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心は関係性に宿る~『ザ・クリエイター/創造者』『PLUTO』

伊藤園やパルコの広告にAIモデルが起用され、ユニコーンが過去の自分たちの歌声をAIに覚えさせて歌わせた新曲EPをリリースしたこの秋。映像でも立て続けにAI、あるいはロボットにまつわる作品が立て続いた。


『GODZILLA』や『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』で知られるギャレス・エドワーズ監督の最新作『ザ・クリエイター/創造者』。欧米やアジア各国でロケ撮影された映像に丹念なVFXを合わせた美しいルックが大きなインパクトを残すオリジナルSF大作である。AIを排除する西側諸国とAIと共存する東側諸国の終わらない闘争を描くディストピア作品でもある。

文化搾取や民族侵略、信仰のメタファーなど様々な要素を交えて描いているが、物語は基本的に主人公ジョシュア(ジョン・デヴィッド・ワシントン)の後悔と愛情によって駆動する。そして、旅を共にする高性能AIロボット・アルフィー(マデリン・ユナ・ヴォイルズ)もまた恋しさや寂しさによって関係性を構築していく。種を越えた信頼や親愛が連鎖的に描かれていく映画だ。

哲学者ベルクソンの考えでは「心は過去でできている」とのことである。人文学者・平井靖史による『心と記憶力 ─知的創造のベルクソンモデル─』という論考において、『一般に「心」と呼ばれているものは、現在の環境との感覚運動的な相互作用の流れの背後にあって、これに立ち会い介入する、絶えず変転していくこの 「過去の総体」にほかならない。』と示されている。

そう考えればAIという膨大な記憶を処理できる知能であれば、"心"なるものを抱えることだってあるかもしれない。人間のように感情の揺らぎにどうしようもなく狼狽えることはないだろうが、そんな我々を慈しむことはあるかもしれない。『ザ・クリエイター』はその一抹の可能性を創造し、我々に問い掛ける。今この世界を、どうやって優しく眼差せば良いのだろうか、と。



Netflixで10/26より配信開始となったアニメ『PLUTO』。原作は浦沢直樹による同名コミックで、さらにその原作に当たるのは手塚治虫『鉄腕アトム』の「地上最大のロボット」というエピソードだ。浦沢は強い思い入れを持つこのエピソードを得意とするサスペンスタッチに脚色し、高性能ロボットの連続殺人事件をロボット刑事が追っていくミステリーとして再構築した。

『ザ・クリエイター』と異なるのは世界各国でAIロボットの存在は当たり前である点で、どちらかと言えば個人間でのロボットへの賛否が分断を生んでいるということだろうか。子を持ち、おもちゃを欲しがり、花を愛する、そんな人間に近すぎたロボットたちを巡って様々な眼差しが飛び交い、時に反発や差別が生まれる。ロボットは受けた感情を記憶し、感情を学んでいく。

『PLUTO』で重要となるのは"憎しみ"である。人間とロボットの境界を越えて連鎖する憎しみが物語を駆動させてしまう。ロボットの記憶は削除はできるが忘れることはできない。苦しい記憶がロボットに強い負荷を与え、手を洗い続ける行動に走らせたり、ピアノを弾きたいと願わせたりするのはただのエラーには思えない。ロボットにも心的外傷があり得るのかもしれない。

アニメ版は丁寧に原作を拾いながら、見事な作画と映像ならではのエフェクトや音楽効果によって物語をより残酷に演出する。この悲劇においても異種との共存というメッセージが貫かれていくのが、人間の愚かさの象徴なのかもしれない。その愚かさや傲慢さを理解した上でそれでも繋がろうとする。この作品に"反"黙示録的な意味合いを見出すのは理想論すぎるだろうか。


一説によれば心は脳に宿るのではなく、「関係性に宿る」のだという。だとすればロボットが人間に対して何らかの反応を吐き出し、我々がそれに更に応えた場合はそこに関係性が生まれ、"心"が宿ったと言えるのかもしれない。我々が抱く感情、起こす振る舞いこそが、人工知能やロボットの"心"を規定するのだとすれば。そんなことを考え続けてしまう2作品であった。



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