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賑わう年の瀬と孤独な僕の心の中


今年は、人生のなかでもトップ5に入るほどの地獄だった。

全てが終わりになってしまい、底辺を歩まざるを得なくなった。そして、大切にしたいものの見当違いもあり、悲しみが止まらなかった。

だからこそ、気が付いたこともある。

本気で自分自身を見つめ直すために、自分で自分の苦しみを紐解いていくという「死よりも苦しい」行為を続けている。


世界は、新しい年に向かう。多くの人は「誰か」と共に過ごし、悲しみも孤独もない幸せを噛み締める。しかし、僕は違う。いつもと同じように、一人ぼっちでいなくてはならない。

誰からも連絡もなければ、約束さえもなくなる。

やはり僕は、誰の心にもいないのだ思ってしまう。

そんな世界を変えるために、もうその選択をすることしか方法がないというのもあるが、変わるための努力をして、自分の心の中にある問題や構造を解き明かしていくことで「苦しみ」「孤独」の源泉を探り当てることができた。

人間関係や人生イージーモードの他者の行動思考様式も理解し始めた。

しかし、いくら自分が変わったところで(自分が変わったことで他者の行動がどう変わるかを望んでも)世界は簡単に変わることはない。


”自分が変わる”というのは、他者の思い通りになるということでない。

”自分が変わる”というのは、望みを叶えるためにすることではない。

”自分が変わる”というのは、普通という世界を歩くためのものではない。


あくまでも自分の思考や視点、行動の仕方などを変更することによって「自分らしく」生きるということである。だから、行き着く先には「望み」が叶う可能性はあるが、”自分が自分らしく他者を傷つけず他者の悪意に負けないようになる”ことであり、直近の問題や今・ここで苦しんでいる状況が好転するものではないのである。

人生が、一度でも壊れてしまえば取り返しがつかないことは、再三述べてきた。もちろんそれは、人としての人生や幸せになれないということではない。

自分自身が苦しむことなく「理想に近い形」で生きることができなくなるということである。

壊れてしまえば、自分を絶望的な状況のなかで、再生と構築、そして避けたいものを受容し、己の血肉にするという地獄の作業を自分の意志で行わなければならなくなる。

もちろん、完了後の自分自身が世界に適合するかも、苦しみから逃れられる保証はどこにもない。

それでも生きるということはそういうことである。

世界や他者からの悪意に負けて「死」を選んでしまえば、ただの悪意ある現実に屈した存在さえもなかった”なにか”に成り下がって終わりになってしまうだけである。

いくら変わる努力をしても、他者はどうも感じない。現実は一ミリも変わらない。でも、この先の世界がもしかしたら「生きやすい」ものになるかもしれないという賭けをするというものぐらいなのかもしれない。

年の瀬にもなるのに、誰からも連絡もなければ、孤独で押しつぶされそうになり、周りが幸福な時間を過ごしている姿に涙さえ落ちる。

どうして一人なのだろう、変わる努力をしても無意味なのか、なぜこんな涙が止まらないのか、生きているのが辛いと思ってしまう。

でも、その思いを抱えながら生きれることには意味がある。

誰も経験しないことをするというのは、痛みが伴う。

誰かたちの幸福があるのは、誰かが苦しんでいるからである。


今ある苦しみは、きっと必ず「見知らぬ誰か」に譲渡される。

そして自分自身が幸せになり、見ず知らずの誰かを大きく傷つける。

その時に、どういう心の在り方や行動をするかで、本当の人間性が見えてくるのだと思う。大方、今幸せになっている人々は、苦しみも悲しみも知らないロボットみたいなものなのだから。

人間である以上は、孤独や苦しみを経験しなければならない。

そして、あまりにも悪意を受けてしまって、体が歪んでしまえば「どこかで調整」を加えなければならない。

誰もわからないこの気持ちが、必ず必要になるだろう。

その時のために耐えるしかないのである。


でも、いくら変えよう行動し無理をしても、ぶり返したり、変わることでのしんどさが出てくるものである。その時は、誰かと一緒にいなくてはならないし、甘えなければならない。

僕のように誰もいないと、結局、インフルエンザなのに裸で必死に走り続けるみたいないことになってしまう。暖かい場所、暖かい食事、見守ってくれる人、いろいろな人が何事にも必要なのである。

自分を自分で褒めて、自己確立していくことが生きる上では必要というけれど

自分で自分の傷を癒すことが難しいのと同じぐらい大変なのである。

苦しいし、しんどいし、自分もみんなと同じように楽しみたい。
でも誰もいないから不可能である。どうしよう。大丈夫かな。
耐えなければ、耐えなければ、自分なら大丈夫。

夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。