、真言宗智山派のお寺です。ご本尊は成田山の分身である不動明王。古くから延命と商売繁盛の寺として信仰を集めています。毎月28日が縁日で、その日は素焼きの皿(ほうろく)を裏返しにして頭に載せて灸をすえる「ほうろく灸」が体験できます。よく手入れされた可愛らしい庭には
2024年4月11日 23:26
東急花御朱印巡りの最中、偶然に見つけ立ち寄ったお寺だ。というよりも、京浜急行線沿いの旧東海道・品川宿界隈は知らなかった古刹や有名な広い寺が多かった。海照山普門院 品川寺は、真言宗醍醐派の別格本山で大同年間(806~10)開創と伝えられる品川区で最も古いお寺です。本尊は水月観音(非公開)。東海七福神の毘沙門天を祀っています。入口にある大きな銅造地蔵菩薩坐像は「江戸六地蔵」の一つで神田の鋳物師